小黒 多分、沖浦さんのお仕事にはいくつかの節目があると思うんですよ。最初の頃のメカアニメーター時代があって、『AKIRA』前後の時代があって、そして近年、みたいな。昔からの話を聞きながら、その節目の部分についてもうかがえるといいなと思います。
沖浦 ええ。
小黒 昔の話から始めますね。子供の頃から絵を描くのは、好きだったんですか。
沖浦 そうですね。幼少の頃から、ずっとマンガを描いていましたね。小学校ぐらいから友達と一緒に描いたりして。
小黒 子供の頃はどんな画が好きだったんですか?
沖浦 描いてるマンガはギャグマンガが多かったんですけれども、タツノコ系のリアルな画も好きでした。でもまあ、今考えると、趣味がどこかに偏ってるという事はなかったような気がします。マンガ雑誌に載っている色んな絵柄を網羅していたような。
小黒 主には模写だったんですか。
沖浦 いや、もちろん、真似して描いたりする事もあったと思うんですけども。それよりも自分でマンガを描いて、本にしたりしていました。自分で下手な製本をして(笑)。
小黒 ペン入れもしていたんですか。
沖浦 いや、ペン入れはほとんどしてないですね。小学校高学年くらいになってから、ちょっとやったぐらいで。
小黒 すると、鉛筆か何かで描いていたんですね。
沖浦 ええ。親戚や家族に見せるために描いていました。
小黒 普通にマンガが好きな子供だったんですね。
沖浦 そうですね。
小黒 アニメーションへの興味はいかがでした。
沖浦 アニメーションも、TVでやっているものは結構観てました。何歳ぐらいの時だったのかはちょっと忘れたんですけど、小学校の時に子供百科事典みたいな本に、『悟空の大冒険』のスチールを使って、アニメーションがどういう風に作られているのかを説明しているページがあったんですよ。(動きを)分割した画が載っていて、それに刺激されて、自分で幻灯機を作ってみたんです。箱の中に懐中電灯を入れて、ビニールにマジックで画を描いたものを投影できるようにしたんですよ。1秒間に24コマのスピードで画を回せば、動くんじゃないかと思って、連続した絵をビニールにいっぱい描いて。でも、一所懸命回しても、やっぱり動かない。シャッターの効果がないので、それで動かすのは無理なんですけど、その時は、それでどうにかなるんじゃないかと思って実験していました。
そういう事から始めて、小学校を卒業した後の春休みだったと思うんですけど、友達と2人で実際にアニメを作ったんですよ。その友達のお父さんがカメラマニアで、写真機を何台も持っているような人だったんです。それで、興味があるんだったらという事で、8ミリカメラを購入してくださって、簡単な撮影台も買ってくれて。セルの代わりに、工業用の透明フィルムを使ったんですよ。薬品が塗ってあって片面しか絵の具が乗らないんですけど、それにプラカラーで色を塗って撮影して。ま、1分か2分ぐらいだったと思うんですけどね。それを作ったのが最初のアニメと言うか。
小黒 子供の頃から、本格的にやられていたんですね。
沖浦 そうですね。折り紙の中に1枚、金色のものが入ってますよね。アレをぐしゃぐしゃに折り曲げて乱反射させたら、透過光みたいな感じになるんじゃないかと思って撮ってみたりとか。そういう事をやっていた。
小黒 その後も、友達とアニメを作り続けたんですか。
沖浦 中学生になってからは、2人で、アニメーション同好会を学校に作らせてもらったんです。毎年文化祭に向けて1年かけて作品を作るという事を、3年間ひたすらやり続けてたという感じですね。
小黒 それは凄い。その頃、プロの現場を見学に行ったりはしなかったんですか。
沖浦 全然そんな発想はなかったですね。2人でマンガを描いていて、その延長上でアニメーションをやってみたら面白かったという感じなので。マンガだと、背景も全部1人で描かなきゃいけないじゃないですか。当時の実力だとそれがやり切れなかったんですよ。アニメも自分達で背景を描いてるんですけど、その時は、マンガよりもアニメの方が面白かった気がしますね。
