編集・著作:スタジオ雄
協力:スタジオジブリ
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「アニメラマ三部作」を研究しよう!
杉井ギサブロー インタビュー(後編)
──
そして虫プロの大人向けアニメの第3弾が『哀しみのベラドンナ』ですね。
杉井
『ベラドンナ』の時に、山本さんが僕のところに持ってきたのは、アニメーション監督だった。山本さんが「ギッちゃん、3000万で劇場映画作りたいんだけど、協力してくれない?」って。ミシュレの「魔女」をやりたい。それもみゆき座で単館で上映するという話だった。その時、僕は他に自分でやりたい仕事があったんだけど、それは面白いなあと思ってやる事にしたんです。深井国さんについても、僕が推薦したのかもしれない。何人か候補が挙がった時に、深井さんが面白いんじゃないですか、と言ったような記憶があります。暎一さんが自分で探してきたのかもしれないですが。ただ、僕とりん(たろう)ちゃんは、以前から深井さんが好きだったんですよ。1回組んでアニメをやりたい人だよね、とは言ってましたよ。
──
杉井さん達が深井さんと組みたいと思われた時は、キャラクターのデザインとして使おうと思われたんですよね。作画として参加してもらおうとまでは思ってなかったわけですよね。
杉井
そこまでは思ってないですね。『ベラドンナ』では、深井さんが毎日来てやってましたけれど、あれは暎一さんと深井さんの熱意があったからこそですね。暎一さんは最初からイラストアニメを狙ってましたし、初めから深井さんにそういう頼み方をしたんだろうと思うし、深井さんも「僕の画は、自分が描かないとだめですから」と思っていたんじゃないかな。
──
深井さんでアニメをやってみたいと思われたのは、勿論、画が巧いって事もあるんでしょうけれど、動かすのに向いているとも思われたんですか。
杉井
いや、やっぱりあの独特の線がエロチックなんですよ。今思えば深井さんのデッサンって、どちらかと言うとヨーロッパ的で、日本の女の体型じゃないんですけどね。一種の品のいい色気というものを、深井さんは持ってますよね。宇野亜喜良という人もいて、宇野さんも面白いですよ。当時、宇野さんや深井さんの画は、線が面白かったですよね。僕は宇野さんとも一緒に仕事していて、『新宿千夜一夜』というのをやったんですよ。宇野亜喜良さんのデザインで、僕らがアニメーションをやって。その時に寺山修司さんにも会ってるんですよ。
──
それは、どういうかたちで公開されたんですか。
杉井
それはね、パイロットフィルムまでやってボツになってるんですよね。「新宿千夜一夜」という作品を寺山さんが書いてましてね。何かに連載してたんですよ。そのイラストを宇野亜喜良さんがやってて。それを、どうしてもやりたいというプロデューサーがいたんです。それで寺山さんを口説いて、宇野さんを口説いて、監督を僕にやって欲しいって。劇場作品のつもりだったんですかね。それで動かしまして、5、6分のパイロットフィルムを作りました。それはアートフレッシュの時代ですね。『千夜一夜』より前かなあ。
──
杉井さんが『千夜一夜』に参加された頃に、アートフレッシュはお辞めになってるんじゃないですか。
杉井
そうですよね。だから『千夜一夜』より前ですよ。
──
それは大人向けのアニメーションなんですか。
杉井
もう完璧に。
──
そんなかたちで、知られざる前哨戦が(笑)。そのパイロットフィルムには、杉井さん以外にも、アートフレッシュのアニメーターが参加しているんですか。
杉井
はい。出崎統ちゃんや吉川(惣司)君とか、みんなやってますよ。
──
『ベラドンナ』の話に戻りますが、最初から、全編を深井さんの画でやるというコンセプトだったんですか。
杉井
そうですね。暎一さんが、そういったコンセプトを出していました。通して深井さんがやって、間に色々な特別シーンを入れる。
──
(笑)。
杉井
得意ですよね、暎一さんはああいう作りが。
──
特殊なシーンがいくつか入っていますよね。
杉井
僕は全体を見てましたけど、自分の仕事としては、ペストのところの原画を描いたのが印象的ですね。ペストのところと、あとは何でしたっけね。
──
最初の方で、ジャンヌが強姦されるところは違いますか。
杉井
あれは僕じゃないような気がするなあ。
──
山本さんは、脚が裂けるところは杉井さんが描いて、周りのコウモリが飛ぶところを前田(庸生)さんが描いたと言っていましたが。
杉井
確かに、当時のノリでいくと、ああいうシーンというと僕のところに持ってきそうですよね。すでに『千夜一夜』と『クレオパトラ』がありますから。僕、やったかなあ。段々と脚が裂けていく原画は描いたような覚えがあるなあ。
