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東映長編研究 第2回
「芹川有吾
  懐かしき日のアニメ生活雑談(後編)」[再録]


演出家ノート―VOL.4―
私のテレビ・アニメ考
懐かしき日のアニメ生活雑談


芹川有吾(せりかわゆうご)
■昭和6年6月26日生、東京都出身。■ライブアクションの撮影が可能だった懐かしきよき時代に、演出家として大奮闘。『おやゆび姫』『フランケンシュタイン』などの作品を演出。



 前回につづいて、私のアニメ生活を気楽にふり返り、『おやゆび姫』のことなどを中心に語ってみることにする。

 昭和38年、虫プロ製作の『鉄腕アトム』を皮切りに、日本のアニメ界にもテレビ時代が始まった。前回にいろいろ語った『わんぱく王子の大蛇退治』も終わるころだったと思うが、月岡貞夫氏に、「芹さん、ちょっと一緒に行ってみない?」と誘われるままに、気楽に富士見台の虫プロのスタジオへくっついて行ったことがあった。小さなスタジオの中は、夜であったにもかかわらず、びっしり並んだ動画机に、アニメーターがかじりついていた。今にして思えば、その連中のなかに、今日のアニメ界の大物が何人もいたことになる。製作中の作品は、『鉄腕アトム』。この時、手塚先生におめにかかったが、先生ご自身も忙しそうで、「先生の作品、カット数は? 僕の場合は……」なんて話し出したと思ったら、月岡氏に袖を引っぱられて連れ出されてしまった。
 「先生、今夜はすっごく忙しいもんで」なんて、頭をポリポリかきながら月岡氏が弁解していた。手塚先生にはその前にも、東映動画のスタジオでお会いしたことはあったが、お仕事中の先生の姿を見たのは初めてだった。その夜の印象としては、“テレビ漫画の仕事って、忙しいんだなァ”というところだった。
 そうこうしているうちに、東映動画でもテレビ漫画第一号『狼少年ケン』の製作が始まった。やっぱり忙しかった……。忙しいなかでも、月岡氏をはじめスタッフはよく頑張っていたようだ。特にワンクールの前半ぐらいは、まだ製作のシステムも確立されず、われわれ応援スタッフもよく徹夜をした。
 『狼少年ケン』につづいて、『少年忍者・風のフジ丸』が始まり、それと相前後して、製作現場のスタッフは数を増していった。東西の東映撮影所からもスタッフが移ってきた。
 このころは、飯島敬氏と共によくシナリオを書いた。『狼少年ケン』にしても、彼が第一話“二本足の狼”を書けば、私が第二話“白銀のライオン”を書くといった調子で、その後もいろいろな作品にわたって、かなりの本数をこなしている。このシナリオ製作の面でも、飯島敬氏のつねに適切なリードとアドバイスを忘れることはできない。行き詰まると、よく彼に相談を持ち込んだものである。
 かくしてテレビ漫画は普及の一途をたどり、アニメのプロダクションもつぎつぎに誕生して、ブラウン管を賑わせることになったのはご承知のとおりである。
 だが、一方、このリミテッドアニメによるテレビ漫画の発達は、日本のアニメーションそのものに、徐々にではあったが、結果において大きな変化をもらたしていった。つまり、ディズニー指向のフルアニメに、テレビ漫画によって確立された“止メ”と“3コマどり”のリミテッドアニメの技法が浸透し始めたのである。そして、今日では“フルアニメ”“リミテッドアニメ”と区別して考える観念さえ無くなり始めている。そんな言葉でさえあまり聞かれなくなってしまった。平たくいえば、ごちゃまぜになってしまったのだ。