小黒 かなり若くして、アニメアールにお入りになったとうかがっておりますが。
沖浦 ええ。
小黒 16歳でしたっけ。
沖浦 そうですね。
小黒 高校は行かなかったんですか。
沖浦 行ったんですけども、ま、休学扱いになって。休学の途中で、辞めた事になっているんだと思うんですけど、よくその辺は覚えてないんですね。多分『(伝説巨神)イデオン』の「記録全集」か何かで――『イデオン』が凄く好きだったんですよ――その中にアニメアールのページがあったんじゃないかな。(スタジオが)大阪にあると書いてあって、「ああ、大阪にもアニメのスタジオがあるんだ」と思ったんです。しかも、ちょうどその頃『(太陽の牙)ダグラム』を放送していて、アールの谷さん(谷口守泰)の作監の回が突出していた。いや、突出というよりも……。
小黒 むしろ、他とは別物みたいな……。
沖浦 ええ、別物になっていました(苦笑)。「これは凄いなあ」と思って。それで、アールに連絡をとろうとして、往復ハガキを何度か出したんですけど、連絡がつかなかったんですよ。住所は間違ってなかったと思うんですけど、ハガキが返ってきてしまうんです。それで、電話帳で調べて電話をしたら、あっけなくつながった。それで訪ねていって、画を見せて「(アニメーターを)やりたいんですけど」と言ったら、「じゃあ、明日からこいよ」みたいな事で……。
小黒 その時に前後してアールに入ったのが、黄瀬(和哉)さんと逢坂(浩司)さんですよね。
沖浦 うーん、よく覚えてないんですよ。というのは、入社した頃には、アニメアールはFビルというところに入居していたんですが……。谷さんのチームと村さん(村中博美)のチームとがあって、ひとつの同じ部屋の中にいるんだけど、それぞれのチームが別の作品をやっていたんですよ。その後、引っ越す時に、片方の名前をスタジオ・ムーにして、部屋も分けたんですね。Fビル時代には、狭かったもので動画の人や新人には机がなくて、みんな自宅作業だったんです。だから、その時に顔を合わせていたとしても、そんなに会った回数はないんじゃないかと思うんです。それで、(黄瀬さんや逢坂さんと初めて会った)正確な時期がちょっと分からないんですよ。ただ、逢坂氏は同じ谷口チームだったんです。多分、俺が入ったのが1月ぐらいで、逢坂氏が7月とか……。まあ春か夏だったような気がするんですけどね。
小黒 年齢は、逢坂さんの方が上なんですよね。
沖浦 ええ。彼の方がみっつ上です。
小黒 逢坂さんは高校を出てから入られたんですね。
沖浦 そうです。高校を出て……いやいや、高校どころか、大学に行っていたんじゃないかな。彼はきた時には学生でしたね。
小黒 アニメアールでのアニメーターの道は、どのような感じで始まったんですか。
沖浦 最初は、谷さんの描いた『(未来警察)ウラシマン』の原画のコピーをトレスして、中割りしてみろとか、アメコミの絵を模写してみろとか、天野(喜孝)さんのキャラ表を模写してみろとか、そういう課題をもらったりしていました。谷さんの画ってメチャメチャ巧いから、間に画を入れるだけでも大変なんですけど、もらった原画のコピーに、どうしてもポーズとポーズの間が割れない原画があったんですよ。どっから見てもおかしいんだけど、どうにかして割らなくてはいけない。「なんでこうなるんだ?」と思って、一所懸命考えたんだけど、結局それは谷さんの原画の描き間違いで。
小黒 (笑)。
沖浦 右手に持っていたものが、次の絵では左手にある――といった原画だったんです。そんなの割れるわけないんですけど(笑)。でも、その時は「何かあるに違いない」なんて思って。とても間違いだなんて指摘もできないし、みたいな。
小黒 今、アメコミを模写するという話が出たんですけど、アールの仕事はアメコミの絵を意識した部分があったんですか。
沖浦 いや、意識していたという事はもないんでしょうけど、やっばり、谷さんがリアルなものが好きだったんですよ。「コナン・ザ・グレート」とか。
小黒 谷口さんの仕事には、ちょっとそういう香りがしますよね。
