WEBアニメスタイル
更新情報とミニニュース
アニメの作画を語ろう
トピックス
ブックレビュー
もっとアニメを観よう
コラム
編集部&読者コーナー
データベース
イベント
 

 編集・著作:スタジオ雄
 協力:スタジオジブリ
    スタイル

WEBアニメスタイルについて メールはこちら サイトマップ トップへ戻る
トピックス

いろんな会社にオジャマしちゃおう!
 第2回 ラディクス

 『サクラ大戦』(OVA)のようなコアなファン層を獲得しているアニメから、『しあわせソウのオコジョさん』のような子どもたちもはしゃげるアニメ、そして『灰羽連盟』のようなアーティスト・スタイルを生かしたアニメまで、ターゲット層の異なる作品を幅広く手がける制作会社・ラディクス。乱暴にジャンルだけを見渡せば、無秩序な作品群を抱える中、それでもラディクスとしての基盤をがっしり固めているのが、監督であり社長でもある根岸弘(ねぎしひろし)氏と、プロデューサーであり取締役でもある植田基生氏。ラディクスのツートップである。今回はこのお二人から、制作会社ラディクスの在り様を聞く。

2003年7月7日
取材場所/東京・ラディクス
取材・構成/小黒祐一郎、田中くうち
PROFILE
根岸弘(NEGISHI HIROSHI)

1960年7月18日生まれ。監督。1991年有限会社ゼロ・ジー・ルーム設立。1995年株式会社ラディクス設立。主要監督作品(ラディクス制作作品以外も含む):TV『宇宙の騎士テッカマンブレード』、劇場『天地無用 in LOVE』、劇場『天地無用 in LOVE2〜遥かなる想い〜』、OVA『KO世紀ビースト三獣士』、OVA『菜々子解体診書』など多数。また、根岸弘氏のクレジット表記には、「ねぎしひろし」もしくは「ネギシヒロシ」もあり。
PROFILE
植田基生(UEDA MOTOKI)

1960年3月26日生まれ。プロデューサー。タツノコプロを経て、1996年、ラディクスへ。
主なプロデュース作品:TV『天空戦記シュラト』、TV『宇宙の騎士テッカマンブレード』、TV『新世紀エヴァンゲリオン』(以上タツノコプロ)、OVA『サクラ大戦』シリーズ、TV『時空転抄ナスカ』、TV『人造人間キカイダー THE ANIMATION』(以上ラディクス)、など多数。
 
  PROFILE
社名/株式会社ラディクス
代表取締役/根岸弘
取締役/植田基生(プロデューサー)
設立年月日/1995年7月(※1991年、有限会社ゼロ・ジー・ルーム設立。2002年、有限会社ゼロ・ジー・ルームを吸収合併)
従業員数/約70名(社員:約30名 作品契約:約40名)
関連スタッフ(フリーランス含む)/山下敏成(作画)、吉野真一(作画)、高田晃(作画)、田中誠輝(作画)、岸田隆宏(作画)、高橋成世(作画)、高田淳(演出)、岡嶋国敏(演出)、大森貴弘(演出)、まついひとゆき(演出)など
公式サイトhttp://www.radixzero.co.jp/
【ラディクス制作主要作品】
 