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 従来の劇場用長編アニメとはちょっとおもむきを異にした作品として、演出を担当したのが『サイボーグ009』、続編の『サイボーグ009・怪獣戦争』。
 この時は、前者は飯島敬氏と、後者は飯島敬氏と白川大作氏と、共同で脚本を書いた。共に練馬の旅館にこもっての執筆だったが、飯島氏の的確な企画構成力と白川氏の豊富な発想力に啓発されるところ大であった。この時のシナリオづくりも、楽しい思い出である。
 『サイボーグ009』は、その後TVシリーズでも、何本か演出あるいは脚本を担当したが、一番思い出すのは第16話“太平洋の亡霊”。これは脚本の辻真先氏とアイディアを練って、辻氏に書いていただいたものだが、『魔法使いサリー・ポニーの花園』『魔法のマコちゃん・パパとデート』と共に、私と組んだ辻氏の脚本中の傑作といってよいだろう。

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 その後、長編『チビッ子レミと名犬カピ』など、劇場用、TVシリーズと、いろいろ手がけ、思い出すこともたくさんあるのだが、誌面に限りもあることだし、残念ながら割愛させていただき、一気に『おやゆび姫』の話題にとんでしまうことにする。

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 『1月20日、大藪郁子さんとの第一回脚本打ち合わせ』――。
 昭和52年の手帳に、こう書いてある。テレビの『キャンディ・キャンディ』と『ジェッターマルス』をやっていた私に、突如、高見プロデューサーから電話がかかってきたのは、たしか正月休みのことだった。劇場用長編『おやゆび姫』についてだった――。私は『キャンディ・キャンディ』『ジェッターマルス』とオーバーラップしながら、この仕事に入っていった。
 高見氏(現在『さよなら銀河鉄道999』を担当中)は、実に温厚で有能なプロデューサーである。“カドの無い人柄”とは、こういう人のことをいうのだと思う。やりたいようにやらせてくれる、まかせてくれる。それでいて、ニコニコしながら、守るべき枠は守らせ、こちらから引き出し得る成果はチャーンと吸いとってゆく、そんなタイプのプロデューサーである。
 『おやゆび姫』でも、私の構成案で脚本の大藪さんと打ち合わせをさせてくれた。
 「あのう、悪人を一人も出さないでいただきたいのですが……」
 大藪邸で、私はまず切り出した。テーマは“愛と友情”、しかも勧善微悪の型をとらず、だれもが友のために良かれと思ってすることが、立場、境遇の相違から、主人公のおやゆびちゃんを思わぬ運命に陥れてゆく。しかし、その中でも、友情を最後まで裏切らなかったおやゆび姫の愛が結果として大きく報われる――。そんな構成の中から、何かしらほんのりとしたムードをかもし出すのが狙いだった。
 前回に述べた私の学生時代の専攻科目=ヘルマン・ヘッセの『メルヒエン』という短編集の中に、不思議な力によって、だれからも愛される力を与えられた青年が、それによってまったく満足が得られず、再び願いを立てだれをも愛し得る力に変えてもらう、そして不遇の中にも心の安らぎを得てゆく、という話があるのだが、実をいうと、それがこの構成案のヒントだったのである。
 大藪さんも私の狙いをよく理解して下さって、素晴らしい脚本をつくり上げて下さった。