沖浦 特に当時はそんな部分があったかもしれない。しばらく後の話になるんですけど、(自分は)谷さんはどんどん変化して、ああいった画風に辿り着いたんだろうと思い込んでいたんですよ。だけど、たまたまTVで『(大空魔竜)ガイキング』の再放送を観たんです。2話だったかと思うんですけど、谷さんが作監していて、画が同じなんですよ(笑)。前から人とは違う画を描いてたんだなあと、ちょっとびっくりしました。
谷さんから言われた事といえば、「原画と原画の間を単に割っていくと、動きが小さくなって面白くない」という事ですね。本当に最初の頃ですけど、『みゆき』の動画をやった頃に「ここにもう1枚、はみ出した絵を入れなアカンね。こうせんと、ちょっとパンチが足らんなあ」みたいに言われて(笑)。今だったら原画にない絵を勝手に動画マンが入れたら、怒られるんだけど、当時はまだ大らかで、つまり「原画の足りないところは動画でフォローせい」という事なんです。それがいちばん印象に残ってるものですね。
後は『(星銃士)ビスマルク』をやってる頃、主人公が乗ってる車が手前に走ってくるカットの原画で「これはもう1枚原画を足した方がいい」と言われた事がありました。つないだ時に、1コマでもデカイ絵があった方が手前に来た感じが強調されていいという事なんですけど。当時、描いてる時はそこまではまだ分からなくて、後で完成した画面で見たら確かに谷さんが言ったとおりだったんです。でも、谷さんは画面を見て分かればいい、というやり方だったので、言葉で言っても、その原画を直すという事はしないんですよ。そのふたつぐらいが印象に残っている、谷さんに教えてもらった事ですかね。後は本当に自由にやらせてもらって。
小黒 沖浦さんの初原画は『みゆき』の2カットと言われていますよね。でも、この参加はイレギュラーだったとか。
沖浦 そうですね。これは谷さんが、半パートくらいかな、かなりの量の原画を自分で描いていたんですよ。竜一でしたっけ、リーゼントのお兄ちゃん。
小黒 いましたね。
沖浦 谷さんがあのキャラクターを気に入っていたみたいなんです。その竜一がサッカーをする回で、それで張り切ってやってたんだと思うんですけど、物量が多くて最後の方は危なくなって、「手伝ってみるか?」と声をかけてもらって、ちょっと描いたんです。全く描けなかったですけどね(苦笑)。
小黒 正式な原画デビューは『ビスマルク』になるんですか。
沖浦 そうですね。クレジットが出たのは『ビスマルク』じゃないですかね。『(機甲界)ガリアン』の時も原画描いてますけど。あ、『(装甲騎兵)ボトムズ』の最終回でも、原画を描いたなあ。で、『ガリアン』で結構まとまった量を――30カットぐらいやったのかな。まあ、(『ガリアン』の時も)動画がメインですけれども。
小黒 それで『ビスマルク』からメカアニメーターとしての道を歩み始めるわけですね。
沖浦 (笑)。
小黒 『ビスマルク』から『(蒼き流星SPT)レイズナー』の頃って、沖浦さんと逢坂さんの名前が並んでクレジットされているじゃないですか。メカアクションをどちらが描いていたか、興味があるんですけど。
沖浦 本当は逢坂氏も派手に動かすところがやりたいんだけど、俺の方が年下だっていうのもあるし、逢坂氏が遠慮して、俺にいいところを回してくれたという事もあったんじゃないかと思うんです。どれだったかな……(作品リストを見ながら)この「よみがえる騎士道」(16話)の時かな、1回だけ逢坂氏が戦闘シーンを担当した事があるんです。
小黒 16話以外のアールの回のメカアクションは、沖浦さんが全部やってるんですか。
沖浦 ええ。ロボットのアクションに関してはおそらく。
小黒 「よみがえる騎士道」って、お爺さんが主人公達を助けてくれる話ですよね。
沖浦 ええ、昔の騎士みたいなお爺さんが馬に乗って出てくる話ですよね。恐らくあの話は、俺はメカシーンはやってないと思うんです。で、この前の「白銀の決闘」(14話)が、半パートだけアールでやった回なんです。担当する話数が立て続けで、大変だった。
小黒 オルガニックフォーメーションでしたっけ、必殺技のバンクがありましたよね。
沖浦 あ、バンクでしたっけ?