──
それから、止め画のジャンヌがいて、同じカットで小さな悪魔が、1コマでニョロニョロニョロって動くところ。あれも大変なインパクトでしたが。
杉井
それはやりました。他にもいろいろ頼まれた気がする。だけど、僕でまとめてやったところとしては、やっぱりペストが一番記憶に残っている。(街が)ドロドロっとしたコールタールみたいになってね。ペストをそういうかたちで表現するのは、山本さんの演出ですけど。あれは大変でしたよ。山本さんのイメージってね、当時のアニメーターにとっては描くのが凄く難しいんですよ。
▲『哀しみのベラドンナ』より。上の2枚がペストが猛威を振るい、街が溶けていくシーン。下の2枚がジャンヌの脚が裂ける場面と、小さな悪魔が1コマで動く場面
杉井
「イージー・ライダー」って映画がありましたよね。『ベラドンナ』を始めたのは、あの時代ですよ。そういう時代性に合わせて、暎一さんが、短期間で安い予算で映画を作ってしまおうと思ってスタートしたのに、制作に何年もかかってしまって。終わった頃には「ヒッピーなんてもういないじゃん」みたいな事になっていてね。
──
(苦笑)。
杉井
結構面白い仕事だったんですけど、虫プロの体制が、途中でグチャグチャになってしまってね。虫プロの崩壊の原因は『ベラドンナ』の失敗にある、みたいな事を言われてますけど、本当はそうじゃないと思うんです。当時、実際に制作費がいくら出たか分かりませんけども、この作品が(配給会社の)ヘラルドからお金を引っ張り出すために利用されたんじゃないかと思いますけどね。制作に関しても無理してやってしまったところがある。それは当時の虫プロの経済事情のためなんですよね。そういった事は、山本さんはインタビューで言われていませんでしたか。
──
山本さんは著書の「虫プロ興亡記」で書かれています。資金繰りのために急いで納品する事になって、別班を立てて、1回、ダミー版を仕上げちゃったとか。
杉井
そうです。統ちゃんなんかは、そっちの別班の方で参加していたんです。
──
ダミー版が1回完成した後に、1回チームを再編成して、続きを作り始めて完成したんですね。
杉井
そうです。僕なんか、途中で付き合いきれなくなっちゃいましたから。「いつ終わるんだよ!」って。虫プロが経営面でゴタゴタしていた時期にはまっちゃって、どういう経緯かは知らないけれど、渡辺(忠美)さんというプロデューサーが別班を立てたんです。それは資金繰りのために急いだと書かれているんですか。
──
ええ、ヘラルドからの入金のために別班を立てたようです。スタッフ編成についてなんですが、『ベラドンナ』のオープニングで、原画のクレジットが二画面で出るんです。最初の画面に前田庸生さんと辻伸一さんの名前が出て、後の画面に10数人の名前が出ているんです。少人数で長期間じっくり作ったという事ですから、前田さんと辻さんが、最初から最後までずっとスタッフルームに詰めて参加されていたんじゃないかと思うんですが。
杉井
そうですね。岡田(敏靖)さんもスタッフルームに入ってたかな。
──
前田さんと辻さんが作画のメインという感じですね。作監補ではなくて、原画をたくさん描いたという事でしょうか。
杉井
作画のメインという事ですね。一番量を描いたのは深井さんですけれどね。いろんなイメージが出てくるハチャメチャなところは、色も含めて児玉(喬夫)さんです。山本さんは、ああいった面白いものを持ってる人を立てていく。よくああいう映画を考えるよねえ。
──
そうですね。
杉井
虫プロの中でも、山本さんの作品は『ジャングル大帝』を含めて結構変わっていますよね。『ジャングル』については、さっきも少し話しましたけれど、僕は『ジャングル大帝』を最初に見た時に、なんでこんなデザイン的になっちゃうんだろうと思いましたよ。
──
デザイン的って、美術がですか。
杉井
美術も表現も。手塚治虫の作品と随分と距離があると思いました。虫プロでは、山本さんも、僕も、りんちゃんも、盛んにアートしてましたよね。普通にはやらないぞみたいな意識は、皆、強かったんじゃないですかね。でも、一方で短編の実験映画グループみたいのもありましたよね、ああいうのとは違うんですよね。
──
アニメーション3人の会とかですね。
杉井
ええ。ああいうのには僕も、りんちゃんも、統ちゃんも、ほとんど興味を示してなかったんですよね。手塚先生だけじゃないですかね。虫プロで、ああいった方向に興味があったのは。こういう言い方をすると、怒られちゃうかもしれないけれど(当時の短編作家は)アニメの素人さん達が趣味でやっているようなところがあったでしょ。
──
素人というのは、職業として映画を作っているわけではないという事ですよね。
杉井