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 『2月15日、メインスタッフ顔合わせ』
 スタッフ・ルームも決まって、製作準備段階に入る。
 そして、キャラクターデザインは、手塚先生が担当して下さることになった。
 『おやゆび姫』の脚本からコンテにいたる製作方法は、独特なスタイルのものとなった。これは画面構成担当角田絋一氏のイメージ・プランを中心に、スタッフが各場面のアイディア、イメージを出し合い、それを画にしてゆく(これをイメージボードと名付けた)。イメージが固まってくると、私がそれをもとに、そのシーンのラフコンテを切る。そのラフコンテを中心に私と角田氏で打ち合わせをし、角田氏がレイアウトをつくる。ラフコンテとレイアウトをもとに、作監の木野達児氏が清書コンテを作成してゆく。従って作監、美術、仕上げ、撮影、編集、音楽、録音など各スタッフが手にする画コンテは、フィルムの画面がほとんど一致している。創作にスタッフの意見も入るし、演出の発想の領域もひろがる。それまでのいくつかの長編作品では、ストーリーボードシステムとして、まず美術設定とキャラクターのみで、演出がコンテを切り、そのコンテを縦10センチ、横25センチぐらいの画用紙に、作監または担当原画がほとんど模写したりして、それを壁に貼ってスタッフで検討する、という演出コンテ先行型であったが、この場合コンテを拡大しただけだからボードの数ばかり多くて(『わんぱく王子――』では約1500枚)、わかりにくく、アイディアも出しにくい。単に即成コンテの説明に終始し、創造性に欠けるケースが多かった。その点、『おやゆび姫』のイメージボードシステムは、合理的であったと思う。このシステムについては、角田氏の積極的な提言に負うところが多かった。
 この作業が始まる以前から、手塚先生のキャラクターがつぎつぎと届き始めた。主役から脇役、端役にいたるまで、数多いキャラクターのすべてをこと細かに描いて下さる先生の熱意に、秀れた才能と豊かな発想力にわれわれスタッフ一同は、改めて感動させられたものだった。
 先生からいただいたキャラクター原案は、かなり分厚いものになった。
 作画も後半に入り、すでに手塚先生のキャラクターデザインもひととおり終わったころのことである。モグラのモグラーさんが得意の穴掘り器(これは角田氏の考案によるもので、劇場ではかなり子供たちを喜ばせていた)で、いとしのおやゆび姫のいる野ねずみばあさんの家までトンネルを掘ってしまうくだりで、冬眠中のオケラが「安眠妨害」と怒り出す、というアイディアが加えられたのだが、このたった2カットにしか登場しないオケラさんのキャラクターが難物だった。昆虫図鑑に額を集めたスタッフが、ああでもない、こうでもない、と知恵を絞ったが、どうもこれだという決め手が出てこない。ところが、その後で、手塚先生がつくって下さったオケラさんを見た時、スタッフの口々から、「なるほどねえ……」と感心の声がもれた。主役のおやゆび姫王子さまなどのキャラクターを見た時とはまた違った「なるほどねえ……」だった。先生のオケラさんは、苦虫噛み潰したような顔に、貴族的なタキシードを着ていて、しかも首に手拭を巻いている。このタキシードと手拭のなんともチグハグなとり合わせが、地面の下の粗末なねぐらにかくれているくせに、気品ばかり高くてこうるさいオケラさんの個性を見事に、しかもユーモラスに表現していたのである。

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 ところが、いざとなると東映動画調のキャラクターに慣れてきた作画スタッフにとって、手塚治虫調のキャラクターはなじみがなく、むずかしいことが多かった。そんな時、参加して下さったのが、長年手塚先生に師事しておられたベテラン中村和子さんであった。手塚キャラクターを完全に生かしきれる方として、手塚先生ご自身の推薦によるものだったという。
 中村さんは以前、東映動画におられらたのだが、『西遊記』を終えて虫プロに移られた方で、10数年ぶりの里帰りというところである。
 彼女は木野達児氏と共に、作監として精力的に活動を開始した。初めのころのある日、セーターのおなかの部分についた透明ビニールの大きなポケットに、アラン・ドロンの写真を入れて現れた時は、スタッフ一同がびっくりしてしまった。彼女は、大のアラン・ドロンのファンで、動画机にもいつも写真がかざってあった。
 天衣無縫の情熱家というべきか、実に仕事熱心で、ひとたび仕事のこととなればいうべきことはズバズバいう。教えるべきことは、手をとるように細かく親切に教えておられた。
 ある時など、動画机にむかっていた彼女が、突如クルリと腰かけごと私の方へむきなおり、「芹川さん!! おやゆび姫、良い作品にして下さいね」と、真剣な顔で激励して下さる。あんまり突然だったので感動すると共に、びっくりしてしまったこともあった。
 こんな調子で、スタッフの人気も良かった。私は今までいろいろなベテランアニメーターとおつき合いをしたが、何かひと味違う熱気を感じさせる――“アニメ界の烈女”とでもいうべき人である。
 中村さんにつづいて、社内スタッフの他に湖川友謙氏、高橋信也氏などが原画担当として参加して下さり、『おやゆび姫』は同年の11月末、無事に初号プリントが完成した。