小黒 ええ。何度か使われてると思うんですが。あれは沖浦さんの原画ですか。
沖浦 そうなんじゃないですかね。俺が描いた「ジュノー星救出作戦」(36話)の戦闘シーンを、そのまま全部バンクにして使った回があるんですよね。アールの回以外で。
小黒 ええ、僕が言ったのはそれです。量産型の敵ロボットとミサイルの応酬をして、オルガニックフォーメーションでトドメを刺すまで、ですよね。
沖浦 そうです。
小黒 あれはバンクとして使うために描いたわけではなかったんですね。
沖浦 詳しい事情は分からないんですが、監督(案納正美)が気に入ってくれたとかで、流用したと聞いています。いちばん印象に残ってるのが、最終回(51話「夢銀河」)なんです。今、考えると恐ろしい話なんですが、コンテを描き直させたんですよ。元々のコンテの内容が、凄く大人しかったのにがっかりして、ぴえろの女性のプロデューサー(光森裕子)に電話をして、「こんなんじゃ、嫌だ」と。
小黒 (笑)。
沖浦 「こんな地味な最終回は嫌だ。もっとスゴイのをやらせてくれ」と言ったんです。そうしたら、監督が代わって電話に出て「じゃ、どういうのがいいんですか?」と言うから、「もっと、破片がガンガン飛んで、背動がドンドンあって、派手なものにして欲しいんですよ」って話を……。その熱意を買ってくれたのか、監督が自ら描き直してくれて。
小黒 それは凄い。
沖浦 確か監督自らだったと思うんです。記憶違いだったら申しわけないんですけど。
小黒 なるほど、言われてみれば盛大に背動がありましたねえ。
沖浦 描き直してくれたおかげで、作画は大変な事になっちゃったんです。大変だったんですけど、でもまあ、楽しく仕事をさせてもらって(笑)。だから、そのぐらい自由な作品ではあったんですよね。
小黒 46話も実質上の作画監督だったと聞いていますが。
沖浦 あ、そうですね。逢坂氏と二人で折半してやりました。もう『レイズナー』の準備が始まっていて、谷さんに「できないから、お前らでやってくれ」と言われて。嬉しいというよりも「嫌だなあ」という気持ちが。
小黒 だって、ついその前まで動画ですもんね。
沖浦 ええ、そうですよ。そんな仕事ができる立場ではないから、やりたくないなという気持ちはあったんですけど、まあ、せっかく振ってもらったという事で、やったんだと思います。
小黒 順番としては、『ビスマルク』の後に『(機甲界ガリアン VOLIII)鉄の紋章』をやってから、『レイズナー』になるんですか。
沖浦 その辺はちょっとよく覚えてないんですが。『鉄の紋章』は、吉田(徹)さんの作品と言っていいくらい、吉田さんがハマっていましたよね。
小黒 沖浦さんが破片好きになったのはどこら辺なんですか。『レイズナー』の時には、相当の破片アニメーターになってますよね。
沖浦 『ビスマルク』の頃から徐々には、なってますけどね。そうそう『ガリアン』も結構破片がありましたね。
小黒 そうでしたね。『鉄の紋章』でお描きになったのは、敵の茶色のロボット(邪神兵)が起動するところですよね。
沖浦 うん、それがね、描いたのが1シーンかどうか、記憶がちょっと曖昧なんですけども、敵の二枚目(ハイ・シャルタット)がメカに乗り込むカットを描いた記憶はあるんです。
小黒 ええ。それで敵のロボットが起動して、まだガリアン(鉄巨人)に乗っていない主人公が逃げ回るんですよ。それで刀が地面を砕いて、破片が飛び散ったり。そこが沖浦さんの作画だと思うんですが。
沖浦 どうだったかなあ。それと、敵メカが壁みたいなのをぶち破って出てくるのを描いたのは覚えているんですけど。
小黒 ああ、あそこですね。敵ロボットの起動と、ガリアンが戦いながら城に攻め込むところですね。
沖浦 主人公の男の子を、結構描いていた記憶があるから……。
小黒 それが敵ロボが起動したところでしょう。
沖浦 ああ、そうだ。主人公が敵に追いかけられて逃げる、それで吹っ飛ばされたりする。そこをやったような気がする。長い事見てないから、全然覚えてないです。やっぱり、『鉄の紋章』は吉田さんのところがよかったですよ。