 昨年春に引っ越してきたというラディクスの新社屋は、堂々たる風格のビルの2フロアを広々と使用。さすがに作画ルームには机が密集しているが、入口近くには目を見張る広さの打ち合わせスペース、奥にはデジタル導入で機会の減った初号に替えて皆で作品を観るための試写室まである。空間からも滲み出てくる会社の勢い。もちろんそれを牽引しているのが、根岸氏と植田氏。まずは、ラディクスに於けるお二人の役割をわかりやすくたとえてもらうと、「ゲンドウと冬月だと思ってくれれば。根岸がゲンドウで俺が冬月(笑)」と、植田氏、自身がタツノコプロ時代に手掛けた作品『新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物になぞらえて答える。言うまでもなく、植田基生とは、数多くのタツノコ作品に植田もとき、とクレジットされているその人のことである。二人が初めて顔をつき合わせて仕事をしたのも、タツノコプロ制作『宇宙の騎士テッカマンブレード』。もちろん、根岸氏は監督として、植田氏はタツノコプロのプロデューサーとして。ちょうどそれは、根岸氏が初めての会社ゼロ・ジー・ルームを立ち上げた頃のことだった。「当時、僕は滅茶苦茶な仕事の仕方をたくさんしてまして(笑)」と自身で語るように、その頃の根岸氏は、『宇宙の騎士テッカマンブレード』をやる一方で、ビジュアル80制作『走れメロス』に監督補として参加。さらにアニメイトフィルムと組んで、OVA『KO世紀ビースト三獣士』の企画を立ち上げていた。そして、『KO世紀ビースト三獣士』の主要スタッフを集めるためのスタジオとして1991年に立ち上げたのが、ゼロ・ジー・ルームだった。が、このとき、
「本当は、企画先行型の会社を作りたかった。ところが、現実的には企画だけでは会社が成立しない。アニメーションってフィルムを作ってなんぼなわけだから」(根岸氏)
 企画だけを持ち込んでもそうそうお金は動かない。ゼロ・ジー・ルームは『KO世紀ビースト三獣士』以降も、企画だけでなく、制作機能も果たしながら、OVA作品中心に稼動していくことになる。また、1995年には版権管理を目的とする会社としてラディクスを設立。が、こちらも設立当初から既に、意図した版権管理より制作システムの方が先行して確立していく結果となり、TV作品を中心とする制作会社として稼動していくこととなる。結局、2002年には、制作会社として母体の大きくなったラディクスがゼロ・ジー・ルームを吸収合併する形で、現在の体制に移行。この間、1996年には、植田氏がラディクスに加入。根岸氏同様、企画の持つ重要性を知る植田氏の加入によって、ゼロ・ジー・ルーム時代は「僕のワンマンでやっていた」と根岸氏が言う企画体制が、ラディクスでは企画部という明確なポジションに変化していくことになる。
「僕も植田もヤマト世代なんですよ。『宇宙戦艦ヤマト』が好きでこの業界に入ったクチ。良くも悪くもアニメが一番パワーを持っていた時代を見てきて、植田は『新世紀エヴァンゲリオン』を手がけ、僕は『天地無用』を監督し、ラディクスでは一緒に『サクラ大戦』を作った」。爆発的な成長を遂げたタイトルを体験する。それによってふたりともが、「会社が隆盛を誇っていくときにタイトルが持つ意味、タイトルが成長するときの麻薬的な魅力っていうのものを、骨身に沁みてわかっていた」のだと言い、だから、『ドラえもん』や『セーラームーン』のようなタイトルが欲しい、と根岸氏は口にする。ロングスパンで作り続けられるタイトルを持つことは、会社を発展させるひとつのキーアイテムになる。つまりそれは、いかにスタッフを成長させ続けられるかということにも関わってくる。
「安定した制作環境を維持するためには、若いスタッフを育てるための普遍的なタイトルも必要だし、一方で、ベテランが飽きることなく技術を磨いていける挑戦的な作品もきっちりやっていかないといけない。両輪のタイトルがないと会社はやっぱり成立しないと思います」
 根岸氏の言葉に、植田氏もうなずく。
「アニメの歴史を振り返ってみれば、東映アニメさんやタツノコプロさん、東京ムービーさん、それぞれ一番良い時期っていうのは、マニアに受けるものも子ども向けのものも、並行して制作している。それがアニメ会社の本来あるべきスタイル。こっちしかできませんっていう方が、むしろ偏っているのだと思う」
 会社を牽引するふたりの考え方がここで合致しているからこそ、どのジャンルの作品を手がけても、ラディクスはラディクスとしての質を保った作品制作が行える。
「そこが、今の若い世代とは逆。若い世代はマニアックなものばかりを見て育ってるから、マニア向けのものばかり作りたがるけど。僕らは両方好きなんで、どんなジャンルのものでも全然抵抗はない」(植田氏)
