編集・著作:スタジオ雄
協力:スタジオジブリ
スタイル
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animator interview
田中達之(3)
小黒
ここで、『DOWN LOAD(南無阿弥陀仏は愛の詩)』の話をうかがいたいんですけど。作画マニアの間では伝説的な作品ですよね。
田中
あれも柳沼君がらみなんですよ。あの時は、先に柳沼君が参加してたんですよ。彼は金田さんが大好きだから。俺は、アニメはもう辞めて、マンガをやろうとしていたんです。それがなかなか上手くいかなくてブラブラしていた時に、『DOWN LOAD』がテンパって、原画誰かいないかというので、参加したんですよ。柳沼君の原画を見たら、キャラ表は8頭身ぐらいなのに、3頭身ぐらいで描いていて。そのぐらい自由に描いてる。それなのに、りん(たろう)さんの評価は凄く高かったんですよね。俺はかなり真面目なアニメーターだったので、キャラ表に似せなきゃと頑張っていたのに、それがガラガラと崩れていって(笑)。だったら、俺も好きにやろう、と開き直って、それで、コンテを色々変えたり、ちょっとアナーキーな事をやったんですね。
小黒
田中さんがやったという事で、よく話題になるのが、鼻から煙が出るカットですよね。あれはコンテでも煙が出てたんですか。
田中
ええ、出てましたよ。
小黒
じゃあ、出方を派手にしたくらいですね。
田中
そう。いちばんコンテを変えたのは、治療シーンですかね。もとはあんな大騒ぎじゃなかったのを、変なメカを出したり。
小黒
あ、あのメカは、コンテでは出てないんですか。
田中
出てないですね。おとっちゃんが起きあがる時に、オッパイに頭を突っ込むとか、バカンと殴るとか。外で薬の取り引きしてる奴が居るとか。あの辺りは自分で勝手にやりました。
小黒
本当はもっと淡泊なシーンだったんですね。
田中
そう、単なる説明シーンでしたね。とにかくあの時は「原画なんて目立ったもん勝ちじゃ〜」というヤケクソな感じでやってたから。りんさんが凄いな、と思うのは、そういうのを全部拾ってくれたんですよ。ギリギリになってUPしたのに、アフレコ台本でまで、フォローしてくれてるんですよね。とにかく、「柳沼君のコレが通るんだったら、俺が通らないわけないだろう」「ここは無法地帯に違いない」という感じで、やってましたね。
小黒
金田さんのところがいちばん真っ当に見えましたよね。
田中
そうですね(笑)。まあ、あれは真面目にやっていた反動で、とにかく発散したかったんです。それが25、6歳の時かな。あと、その頃は、『老人Z』の絵コンテを手伝ったり、結構ぬえみたいな存在でしたね。腰が定まらなくて、隙を見てはマンガ家になろうとして、投稿してボツになったり(苦笑)。
小黒
で、「リンダキューブ」でCANNABIS誕生ですか?
田中
でも、「リンダ」まで、3年間ぐらい間がありますね。何やってたんだろう。……あ、そうそう、『老人Z』のマンガを描く話があったんですよ。
小黒
え、それは大友さんが? それとも江口(寿史)さん?
田中
いや、オレですよ、オレ!
小黒
あ、そうなんですか。
田中
2話ぐらいまでネームと下描きを作ったんですけど、編集にボロクソに言われて、ダメになっちゃいましたね。そんなことばかりやってたなあ。
小黒
『老人Z』のコンテって、何人かでおやりになったんですか?
田中
あれはね、基本は北(久保)さんで、それから本谷さんと俺。合宿に呼ばれて途中参加したんですよ。その頃、俺はイメージボードをよく描いていて、アイデアが面白いとか、エピソードを考えたりするのが得意だ、みたいな評価だったので。採用されなかったものもあるけれど、アイデアを出して。最後、大仏になって現れるというのは、俺のアイデアですね。ロボットが戻ってくるという話ではあったけれど、大仏じゃなかったんです。「鎌倉だから大仏でしょ」って。
小黒
あれって大仏が色んなものと合体しているじゃないですか。あの画のアイデアも出したわけですか。
田中
ええ。一応コンテも描いて。
小黒
なるほどぉ。
田中
井上さんが作画をやってくれた、アーケード街の戦闘シーンとか。ウェスタンラリアートを食らうとかは自分で……。
小黒
アイデアを? コンテを?