小黒 確かに『ガリアン』の正統的な見せ場って、ゆっくりガシンガシンと動くところだって気がしますものね。
沖浦 そうですね。今言われて思い出したんですけど、『ガリアン』で凄いなと思ったのが、TVシリーズの二宮(常雄)さんの回なんです。何回かあったんですけど、2話(「ガリアンの目覚め」)がいちばん凄いんですよ。ロボットの剣のアクションの重い感じが、いいなと思った。でも当時は、見た目に派手なものをなるべく描きたいじゃないですか、だから、ああいった作画の本当の素晴らしさみたいなものが、分かっていなかった。ああいう一見地味だけども、きちんとコンセプトに基づいて描かれた、冴えのあるアクションに対する憧れはありますけどね。
小黒 すると、沖浦さんの「なかむらたかしショック」は、いつ頃になるんでしょうか。
沖浦 たかしさんの仕事を意識したのは、プロになる前なんですよ。『Gライタン』を見たのがきっかけですね。最初に見た時は、名前が分からなかったんですけれども。凄い広角レンズで人形が歩いているカットがあるじゃないですか。
小黒 「生きている人形」(22話)ですね。
沖浦 アニメーション同好会の作業で忙しい中、眠くてボーッとしてる時に、あのカットを観て、それがやたらにインパクトがあって。朦朧とした中で「怖い画面だなあ」と思って観た記憶が生々しく残っているんですけどね。
小黒 『ビスマルク』の沖浦さん回で、腕の部分等がガラス張りになってるロボットが出てきましたよね。
沖浦 ああ、24話(「四つ葉のクローバー」)ですね。
小黒 あのロボット、もの凄くライタンっぽいですよね。デザインも、手の形とかも。
沖浦 そうですね。ま、当時は結構がんばって描いてるつもりだったという事ですけれども(苦笑)。
小黒 もちろん、なかむらさんの画を意識して描かれているわけですね。という事は、プロになってから、どこかで「なかむらショック」があって破片が増えたとか、そういう事はないんですね。
沖浦 ええ。ではなくて、ずっとチャンスをうかがってたっていう事で(笑)。
小黒 「描けるものなら描くぞ!」みたいな。
沖浦 そういう事ができる機会をうかがっていたんですが、TV作品だと、なかなか枚数が使えないじゃないですか。『ビスマルク』は5000枚ぐらい使っていたと思います。作画をしながら、絵コンテに「このカット何枚使った」って、枚数を書き込んでいくんです。それで全員のを足したら、大体何枚になるかっていうのが分かるんですよね。大体4人か5人でやっていたんですが、山田(香)さんと野中(幸)さんには極限まで枚数を減らした芝居をがんばって作ってもらって、逢坂氏がそこそこの枚数で抑えて。で、俺のところで集中して枚数を使うというバランスでやっていました。
小黒 沖浦さん1人で、他の3人分ぐらい使う感じですか。
沖浦 いやあ(苦笑)。確かに最終回とか、俺のところだけで2000枚とか、2500枚とか使ってるかもしれないですけど。ただ、最終回でも、使ったのはトータルで6000枚だったらしいんですね。で、次の新番組の『(忍者戦士)飛影』が、1話で8000枚使ったらしいんですよ。で、当時よく一緒にやっていた演出の人が、「『ビスマルク』の最終回の方がずっと動いて見えたよ」と言ってくれてたんです。やっぱりそういう減らすところと動かすところのメリハリが必要というか、チームワークの力というか(笑)。
小黒 考えると、枚数を減らして作画していた方は可哀想ですね。
沖浦 ええ。俺のわがままではあったんですよ。でも、それが功を奏してるところはあるんじゃないか……なんて勝手に思ったりしてますが。
小黒 枚数で言うと『レイズナー』は5000なんてもんじゃきかないですよね。
沖浦 『レイズナー』はうちの回だけじゃなくて、他の回も平均6000ぐらいは使っていたんじゃないかな。