 間口が広く、実績もある二人が現場に立っていれば、外からの企画もどうしても根岸氏や植田氏指名で持ち込まれてくる。そこに、ラディクスが現状抱えている苦悩のひとつがある。なかなか若い人間に経験を積ませる機会がない。若いクリエイターの名前をもっと前面に出せるチャンスが欲しい。それを求めていたときに持ち込まれた企画が、『灰羽連盟』だった。持ち込まれた段階ですでに監督が決まっていたこともあり、現場も制作もすべて若手中心で乗り切ることにする。が、シリーズ終盤に1時間枠での放映が連続したことなどもあり、現場は相当ハードな制作を強いられていた。「正直、もうやりたくない(笑)」と根岸氏が言えば、「会社はほとんど停止寸前まで追い込まれましたからね(笑)」と植田氏が返すほどのド修羅場。が、地獄絵図的雰囲気は作品そのものからは一切匂ってはこなかった。
「それを見せてはおしまいなんでね。まあ、大変ではあったけども、あそこまで出来る、っていうことで、現場の自信にはなりましたよね」(植田氏)。
「制作会社の責任としては、絶対スケジュールを落としてはいけない。しかもその中で、最高のクオリティを、って望む。だから心臓に良くないんですけど(笑)」(根岸氏)
 もちろん、作品によって一番に求められるものは異なる。
 たとえばそれが、初期から最新シリーズまでOVAのすべてをまかされている『サクラ大戦』ならば、押し出すべきはキャラクターそのものだということになる。
「OVA『サクラ大戦』はキャラクター商品だ」と植田氏は言い切る。「キャラクターに魅かれて、フィギュアを買うのと同じ感覚でOVAを買ってくれればいい」と。だからOVA『サクラ大戦』は決して光武の戦闘シーンが激しく繰り広げられる作品ではない。「そこがまさにキャラクターをフィーチャーする部分なわけで。生身のキャラクターを出したい。主人公側が光武に乗って戦えば、結局、メカ対メカのバトルものにしかならない。そこがゲームとは違う。OVAとしては、見せるのはキャラクターでしょう、と。アニメはキャラクターだという考え方は、広井王子さんやレッドエンタテインメントの方ともシンクロしてるところでしょうね」。
 アニメはキャラクターだという姿勢に、根岸氏もまた賛同する。「はまればはまるほど、キャラクターの魅力の細かい隅々まで知りたくなるのが、ファンの心理だし、そこまでサポートするのが、リリースする側の責任じゃないか」と。
 そして根岸氏は、企画段階から、「ユーザーの反応を作品に入れ込んでいくタイトルの作り方。言い方が良くないかもしれないですが、ファン参加型のアニメーション、をやってみたい」とも言う。
 それが、かつてアニメ誌「AX」と連動して読者の反応を生かす形で企画開発をした『菜々子解体診書』であり、現在、アニメイトTVのネット配信企画として立ち上げている『Vie Durant』である。このネット時代、以前にも増して、ユーザーの反応が一層ダイレクトに、一層早く伝わるようになった。しかも、『Vie Durant』に関わる社内スタッフは5人だけ。
「少人数で映像配信する制作手法が確立できれば、作家性は非情に色濃く出てくるはずなんです。たとえば新海誠さんの『ほしのこえ』のように、これからは個人リリースが可能になる時代。そういう才能もひろっていけるような会社になれれば、おもしろいんじゃないかと思っています」
 ユーザーから見えるクリエイターの成長、それを根岸氏は欲している。
 また、作品から見えるのはクリエイターの個性だけではない。プロデューサーも自分の個性が生きた作品制作に携わって欲しいと、植田氏は言う。
「作っている作品が、自分の作品だという自覚。仕事としてではなくて、深い意味での自覚が持てないと、プロデューサーの個性も出せないと思う。まあ、自分も若い時は、どこかお仕事としてこなしているだけという部分はあったんでわかるんですが。のめり込むためには、やっぱり深く関わって、自分の個性を映像に反映させないとおもしろくない」
 もともとタツノコプロでプロデューサーとしての経歴を積んだ植田氏。比較的良い環境だったにも関わらず、安定してるがゆえの窮屈さを感じ始めたときに受けた根岸氏からの誘いに、「新しいところでヤル気のある人と、全く違うスタンスでやってみるのも悪くなかろうか、と。まあ、ひと口のったという感じ」でラディクスに移った。その植田氏が、制作会社の理想的なスタイルのひとつとして挙げたのはタツノコプロの名だった。「ある意味、全盛期のタツノコプロなんかは、ひとつの理想形ですよね。いろんなタイプの作品を制作している、しかも、オリジナル中心で」
 ひとつのジャンルだけに偏らず、オリジナル企画も育てられる環境の維持。そこに根岸氏が付け足す課題は、やはり若手の成長。若手がユーザーの目に見えるポジションで活躍することが必要だと根岸氏は繰り返す。「結局、誰かが、これだけのリスクを背負ったぶん、これだけのフィルムを作ったぞっていえる結果を出さないと、客は絶対見向きもしない。そのチャンスをサポートするのが我々の役割でもある。そうしないと、ラディクスは相変わらず、僕と植田だけの会社になっちゃうから」
一覧へ戻る


Copyright(C) 2000 STUDIO YOU. All rights reserved.