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MOVIE REVIEW
マイ・『WAKING LIFE』
うつのみや理

 『WAKING LIFE』……。
 絵がイカス映画だという先入観は、そのスチールが主張して止む事はない。「こんな画面の映画です、観なきゃソンソン」――語りかけている声が聞こえて来るようである(笑)。概して、画面が前衛的だとすると内容は……という危惧が頭をよぎるが、しかしこの場合、それは、ぼくのチケット購入を抑える力にはならなかった(笑)。それ程、この画面コンセプトは、ぼくにとって強烈だったのだ。

 現実と非現実は、創作にはついてまわる問題である。
 以前、『ファイヤー&アイス』という前衛的なアニメーション映画があった。もしくは、『アメリカン・ポップ』。どちらも、同じ監督、同じコンセプトで作られたフイルムである。監督はラルフ・バクシ、ロト・スコープ技法によって全編が構成されている映画だ。
 当時、ぼくは、あの映像そのものにも価値があると感じていたが、周りの評価は概して低いものだった。現実にあるものをカメラで映写して、輪郭などをトレースし、従来のアニメーションの形式をとる……というのがそのコンセプトだったが、周りの声のその大半は、「これは創作と呼べるものなのか?」という声であった。
 アニメーション・フイルムを映写時間的な創作、動きの創造と捉えるならば、その見方は、ほぼ正しいといえる。3Dソフトに喩えるなら、映画という素材を、人力セル・シェード・レンダーにかけて、セル・アニメ調に変換したと考えることも出来るからである。そう考えるならば、この2作品は、「映画」である。画像が加工された映画なのだ。
 しかし、手段としての創作でなくても、良いものは良い(笑)。
 『アメリカン・ポップ』は、何よりも映画として優れているし、『ファイヤー&アイス』は、アニメーションの可能性を探る指針にも成り得ている。そして、少なくともここには、ぼくにとっての創作のヒントが隠されているのは、疑いようがない事実であった。

 話を絵画に喩えてみよう。
 朝焼けの風景画を描く時に大切なものは、「そこに何が在るのか」ではなく、「何を見るのか」だ。見たままの景観を挙げれば、偏光ベクトルの太陽光が、光の影響の受けやすい影の部分により入り込み、軽い補色対比を織り成して私達の目に飛び込んでくる。技巧上の問題で言えば、如何に鮮やかさを浮き立たせるために暗部を多く取るか……などが挙げられるだろう。実際、それらの方法論にのっとって描かれた作品たちは、しばしば私達に感動を与えるし、技巧は表現力を高めてくれる手段のひとつではある。
 ……しかし、人の感じ方は百人百様である。朝焼けの太陽を青色に感じる人間も、中にはいるかも知れないし、ゴッホの「糸杉の道」の景観を、アルルに見出すことはおそらく無理な話だろう(笑)。
 「そう感じたのなら、そう描くべきである」
 そしてその時こそ、技巧は有益な手段となり、私達を助けてくれるものとなるのだ。

 しかしながら、アニメーションでは、しばしば、この発想が欠けている作品に鉢合わせしてしまう機会が多い。「そこに何を描けば良いのか」が前面に出てしまい、「技巧」する力がそれを補ってしまう画面、「そこに何があるのか」の意識さえなく、結果「何も見てはいない」作品達……。
 確かに創作には違いないとしても、「朝焼け」を見ずに頭の中で作られ描かれた「朝焼けの画面」は、やはり「朝焼け」を見て、その上で心に感じたものを描こうとする「朝焼けの画面」には、遠く及ばないものだ。
 何もその都度見る必要はない、それは、昔、子供の頃に見た景観のイメージでも良いのだ。

 現実と非現実、観察と空想。確かに「アメリカン・ポップ」の画面構成は、創作上の産物ではないが、現実に目をそむけた創作のアニメーションよりも、ぼくには時に魅力的に見える。さらに言えば、現実に根ざした創作のアニメーションであるならば、なお更に魅惑的なのだが……(笑)。
 現実に目をそらした想像は、向かい合った現実にも及ばないものなのかも知れない……という戸惑いと感動。そこにある現実の圧倒的な存在感が、人力セル・シェード・レンダーによってくっきりと浮かび上がってくる様は、ぼくに、この種の感慨を喚起させるものだったのだ……。

 『WAKING LIFE』で感じた強烈な画面コンセプトは、実はこの感慨に近いものである。『アメリカン・ポップ』や『ファイヤー&アイス』共々と同じく、時間的な創作ではないが、その画面コンセプトは、上の2作品でのロト・スコーピング技法よりも、より現実に根ざしている。『WAKING LIFE』での現実の再構築は、モーションのみにとどまらず、露出を含めた画面構成そのものから出発しているからだ。頭の中だけの産物ではない現実感に裏打ちされたそのイマジネーションは、既成の枠を飛び出し、それぞれのアニメーターのそれぞれの感受性で、時に作為的ではあるにせよ、「何を感じたのか」を描こうとしてさえしているのだ。
 陰影だけでなく、画面の露出までも描いているのは、実は画期的なことである。多くのアニメーション映画が色味のコントロールで四苦八苦しているにも関わらず、システムの利点上からではあるが、色味の問題をクリアし、飛び越して、画面構成トータルの中での露出がコントロールされているのだ。
 「現実を基にペイントし直しているからね」……と、のたまうなかれ(笑)。この成果からもたらされる一歩は、実は大きな一歩である。

 露出までをもコントロールした画期的な画面コンセプト、より顕著に現実を再構築してみせる画面構成のガイドブック、それがぼくにとっての『WAKING LIFE』なのである。

 最後になるが、この映画、実はお話も良く出来ていて、登場人物の名前が出てこない稀有な構成になっている。その理由は、ラストになるにつれて次第にはっきりとしてくるので、再公開、もしくは、ソフト化された際には、最後まで御覧になることをお勧めします。ラストには、素敵な結末が待っていますよ(笑)。
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