ええ。アニメーションの技法を使って自分の世界を表現してみた、みたいな感じですよね。そういう分野と自分たちの仕事はまったく違う。僕たちは、映画業界にいるって事を意識してましたからね。そこで通用する映画を作るんだって。僕が一番興味を持っていたのは、ヌーベルバーグですから。フランスの監督達の仕事が非常に面白くて、影響も受けたし、評価もしてましたね。
──
『ベラドンナ』でキャラクターがセル画で描かれているところがあるんですけど。それも基本は深井さんのラフ原画みたいなものをベースにして、他の方が描いていると思っていいんでしょうか。
杉井
基本的には、深井さんが大半の画を描いています。動くところは、深井さんのイメージボードを基に描いてると思う。(他のスタッフがイラストの)塗りも手伝っていますよ。馬郡(美保子)さんという美術の人がいて、後半は時間が足りなくなって、彼女が水彩で微妙なマチエールをつけながら描いたり。
──
その場合は、深井さんが描いた原画に、色だけつけていく感じですか。
杉井
そうです。深井さんが何人か(美術の中から)できそうな人を選んだんです。その中でも馬郡さんは特別だって、深井さんは言っていましたね。
──
セル画でないところでも、枚数を使って動いているところがありますよね。
杉井
そういうところは原画がやっていると思う。辻さんと前田君は、原画として深井さんの画を似せて描くのが巧かったですね。
──
そういう場合も、深井さんの画が先にあって動かしているんですね。
杉井
そうですね。1枚ボードがあって、それを動かすような感じで。
──
ボードというのは、今で言うところのレイアウトみたいなものですか。
杉井
色のついた、イメージボードみたいなもの。言ってみれば、深井さんの仕事は原図と美術を同時にやっているようなものですよね。それは、深井さんの画で、「魔女」をイラストアニメとして作る、という山本さんのコンセプトの通りですよね。
──
多分、最初のコンセプトしてはもっと動かないものだったんじゃないですか。
杉井
そうです。最初はね。やっているうちに、段々スケールアップしちゃったんじゃないですかね。
──
心象風景は動かして、ドラマの部分は止めるというプランだったそうですが。
杉井
ああ、それは聞いた事ある。
──
仕上がった映像では、ドラマ部分も動いちゃったりしてるから(笑)、作ってるうちにコンセプトが変わっちゃったんだろうと思うんですが。
杉井
うん。山本さん自身は、さっき言ったように動かすのが好きな人ですから、まったく正反対の、イラストでやろうっていう事も、チャレンジだったんでしょうね。
──
『ベラドンナ』が完成した時に、作品をご覧になってますか。
杉井
観ていると思う。
──
その時に、実写パートは入ってましたか。
杉井
『ベラドンナ』に実写……。ああ、公園とかで撮ったやつ?
──
それです。ありましたか。
杉井
フィルムは憶えてますよ。だけど、あれは一般公開の時はもう入ってなかったと思いますね。
──
それから最初に公開した時、ラストはどうなってるんでしょうか。フランス革命で終わってるんでしょうか。
杉井
暎一さんは、どっちを選んだんでしょうかね。
──
ラストの展開に関して、製作途中で、ラストをどうするかについての紆余曲折はあったんですか。
杉井
ええ。山本さんは、最後はフランス革命で、旗を持った女が先頭に立っている画で終わらせたいと言っていて、それに僕は猛反対したんです。それってメッセージになっちゃうんじゃないかと思ったんですよ。魔女という存在自体が反体制の存在ですから、そのエネルギーがフランス革命に繋がっていくというのは、一本筋が通ってると思うんですけど。「ジャン」と言って死んでいくジャンヌだけでも、必要な事は充分に表現できると思ったんです。旗を持った女、というところまでやると解説っぽくありませんか。僕が、そういう映画は好きじゃないというのもあるんですけど。
──
最初に公開されたバージョンはジャンヌの火あぶりで終わっていて、後に、フランス革命を足したと山本さんはおっしゃっているんですが。
杉井
僕はそのあたりは分からないなあ。作品の仕上げまでは、僕は関わってないんで。
──
でも制作中に、フランス革命で終わる案もあったのは間違いないんですね。
杉井
