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コラム

アニメ様の七転八倒 小黒祐一郎
  第3回 板野サーカスの神髄

 今回は板野サーカスについて書く。
 僕がビデオデッキを手に入れたのは高校1年の時、1980年の末だったと思う。余談だが、最初に録画した番組は、夕方の『タイガーマスク』の再放送だった。確かウルトラタイガーブリーカーを決める話だ。我ながらよく覚えているなあ。その直後に録った番組のひとつが『伝説巨神イデオン』だった。シリーズ終盤の数話を録って、気に入ったメカアクションをコマ送りしたり、2倍速で観たりした。『イデオン』のメカアクションはシャープでスピーディだった。イデオンミサイルやアディゴに痺れた。先日、そのあたりの話数を観返してみたら、高校時代に繰り返して観たのは、やはり、板野さんが作画を担当したパートだった。勿論、当時はそれを描いたのが板野一郎というアニメーターだとは知らなかったのだが。
 
 板野さんの名前を意識したのは、やはり彼がメカニカル作画監督を務めたTV『超時空要塞マクロス』である。彼の出世作であり、代表作だ。
 『マクロス』はちょっと変わった作品だった。内容的には新しいタイプのSFアニメだ。パロディ的なところもあり、自分と近い世代のスタッフがメインで作っているのが実感できた。質的な事を言うと、クオリティの高い部分はそれまでに観た事もないくらいに高く、ヘロヘロなところもそれまでに観た事もないくらいのヘロヘロだった。一番仕上がりがよくなかった回は、後に修正されている。現在、再放送やビデオで観られるのは修正版だ。ヘロヘロな話には目をつぶって、美樹本晴彦や板野一郎が参加する話を待ち望んでいたのは、僕だけではないだろう。『マクロス』には、ちょっとお祭り気分みたいなところがあった。そういった凸凹も含めて、僕達は『マクロス』という名のイベントを楽しんでいた。
 『マクロス』での板野さんのメカ作画はシャープであり、リアルだった。それまでアニメーション登場したメカは、特にロボットには、どこか人間的な柔らかさがあった。だけど、『マクロス』のメカには機械的な堅さが感じられた。より本物のメカに近い、という印象だった。勿論、それは板野さんだけでなく、デザインの力でもある。
 
 彼の描くメカアクションは、よく「板野サーカス」と呼ばれる。その定義は曖昧だが、他のメカアニメにないスピード感と、アクロバティックなアクションが「板野サーカス」である、という説明が的を射ているだろう。あるいは、板野さん自身もそういった言い方をしていたと思うが、板野サーカスとは、より主観的に描かれたメカアクションでもある。猛烈なスピードで飛ぶ戦闘機を、猛烈なスピードでミサイルが追う。更に同じスピードで飛ぶ飛行機にカメラを乗せて、追いながらその戦闘を撮影する、という想定で描かれているのだ。観る人間も、猛スピードで飛ぶ飛行機に乗って、アクションを観るかのような臨場感。それが板野サーカスの醍醐味だ。
 TV『マクロス』での板野さんの仕事としては、なんと言っても、オープニングの背動カットが圧倒的だ。ガウォーク形態で走ってきたバルキリーがカット頭で人型のバトロイドに変形し、その勢いのまま走って前方にぐるっと回転し、ビルの角の向こうに隠れていた敵機を撃つ。ずっとバルキリーを追っていたカメラは、カット尻でやられる敵機を追う。これを1カットで見せる。映像の密度は半端じゃなく高く、スピードは気持ちよく目で動きを追える速さ。むしろ、速すぎないところがいい。このカットは観るびに凝視してしまう。思わず息を飲むとは、まさにこの事だ。オープニングでは、その前のバルキリーがガウォークに変形するカットも、ぐるっと回るところの動きが、実に綺麗だ。このカットに限った事ではないが、板野さんは、立体の把握が抜群に巧い。
 TV『マクロス』本編では、シリーズの実質的な最終回である27話「愛は流れる」が話題になる事が多いが、僕的にはむしろ、マックスとミリアのバトルをたっぷり描いた18話「パイン・サラダ」を、板野さんのベストワークとして推したい。担当カット数も多いし、背動も素晴らしい。
 学生時代に「アニメビジョン」の板野さんの特集をやった時に、原画撮り映像を制作するため、原画をお借りした。嬉しい事にその中の数カットが「パイン・サラダ」の原画だった。驚いたのが、敵機のミサイルを避けるカットで、バルキリーが高熱源体を発射していた事だ。高熱源体といっても画面の中では小さな点でしかない。3つの高熱源体を後方に放ち、そのうちのひとつがミサイルとぶつかって、爆発するのだ。原画を見てから、慌ててビデオをコマ送りして見ると、うわっ、本当に射っている! 3秒ほどしかないカットの、途中から途中の出来事だ。これには驚いた。ゼントラーディ機が雲の中から2機現れて、ミサイルを撃った次のカットである。気になる方は是非、コマ送りして見てほしい。1秒に24コマしか描けない作画の限界に挑んだ仕事だ。板野さんの仕事の濃さを端的に示すカットである。