田中
アイデアも、コンテも。あの頃は、そういう事ばっかやってましたね。今はなんか一枚画の人って思われてますけど、アイデアを出したり、イメージを考えるのが好きだったので。それと、かなりアナーキーな気分だったんで(笑)。ヤケクソなものをいっぱい出して「どうだぁ!」ってことばっかりやってたんで。で、北さんはわりとそれをすくってくれたんです。下から攻める立場だったんで楽しかったですよ。いいかげんにやって、責任を取らなくていいっていう(笑)。
小黒
『老人Z』が、ですか。
田中
『老人Z』とか、TV版『ナディア』とか。まあ『乱』も。『乱』は責任取ろうと思って頑張ってたんですけど。
小黒
両方なんですね。思ったとおりにならなくてつらさもあるけれど、下から「こんなのどうですか」って持ってく楽しさもある。
田中
ありますね、うん。だからイメージボードとか、『老人Z』のコンテとかは凄い楽しかったですよ。とにかく原画がシンドかった。アニメーターになりたかったはずなのに。
小黒
それは、その後もずっとしんどいままですか。
田中
いや、『永久家族』あたりはまた変わってくるんですけどね。
小黒
ほうほう。その後だと、「リンダキューブ」が大きな仕事ですよね。
田中
もう30歳近くなってて、何かやんなきゃと思ってた時だったんですよね。「天外魔境」というゲームのキャラクターデザインをやっていたのが辻野寅次郎さんていう、テレコムの先輩なんですよ。それでイメージボードの仕事をしたんですけど、その時にゲームデザイナーの桝田省治さんがそれを見て、「リンダキューブ」に誘ってくれたんです。あれもスゲー大変でした。本編にアニメが挿入されるっていうんで、そこをやるのが目的で始めたって感じですね。
小黒
それが「CANNABIS WORKS」にコンテが載ってるやつですね。じゃ、コンテは描いたけど、そのムービーはゲームの中にはない?
田中
いや、ありますあります。ま、あれはしょうがないんですけど、結局、内容についてまた口出して、まだ20代の頃のクセが残ってて、ゲームの事なんか何も知らないクセに、勝手にイメージボード描いたり、「もっとこうした方が……」みたいな事を色々言ったりして。それで桝田さんにたしなめられて。結局コンテに時間がかかりすぎちゃって、作画期間がなくなって降ろされたんですね。ホントはI.Gで作る予定だったんですけど、I.Gの社長に断られちゃって。
小黒
それで他の制作会社でやったんですね。CANNABISの名前を使うようになったのは、ここからなんですか。
田中
そうですね、別に大した意味はないんですけど(笑)。「危ない薬」とか流行ってたから、それを見て。ちょっと後で後悔して(苦笑)。
小黒
あ、そういうところからペンネームを採ってる。
田中
ええ。
小黒
すいません。僕はゲーム、全然分かんないんですけど、「リンダキューブアゲイン」は別のゲームなんですね。
田中
いや、別じゃないです。リメイクです。最初がPCエンジンで、「アゲイン」がプレステ。
小黒
あ、PCエンジンなんだ!
田中
そう、PCエンジンで。とにかくあまりにも(アニメと)文法が違うし、ドット絵の世界だったんで、その時はキャラ設定以上の事には関われなかったんですよ。プレステの方ではいろいろ出来るという話だったんで、さっき言ったコンテを描いた話はプレステの方です。
小黒
最初の「リンダキューブ」は、キャラデザインだけやってたんですね。
田中
そうですね、コンテはやんなかったですね。「アゲイン」で、服なんかは若干デザインが変わってるんですけど、その辺はやっぱり自分がアニメで動かすつもりだったんで、線を減らしたんですよね。
小黒
この頃のお仕事だと『バニパル ウィット』がありますね。
田中
あれ、いつやったんだろ。「リンダキューブ」の前でしょ。
小黒
『バニパル』の公開が遅れて、「リンダキューブ」の頃に公開になったんですかね。
田中
あれは完成版見てないスけどね(笑)。あれは単に、たかしさんが好きだったんで。それと仕事がなかったので、ちょっとやろうかな、っていうぐらいで。
小黒
なかむらさんの岩石崩しってあったじゃないですか。『Gライタン』なんかの。
田中
はいはい。あれは好きでしたよ。
小黒
取材前に原画を拝見した『AKIRA』の原画で、鉄雄の台座の破片が飛んでいくのもそうなんですけど、田中さんは、結構「なかむら岩石」好きかな? と。
田中
て言うか、好きとか嫌いとか意識する以前に、もうインストールされてます(笑)。
小黒
基本スペックですか(笑)。
田中
うん。やっぱ好きでしたよ、『幻魔大戦』のベガのやつとか。
小黒
『バニパル』でも自然に、なかむら調の岩崩れ描いてますよね。
田中
なってました? あれはねえ、あれは……まぁ、いいや(笑)。
小黒
城の中で巨大な犬かなんかが追っかけてきて。
田中
ひどかったな……。
小黒
いえいえ。あと、催眠術のところ(編注:催眠術をかける場面は2度あるが後者)。
田中
あれは一所懸命描いたけど。ちゃんと動いてました?