それはあった。ボードにあの画(ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」)が貼ってありました。僕はとにかく反対して、ジャンヌのアップで終わるのが一番いいって言ったんですよ。燃えてるジャンヌのアップを延々と見せて、それが白にフェードアウトしていく。そこで終わると最高だよね、みたいな話をした。山本さんはやっぱり映画っていうのは、どこかで決着をつけなくちゃならないという考えを持っていて、僕はそうじゃなくて、決着っていうのは観客が自分でつけるべきじゃないの、と思っていた。物語の続きは、各観客が自分の中で考えればいい。映画ってそういうもんじゃないのって、いまだにそう思いますけどね。映画って、不特定多数の大勢に観せるものじゃないですか。ラストのテーマなり、決着は、観客がつけて完成させた方が、映画が活きる。メッセージなりを監督が伝えるために映画を作っていくと、それで完結しちゃいますよね。確かに観客は満足はするだろうけど、それって1本の映画でしかないんじゃないか。そのラストシーンを観客側が作るとすれば、1本の映画が100本の映画になるんじゃないか、みたいな考え方ですよ。僕はどちらかというと、そっちが好きなんです。そういう話を暎一さんとした記憶がありますね。それで暎一さんが動いたかどうかは知りませんけど(笑)、暎一さんも迷ってたみたいですね。
──
なるほど、そうですか。
杉井
結局、アニメラマって3本で終わったんですか。
──
正確には『ベラドンナ』はアニメロマネスクと呼ぶみたいですけれど。そうですね、3本で終わっています。山本さんは、あそこで終わっちゃったのは残念な事だとおっしゃっていましたよ。
杉井
残念ですよね。商業的にも『千夜一夜』は成功していて、『クレオパトラ』はどうだったんですかね。
──
興業成績はよかったみたいですが、制作費も余計にかかったので、虫プロとしては儲からなかったみたいです。『千夜一夜』は、やはり手塚さんと山本さんの持ち味が両方出ている作品だと思われますか。
杉井
うん。両方の持ち味が出てると思いますね。
──
『クレオパトラ』では、山本さんの個性が弱まっている感じですか。
杉井
そうですね。『クレオパトラ』って二番煎じな感じしませんか。
──
まあ、そうですね。
杉井
興行的に2匹目のドジョウを狙った企画で、勿論、暎一さんも嫌々やってるわけじゃないんでしょうけど。僕は『クレオパトラ』って、こぢんまりとまとまってる印象があるんですよ。
──
『千夜一夜』のエネルギッシュさはないですね。
杉井
ないですよね。『千夜一夜』は観た人にも伝わる爆発的なエネルギーがあるんですけど、『クレオパトラ』は手慣れて作っている感じがする。その次の『ベラドンナ』は、また新たに挑戦していった作品ですよね。だから、『クレオパトラ』はちょっと余計な作品ではないですかね(苦笑)。
──
先ほどの虫プロのアート的な持ち味の話なんですが。その後も虫プロにいらした方の仕事には、多かれ少なかれ、その持ち味が残っていますよね。そういったアート的な面が一度行くところまで行った作品が『ベラドンナ』ではないかと思うんです。杉井さんの歴史観としてはいかがですか。
杉井
正確に言うと、そういう意味でも『ベラドンナ』で虫プロが終わってるんじゃないですか。それが本当の意味の崩壊だった。『ベラドンナ』を最後に虫プロのアート的志向が終わったんじゃないですかね。
──
商業作品の中でアート的なものをやるという指向ですね。
杉井
本来、それが虫プロだったと思うし、手塚先生もそうあろうとしたんじゃないですか。先生自身は、自分のスタジオに村野(守美)さんだとか、ダンさん(永島慎二)とか、作家が集まってくることを喜んでましたよね。普通に考えれば、手塚治虫が中心にいて、手塚治虫作品を作るスタジオにすればいいのに。自分も自分の作品を作って、それぞれが自分の思いで作品を作るという傾向に関しては、先生は好きだったんだろうと思う。うるさく言っていたのは、エンターテインメントという考え方を外れる事についてですね。アート的志向でやるのはいいんだけど、所謂エンターテインメントから外れていく事に関しては、先生自身はよくないって思っていたようです。若い衆が集まるとそこを外していくじゃないですか。手塚先生は『悟空の大冒険』みたいなものをどういう目で見てたんでしょうね。「しょうがねえなあ」と思ってたんじゃないかと思うんだけど(笑)。
──
それで言うと、『ベラドンナ』は企画立ち上がりの時は、手塚先生は虫プロにまだいらしたみたいなんですけど、完成した時はもういないんですよね。それが象徴的な事のような気がしますね。
杉井
そうですね。手塚先生が『ベラドンナ』の企画をOKしたのは、2本の映画で自分の企画に山本さんを付き合わせたからだと思うんです。2本もやったんだから、1本ぐらい自分で作りたいものを作ってよろしい、と言っていた。そんな話を手塚先生じゃなくて他の人から聞いた事がありますね。手塚先生はそういうところの割り切りは良かったんじゃないですかね。
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