 オープニングの背動もそうだが、板野さんのアクションは、観ていて腰が浮く事がある。それはジェットコースターに乗っている時の気分に近い。僕はバイクや自動車の運転はしない人だけど、多分、バイクを気持ちよく飛ばしていると似た感覚になるんじゃないかと思う。描いている板野さんの感覚と、観ている僕の感覚がシンクロして、腰が浮くのだろう。観る者にそういった感覚を与えるのが、板野サーカスの凄さだ。その快感は、金田作画のそれと似ているようで微妙に違うのである。
 劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』は、TVシリーズよりも遙かに作画の密度が上がっている。公開から20年以上を過ぎた今でも、メカ作画に関しては、質的にもボリューム的にも全アニメ作品の中でトップクラスに位置する作品だ。勿論、板野さんにとっても代表作なのだが、残念な事に、腰が浮く感覚は弱い。それは、劇場作品という事もあって、コンテ段階からカメラをあまり振らない構成になっているからなのかもしれない。あるいは板野さんがTVシリーズの時のように、作画段階でコンテの内容を変えたりしていないためとも考えられる。
 
 もし、アニメの「メカ作画史」が書かれる事があったなら、金田伊功についての章があり、その次が板野一郎の章になるだろう。
 板野一郎が登場するまで、メカアクション作画は金田伊功の独擅場であった。板野さんが『マクロス』で注目を集めたのが1982年。その頃、すでに金田さんは劇場版『銀河鉄道999』や『銀河旋風ブライガー』のオープニング等を手がけており、多くの追従者を生んでいた。金田伊功と明らかに違うスタイルで、しかし、それに匹敵する新しいメカアクションとして現れたのが板野一郎なのである。メカ作画史において、その登場は実にドラマチックだ。
 金田伊功のアニメーションの本質は、フォルムや構図のデフォルメ、タイミングのデフォルメ、そして、大胆なエフェクト表現、メタモルフォーゼといった部分にあり、それに対して、板野一郎のメカアクションの醍醐味は、空間とスピードのデフォルメ、リアルなフォルムとディテールの描き込みにある。
 金田作画はアニメならではの自由奔放な表現で、観る者に刺激と快楽を与えた。そして、板野作画はリアリティを高め、さらにスピード感やアクロバティックなアクションで、やはり観る者に刺激と快楽を与えたのだ。後の多くのメカ作画は、金田伊功と板野一郎の両方の影響を受けているはずだ。
 
 ちょっと話が堅くなってしまったが、もう少しだけ書いておく。金田伊功の作画の切れ味が、彼の天性の才能によるものであるのは間違いないとして、それに対する板野一郎の作画は、印象がリアルなものであるだけに、技術によって生み出されるものだと勘違いしている人がいるかもしれない。だが、それは違う。ミサイルの飛び方などは、分析して、他のアニメーターがコピーする事ができる。だが、板野サーカスを支えた空間把握、立体の捉え方まで真似できた者は少ないのではないか。あの、腰が浮く感じは、技術だけでは作り出せない。それについては、金田作画の影響を受けた人達が、必ずしもその作画が生み出す快感を再現できなかったのと同じだ。彼の天性のもの、あるいは生理的な部分がそういったものを描かせているのだろう。金田伊功が天才であるならば、板野一郎もまた天才なのだ。

(05.02.03)

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