小黒
ええ。かなりよく動いてますよ。
田中
凄い原画枚数描いた記憶があるけど、完成品は見てないんですよね。……その辺の時代はね、前向きに語れる材料がないんで(笑)。
小黒
その後ですよね、STUDIO4℃の仕事が増えていくのは。これはどうしてなんですか。
田中
それは単純に、森本(晃司)さんに可愛がってもらっていて、なんとなくよく会っていたので。「今度、こんなのやるんだよ」って、『EXTRA』のコンテを見せてくれたり。
小黒
一緒に仕事をしてない時もお付き合いがあったんですね。
田中
まぁ、いろいろ仕事に誘われてはいたんですけど。森本さんとはロボット好きとかいろいろ共通項があったんですよね。『AKIRA』の時に最初に森本さんとした会話が「どういうロボットが好きか」っていう話で(笑)。
小黒
『(音響生命体)ノイズマン』で原画を描いたのは、例の水球の中のシーンですよね。
田中
ええ。
小黒
これもさっき原画を見せていただいた、音楽の実をかじる有名なカット。あの男の子の顔がぐにゃりと曲がる表現は、手描きでやられているんですね。
田中
作画ですよ。
小黒
凄いですよね。今だったらデジタル処理で歪ませるところですよ。
田中
いやあ、ホントはね、もっとサイケデリックにするつもりだったんですけど、結局うまく収まんなくて。申し訳なかったですね。手伝いなんで、ほんのちょびっとですけどね。「リンダキューブ」をやってる最中だったからじゃないかな、そんなに量ができなかったのは。
小黒
次の『永久家族』は、結構やってらっしゃいますよね。
田中
『永久家族』……ははは。『永久家族』って見ました?
小黒
ええ、ざっとですけど。丸々やってらっしゃる回もありますよね。
田中
10本ぐらいですかね。
小黒
あ、そんなにあるんですか。
田中
森本さんのコンテでやらせてもらったものもあるし、自分でコンテからやったものもあります。
小黒
すでに、このころ、ご自身のイラストをそのまま映像にしたみたいな感じになっていますね。
田中
あのころは「リンダ」の挫折もあって、もう原画についての無駄な考えもだいぶ抜けて、やりたい事も見えてきてたんで。だから、『乱』が代表作みたいに言われるとつらいけれど、『永久家族』の方がまだ好きですね。20話だったかな、白黒でほとんど通したものがあって。フィリッツ・ラング風のライティングとか、あれで初めて、自分のやりたかった画面作りをちょっと試せたという感じですね。ひとつのカメラで全部追いかけてみるとか。色指定も初めて自分でやって。
小黒
画がすでに田中さんのイラストの世界に近づいていますよね。
田中
というか、『乱』や、それ以前からやりたかった事はそんなに変わっていないんですよ。
小黒
『乱』でも一部、イメージボードに近い美術のところもありますが。
田中
うーん。俺は、本当は、画面全体の情感みたいなものを統一したいんですよね。「動きを」とか「話が」みたいな一個一個でなく、映画としての映像と言うか。だから俺は「動き職人」になりきれなかったところがあって。そこがアニメーターとしてモノにならなかったいちばんの原因ですかね。『永久』は、やってる最中は大変だったけど、ちょこちょこ実験的にやりたい事ができたんで。まぁ……『乱』よりいいんじゃないかなぁ(笑)。でも『乱』の方が、混沌としてる分、観る方には面白いのかな。
小黒
確かにそうかもしれないですね。パワーがありますから。
田中
無駄なパワーが(笑)。
小黒
「デジタルジュース」を拝見すると――柳沼さんの作品も言葉にすると同じなんですが――、「イラストの調子を画面に移し替えたい」と思ってらっしゃるんですよね。
田中
いや、それは逆ですよ。「こういうアニメが作りたい」というのがあって、それができないから、仕方なくイラストに描いていただけなんです。イラストはイメージボードの延長線上でしたね。だから、アニメにイラストのテクニックを持ち込んでいるわけではなくて、アニメ用に用意したテクニックを、仕方がないからイラストで描いていたんです。