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 その後は『SF西遊記スタージンガー』のチーフディレクターを経て、『日生ファミリースペシャル・若草物語』(昨年5月放映)を担当した。この年の前年あたりから、テレビ漫画には単発の1時間半ないし2時間のスペシャル番組が登場し、次第にその数を増している。
 『若草物語』は、ルイザ・メイ・オルコットの長い原作からして、一つの家庭を中心にした日常的なエピソードの連続であり、激しいドラマの起伏は無く、また起承転結のはっきりした劇構成もない。無理にそういうものを引き出そうとすれば、逆に原作の良さを壊してしまう。それに正味1時間10分前後のドラマにするには、エピソードの量があまりにも多すぎる。脚本の今戸栄一氏もこの点で苦心なされたようだ。そして、私もいろいろ苦心した。何しろ、こんな坦々とした構成から何らかのテーマ、盛り上がりをつくる演出は、私にとっては新しい分野だった。苦心はしたが、良い勉強になった作品である。
 その間、テレビの『銀河鉄道999』とオーバーラップして、つぎは法然上人の伝記映画『わたしの法然さま』(50分)をつくった。これは、浄土総本山知恩院の企画発注によるもので、まずスタッフと共に、京都知恩院などにロケーションを行い、アニメーションドラマの中に、実写を組み合わせてゆく手法をかなり思い切ったやり方でとり入れてみた。これも私にとっては、貴重な経験であった。
 そして現在は、当誌先月号でも紹介された『夏休みファミリースペシャル・恐怖伝説・怪奇!フランケンシュタイン』(テレビ朝日系で7月27日放映予定―2時間)の製作に追われている。
 フランケンシュタインと真っこうからとり組んだ長編アニメは、おそらく最初だと思う。それだけにむずかしいが、非常にやりがいのある題材である。
 生命の神のみがつくり得る聖なるもの、その神の領域が犯された時、つまり人が大自然の摂理にそむいた時、いかに恐ろしい悲劇が起こるか? それを怪奇スリラーのムードの中で描く、それが前半の焦点。しかし、当のフランケンは、つくられた自分が持って生まれた本能のままに行動する。フランケンの周囲に渦巻く、名誉欲、出世欲、物欲の数々は神、大自然の摂理によって生命を得た純正人間の側にばかり起こり、逆にフランケンは少女エミリーによって、内面に眠っていた人間らしい心に目覚めてゆく――とすると、怪奇、スリラーをベースにした“愛のテーマ”も考えられてくる。私がこれまでのアニメ生活で追い求めてきた“愛”とは、ちょっとニュアンスを異にした形になると思うが、それだけに意欲も湧く。作監の芦田豊雄氏とは初めてのお付き合いだが、いろいろと協力して下さる。東映動画プロデューサーの勝田氏とは、『SF西遊記スタージンガー』で苦労を共にした仲だし、今回も呼吸が合う。まったくタフなプロデュースぶりで、引きずってくれる。という次第で、シンドイかもしれないが精力的に食いついてゆける仕事と思っている。

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 まったく勝手な手前味噌ばかり並び立てた感じだが、紙幅もつきたのでこの辺で筆をおかせていただくことにする(拙い文章を終わりまで読んで下さった読者のみなさんに、心からお礼を申し上げます)。

※「マイアニメ」(秋田書店)1981年7月号掲載
※基本的には掲載された原文をそのままテキスト化しているが、句読点の位置、括弧、誤字脱字等は読みやすさを考え、適宜補い、修整した。テキストで強調してある箇所、原文では傍点がふられている。


(04.09.17)
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