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いろんな会社にオジャマしちゃおう!
 第3回 スタジオ雲雀


 この秋からゴールデンタイムに進出した『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』 、NHKの帯枠で放映された『探偵少年カゲマン』、美少女アニメ『HAPPY★LESSON』『らいむいろ戦奇譚 明治日本、乙女防人ス。』等を制作しているスタジオ雲雀。最近、よくその名をクレジットで目にするようになったプロダクションだが、実は新興の組織ではない。すでに設立以来24年になるのだそうだ。
 西武池袋線練馬駅からそう遠くない場所に建つ真新しいビルに、スタジオ雲雀がある。我々がお邪魔したのは平日の午後3時。広めのワンフロアの中で、制作、作画、仕上げのスタッフがテキパキと作業を進めており、なかなか活気溢れる現場だ。今回の取材で話をうかがったのは代表取締役の光延青児。38歳の若き社長である。きちんとした背広とネクタイ姿で、取材陣を迎えてくれた。最近、雲雀さんはかなり勢いがありますよね、と話を切り出すと、「いえいえ、とんでもないです」と控えめに応える。
 彼の父親は、『キャプテン翼』(1983〜86年)や『ドカベン』(1976〜79年)等の監督作品を残している光延博愛である。スタジオ雲雀は1979年に設立。当初の社長は母親の光延幸子だった。最初は仕上げのみの会社としてスタートしたが、後に制作も担当するようになり、光延博愛監督の作品作りの基盤となっていった。鳥の雲雀は、小さくて見た目に派手さがなくても、きれいな声で鳴く。そんな会社にしたいという事での命名だった。
 設立から数年後、話数単位での制作(この場合は演出、作画、仕上げの作業)も務めるようになった。いわゆるグロス受けである。グロス受けをした最初の作品が、博愛が監督を務めた『おじゃまんが山田くん』(1980〜82年)。続けて『キャプテン翼』もグロスで制作を担当。博愛は監督として作品全体をまとめつつ、ローテーションのひとつとして参加している雲雀の面倒を見るかたちだった。
 ところが、『キャプテン翼』制作中の1985年に光延博愛が病気で倒れ、現場から離れる事になった。そこで当時まだ20歳で大学生だった光延青児が、父に代わり、会社を引き継いだのだ。次いで1986年に、同社への発注元であった土田ブロダクションが倒産。会社維持のために、かなり苦労されたそうだ。
 その後、スタジオ雲雀は制作会社として次第に力を付け、1本のTVシリーズの制作を丸々受けるようになる。その最初の作品がNHK―BS2の「金曜アニメ館」内で放映された、子供向きのホンワカアニメ『パニポニ』(1998年)だった。その前に雲雀は、やはりNHKの「お母さんといっしょ」で1分ほどのアニメーションを作っている。最初は他の制作会社からの孫請けだったが、途中から直接NHKから受けるようになり、その事が『パニポニ』の制作に繋がっている。ちなみに、光延博愛は東映動画の出身であり、『パニポニ』の原作、キャラクターデザインであるひこねのりおとは東映動画での同期だったのだそうだ。その縁もあり、雲雀は『パニポニ』以前にも、明治製菓の「カール」や「ながいきくん」等、ひこねのりおが参加しているCMの制作を手がけている。
 『パニポニ』は各話数分の短い作品だったが、次いで各話30分のTVシリーズ『KAIKANフレーズ』(1999年)を手がける。これはアニメ界全体の中でも、全話をデジタルで制作したごく初期の作品だった。同社は比較的早く「RETAS!」を導入し、ゲームのOPムービー等を制作しており、その経験が『KAIKANフレーズ』に生きているのだ。また、早くデジタル化した事が同社がその後、制作本数を増やす事にもつながっている。『KAIKANフレーズ』はバンドのメンバーを主人公にしたシリーズで、ライブシーンで関して楽器の一部に3DCGを使用していた。当時はまだTVシリーズで3DCGを使う事は珍しい事であり、PDとして光延青児がその使用を提案したのだそうだ。雲雀では『KAIKANフレーズ』でも、以降の作品でも3DCGは全て社内で制作。今後の作品として、フル3DCGのシリーズの企画も進んでいる。
 以降、『うちゅう人田中太郎』(2000年)、『探偵少年カゲマン』(2001年)、『ミニモ二。やるのだぴょん』(2001年)、『HAPPY★LESSON』(2002年)、『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』(2002年)、『らいむいろ戦奇譚 明治日本、乙女防人ス。』(2002年)、『デュエル.マスターズ』(2002年)と、次々とシリーズの制作を担当。タイトルを並べてみると小学館ブロダクションの作品への関わりが多い。いずれの作品も企画が成立した後に、アニメーション制作を請け負う形での参加だが、今後は自社の企画も立てていきたいという。
 現在、雲雀は正社員が50名ほど。制作本数を考えるとかなりの大所帯だ。その内訳はアニメーターが約20名、デジタル&3Dスタッフ20名、制作10名。それと別に契約社員の演出家やアニメーターが20名ほどいる。正社員に関しては、保険や年金等も会社側が負担している。ただ、こういった形態になったのは最近の事なのだそうだ。
 雲雀の作品を振り返ってみると、同社でいくつもの作品で監督やキャラクターデザインを務めているような看板クリエイターがいないという事に気づく。その代わり、ラブコメの『HAPPY★LESSON』の監督に『うる星やつら』等に関わってきた鈴木行、往年のTVマンガ的なノリの『探偵少年カゲマン』のキャラクターデザインに『宇宙海賊ミトの大冒険』で注目を集めた近藤高光、『パニポニ』の作画監督にベテランアニメーターの鈴木欽一郎と、作品ごとに臨機応変にフリーのスタッフを配している。これらのキャスティングは、光延青児PDの手腕によるものだ。看板クリエイターがいないところが、むしろ雲雀の面白いところかもしれない。
 彼にスタジオ雲雀をひと言で紹介するとしたらどんな会社ですか、と尋ねてみると「何でも屋さんですね」と彼。「来た仕事に関しては、何とか求められている以上のものにしていますと、最近は言う事ができるようになったかな」。雲雀の名が示す通り、決して規模が大きくもなく、活動が派手なわけでもないが、長い時間をかけて着実に歩を進めている企業であるようだ。

2003年9月16日
取材場所/東京・スタジオ雲雀
取材・構成/小黒祐一郎、田中くうち
PROFILE
社名/株式会社スタジオ雲雀
代表取締役/光延青児
取締役/光延幸子、光延博愛
設立年月日/1979年7月
従業員数/約70名(社員:約30名 作品契約:約40名)
関連スタッフ(フリーランス含む)/鈴木行(監督)、近藤高光(作画)、鈴木欽一郎(作画)、渡辺真由美(作画)、加藤やすひさ(作画)、水上ろんど(作画)、など
公式サイト
http://www.st-hibari.co.jp/
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