要はスクリーンなりブラウン管なりの向こうに、「ホントに生きた世界」を作りたいっていうだけなんで。そのためのツールが、レイアウトだったり動きだったり、色指定だったりという事で。20代の頃は、そのあたりの調整の取り方が全然分からなかった。だから、『陶人キット』は「自分が普段ギャーギャー言っているのは、こういう方向のフィルムが作りたいって事なんです!」と示したいというので作り始めたものなんです。まず背景が不満だったので、とりあえず背景から描いたんですね。
小黒
アニメがデジタルになった事もあって、キャラクターと背景の質感を合わせようという動きが活発になってきましたよね。いくつか方法があって、背景の色を落として、キャラクターの色も落として、ライティングを強くしてひとつの画にまとめていくという方法が主流だと思うんです。それと別に背景もセルテイストにするという方法がある。『陶人キット』はそれらと違う方法を示したと思うんです。
田中
うーん、あれをもう一段上げられればね……。
小黒
あれではまだ甘い?
田中
いや、と言うかあれは時間がかかりすぎるんで……。ただアニメって、キャラクターは線画で、背景は油絵風っていうのがいちばん問題だと思うんですよね。かと言って、背景も全部セル画にしたら、ベタッとして面白味がなくなってしまう。だから、宮崎さんや大友さんの路線で、なおかつもっと背景とキャラクターを融合させたい時にどうするか、が問題なんです。だから、俺はね、劇場版『じゃりン子チエ』って凄くいいと思うんですよ。
小黒
と言うと?
田中
あれは、背景に全部ペン入れしてあるんですよ。あれがいい。普通のアニメだと、キャラクターには輪郭線があるのに、背景には輪郭がないっていう事自体が、すでに世界を組み立てる文法が違う。そういう状態で、いくら影を落とそうが、色を落とそうが違和感は消えないんじゃないかと。
小黒
なるほど。セル画の色をいくら落としても、セル画と別物になるだけであって、背景と違う事は変わらないんだ。
田中
本当は同じ材質感で描くのが正解なんだと思うけれど、まだそれは無理なんですよ。それに、自分らが好きだったアニメの画面の延長線上で発想したいから、フル3Dで作りたいわけでもない。やっぱり画であってほしい。
小黒
キャラクターと背景の両方が輪郭を失うよりは、両方に輪郭をつけたい、と。
田中
そうですね。だから、考えてみると、ずうっと、アニメで自分のやりたい事ができる文法を探していたって感じなんですよね。
小黒
じゃあ、イラストの仕事は……。
田中
とりあえずやってるって感じですか(笑)。
小黒
そんな事を言ったら、イラストのファンが怒りますよ。
田中
いやいや、嘘ですけど。イラストもマンガもやりたかった事ではあるんで。特に原画をやっている頃は、自分の中で積み重なっていく感じが全然しなかったし。それに比べて、イラストの仕事は毎回毎回発見がある。「ああ、アニメにした時に、こういうやり方すれば、思った感じになるな」っていうのもひとつひとつ分かってきますし。
小黒
さっき話していた混乱期から抜け出す事ができたきっかけってなんだったんですか。
田中
やっぱり「リンダキューブ」に3年間関わった事が大きいですかね。結局(ムービーの監督を)降ろされちゃった事もあって、その間、無駄に時間があったんで、色々考えて、自分の中をいったんクリアにして、素に戻りたいなと思ったんですね。そうやって、今は本来自分がやりたかった方向をちょっとずつ取り戻している最中なんです。だから、最近描く画なんかは、自分で言うのもなんだけど、凄く大友調なんですよ。20代の頃にずっと我慢していた反動なんですね(笑)。
小黒
今や数少ないパイプな人ですよね(笑)。
田中
そうそうそうそう!(笑) 「今時、パイプうねうねじゃないだろう」って自分でも思うんだけど、「好きだからいいじゃん」って。ちょっと素直になろうと思ってるんです。この辺は森本さんの影響もありますね。周りが何を言おうと、好きな物を我慢する理由はないと。
小黒
でもそういうことで言うと、森本さんとは路地裏仲間であり、パイプ仲間でもあるわけですね。
田中
そうですね(笑)。
小黒
じゃあ、当面の目標は?