小黒 話としてはかなりキツかったんですけど、沖浦さんがやられた「死鬼隊の挑戦」(第33話)って、延々とロボットが動いてますよね。
沖浦 そうなんです。実は俺は『レイズナー』では「時は流れた!」(第26話)あたりからメカ作監をやってて。「死鬼隊の挑戦」もテロップは出てないんですけども、ほとんど俺が作監やってるんですよ、メカしか出ないから(笑)。
小黒 あの話は「これはおかしいぞ」と思うくらい、ずっとメカばかり出ているんですよね。
沖浦 そうです。もちろん、キャラのシーンは谷さんが作監してるんですけど。でも、この回はキツいなあと思いましたよ。個々のシチュエーションもキツいんですよね。
小黒 謎のカットがいっぱいありますもんね。ゴステロが画面の下の方を、小さなサイズで横切るとか。話としても、凄くモタモタしているんですよね。
沖浦 本当にキツかったですね。「イヤだなあ」とか、「ツライなあ」という事での意味でのキツさでは過去ナンバーワンかも知れないですね。
小黒 その前の26話の印象がいいだけに、ちょっと辛い。でも、26話は結構冴えてましたね。あれは抜群のできですよ。
沖浦 1カット、欠番になったカットがあるんです。レイズナーが俯瞰でグワーッと上昇してくるというカットが、あったんですけど……。
小黒 あの話でレイズナーが街に登場する前にあったんですか?
沖浦 いや、戦いの中だったと思います。編集の後で演出の加瀬さんに「ごめん、切っちゃった」と言われて。あの話に関しては、他のカットよりも「ああ、あれを切られたんだ」という印象の方が強かったりして……、いや、それは冗談ですが(笑)。
小黒 メカ作監という事は、全部のメカの原画を描いてるわけではないんですよね。
沖浦 他のパートに出てくるホバーみたいなメカとか、多分、そういうものは(メカ作監として)直しているんです。あと、レイズナーが、登場する直前に水面を走るところは、浜川(修二郎)くんが描いてて。で、その後の水面から出てくるあたりからは、この回のラストまで全部、原画を描いています。あ、1カットだけ逢坂氏に手伝ってもらってますね。
小黒 量的には20、26話っていうのは、かなりイケてる話数だったんじゃないですか。
沖浦 「レイズナーの怒り」(20話)って、エイジが捕まっている話ですか。
小黒 そうです。レイズナーが1人で暴れ出して。
沖浦 あの話は何を描いたか覚えてないなあ。
小黒 暴れて、地球の軍隊と戦うレイズナーじゃないですか。
沖浦 そうでしたっけ。捕まったエイジが壁を叩いたりしてるのを描いた記憶はあるんですけど、それしか覚えてない。
小黒 最終回はどこをやったんですか。
沖浦 最終回はどこでしたかね。……最後のV―MAXを描きました。眠っていたレイズナーが勝手に起動して、というところ。それからル・カインを描いた記憶があって……。
小黒 エイジとル・カインの対決ですか。
沖浦 いや、対決ではないと思うんですよね。観返せばすぐに思い出すとは思うんですけど。最後のレイズナーのV―MAXは、V―MAXの途中で色を変えてやろうと思って、いつもの色から違う色にOLというのをやったような……うろ覚えなんですけど(編注:地球に向かって飛ぶレイズナーを包む光の色が、途中で変わる)。エイジとル・カインの対決はビデオ版の『刻印2000』で描きましたね。
小黒 それはメカ戦ですか。
沖浦 エイジとル・カインが密閉空間の中で殴り合ってるようなところだけ描いています。ちょこっとだけですね。『刻印2000』では多分、大変なところは逢坂氏が引き受けてくれたんだと思います。俺はもう『BLACK MAGIC(M―66)』に入らなくてはいけなくて、スケジュールがなかったのかな。
小黒 『ビスマルク』『ガリアン』『レイズナー』の頃が、沖浦さんのメカアニメーター時代だったという事になると思うんですけど。
沖浦 そうですね。メカアニメーターだと思われていた時代ですね。
小黒 本人の意識ではそうではないんですか?
沖浦 いやあ、全然違ったんですけど。
小黒 ご本人的には、色んなものを描くアニメーターで、「ちょっと派手な事もやりたいぞ」くらいな感じだったんですか。
沖浦 派手というか、枚数を使って描くためには、メカを描くしかなかったという事ですかね。基本にその『Gライタン』のようなTVアニメに関わりたい、たかしさんがやっているような仕事に近づきたいという願望があったんで、それに挑戦できそうな仕事を、というつもりでやっていました。
小黒 なかむらたかしさんのアニメが、ひとつの目標としてあったわけですね。
沖浦 そうですね。
小黒 この頃のアールのメカ作画って、板野一郎調もちょっと入り、金田伊功調もちょっと入っているという感じで……。
沖浦 ああ、そうですそうです。
小黒 色々と採り入れて、オリジナルのスタイルを作っていたんだと思うんですが。
沖浦 実は俺が(アニメアールの原画マンで)いちばん凄いなと思った人が、貴志(夫美子)さんなんです。あの人は本当に、持って生まれた大らかさがある人で、丸なんかもフリーハンドで綺麗に描くんですよ。かといって、原画は全然丁寧じゃないんですけどね。女性なんだけど、ザックリとした男らしい線で迷いなくズバズバ描いてるんです。『ボトムズ』のどの回かは忘れたんですけれども、貴志さんがメカシーンを描いた回があって。そこが凄くいいんですよ。毛利(和昭)さんや吉田さんみたいな、ちょっとケレン味のあるうまさというのとはまた違って、普通に描いてあるだけなんだけれども、巧いんですよ。ボリューム感があるからですかね。それから、ヘリコプターの止め画なんかを描いても、凄く巧いんです。シンプルに描いてあるんだけど、そこに自分が知らない技術があるような気がして。
小黒 毛利さんから吉田さんに至るラインのメカの巧さは、理解できるわけですね。
沖浦 ええ。(毛利さんや吉田さんの作画については)元にこういうものがあって、それを進化させていって、こういうものになったんだ、というのはなんとなく分かるんです。それも、もちろん才能のなせる技なんですけども。でも、貴志さんの巧さは天然のものなんですよ。デッサン力が飛び抜けてるとかっていうタイプでもないんですけど、サラッと描いて巧い。特にメカでああいうものが描けるというのが、面白いなあと。それに対する憧れは、ちょっとありましたけど。
小黒 『レイズナー』の頃って、まだ20歳ぐらいですよね。
沖浦 えっと、『レイズナー』は19ですかね。『BLACK MAGIC』をやってる最中に20歳になったんです。
小黒 うわあ。とんでもない若さですね。
沖浦 そうですかね。でも、当時は合田(浩章)さんとか、若くて凄腕の人が他にいましたから。
小黒 まあ、そうですけど。
沖浦 だから、当時としても若い方ではあるけども、他に例がないような事ではなかったんだろうと思うんです。
●「animator
interview 沖浦啓之(2)」へ続く
(04.07.16) |