田中
今は、マンガの形で自分の考えていた事を形にしてみたいというのが目先の仕事ですね。
小黒
アニメの方は? 依頼なんかはないんですか。
田中
いや、実は前に、劇場版を作らないかっていう話もあったんですよ。作品集に入っている未制作のアニメのイメージボードってのが、それなんです。
小黒
もしプロデューサーから依頼が来るとしたらば、どんな形が望ましいんですかね。
田中
う〜ん……。20代の頃はとにかく「俺が俺が」モードだったんですよね。無駄にでかい事考えてたりとか。要は、情緒不安定だったんですね(笑)。結局、自分が分かってなかったので、全部失敗してるんだけど。今はやっぱり、「小さな事からコツコツと!」ですか(笑)。
小黒
ははあ。
田中
だから、もしやるとしたらちょっと、用心深くやりたいですよね。いきなり劇場とかは絶対無理だと思うし。アニメはやっぱりチームでの仕事なので、どういう人と組むかという問題もあるんで、すぐには無理ですね。
あ、でもね、以前は自分のやりたい雰囲気とかフォーマットの部分を口で説明する事自体が、もう四苦八苦だったんですよ。俺としては「基本的にライティングはこういう風に当てたい」「物の処理の仕方はこういう感じで」っていうところを言いたいくてイメージボードを描いているのに、「この敵のデザインいいね」なんてところを拾われたりして、ちぐはぐな事になってたんです。それが、最近は、いろいろオリジナルの絵とかがあったりするので、雰囲気はつかめてもらえる可能性があるんじゃないかな、と。
小黒
ところで、作品歴を拝見すると、『グランドメタモルフォーゼ84』というのが上がっているんですが、これは?
田中
たははっ!(苦笑) これは森田(宏幸)君なんかが作ったもので……。
小黒
森田さんって、『猫の恩返し』の監督の?
田中
そうそう。同郷なんですよ。九州で、あの頃、自主制作アニメのムーブメントがあって、それを俺も手伝ったというだけのものなんですよ。テレコムの動画養成の頃ですね。確かイベント用の遊びのフィルムで。俺がやったのは、オバQみたいなものが幕の内弁当になるっていう(笑)。
小黒
あ、しりとりアニメなんですね。
田中
そうそう。
小黒
『DAICONIII』が評判になった頃ですかね。
田中
まあ、そうなんですけど、森田君達の『ガラスわり少年』って、『DAICON』よりすごいんじゃないかと思いましたよ(編注:『ガラスわり少年』は自主アニメの名作のひとつ。現在はマンガ家となっている、とだ勝之等も参加している。同じメンバーによる『惑星ラスク』も有名)。
小黒
ああ、『ガラスわり少年』。当時、NHKやアニメージュに紹介されましたね。
田中
高校時代に見てショック受けて、俺も真似して短いフィルムを作ったりしました。
小黒
これは失礼な話なんですけど、「『ノイズマン』に参加するまでに田中さんが描いた原画は300カットにも満たなかった」というような伝説があるんですけど、本当ですか。
田中
いや、さすがにもうちょっとあると思いますけど……。『乱』で100カット以上やってるし、いろいろ内緒の仕事もあるんで、もうちょいいってるかなあ。
小黒
『乱』と『AKIRA』で、130カットぐらいはあるわけですよね。
田中
『永久家族』が平均7カットで10本だから、70カットぐらいですね。だから、300は越えていると思いますけど、でも、色々合わせても500はいってないかもしれないなぁ。とりあえず常に、他人の倍以上の原画枚数は描いて来たつもりだから、原画の枚数だけならかなりいってると思ってるんスけど。
小黒
ああ、なるほど(笑)。
田中
……ひょっとしてまだ「新人」なのかなぁ(笑)。
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