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■「アニメ様の七転八倒」小黒祐一郎
第7回 25年前の『鉄人28号[新]』
(『新・鉄人』あれこれ[1])
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突然だが、数回に分けて『鉄人28号[新]』について書く。別に、実写劇場版の公開にちなんでいるわけではない。いずれ書きたいと思っていたのだ。横山光輝の同名原作は、言わずと知れたロボットマンガの古典だ。その後日談とも言える『超電動ロボ 鉄人28号FX』まで入れれば、漫画「鉄人28号」は4度もTVアニメ化されている。
1963〜66年 『鉄人28号[モノクロ]』
1980〜81年 『鉄人28号[新]』
1992〜93年 『鉄人28号FX』
2004年 『鉄人28号[平成版、あるいは今川監督版]』
さらに、これと別に「鉄人28号」の映像化には、実写版TVシリーズ(1960年)、今月公開される実写劇場版、制作中のアニメ劇場版があるわけだ。
今回、取り上げる『鉄人28号[新]』は、1980年10月から81年9月まで放映された、2度目のアニメシリーズだ。他シリーズと区別して『太陽の使者 鉄人28号』、あるいは『太陽の使者編』と呼ばれる場合が多いが、ここでは僕が使い馴れている『新・鉄人』の表記でいく事にする。製作は東京ムービー新社(現在のトムス・エンタテインメント)で、全51話。それまでギャグものやスポーツものが多かった同社としては、これが初の巨大ロボットアニメだった。
先に断っておくが、『新・鉄人』はいわゆる名作、傑作ではない。かと言って凡作でもない。「いい感じ」の作品だ。僕がいい感じだと思う理由は、みっつある。第1に当時としても珍しい、非常に正統的なロボットアニメであったという事。第2に作画的に見どころの多いシリーズであった事。そして、第3にシリーズ後半に登場する傑作キャラクター、ブラックオックスの存在である。
『新・鉄人』が放映開始された当時、新番組の情報を目にして、え? なんでそんな古いものをやるの、と思ったアニメファンも多かっただろう。アニメブームが盛り上がっており、『機動戦士ガンダム』(1979年)がフィーバーしていた頃である。また、『新・鉄人』の前後に放映されていたロボットアニメは、社長で小学生が主人公の『無敵ロボ トライダーG7』(1980年)であり、富野監督のシリアスSFの頂点『伝説巨神イデオン』(1980年)や、水戸黄門をモチーフにした『最強ロボ ダイオージャ』(1981年)といったタイトルだ。ロボットアニメはすでに多様化しており、ちょっとヒネった設定の作品が多かったのだ。対象年齢の高いものも増えていた。また、ロボットは合体するのが当たり前の時代でもあり、その意味でも、主役ロボットが合体も変形もしない『鉄人28号』の再アニメ化は、少々、異色の企画だった。
『新・鉄人』は日本テレビ系列の放映であり、日本テレビは、同じ10月に『あしたのジョー2』とリメイク版の『鉄腕アトム』をスタートさせた。その3作品の企画に関わった吉川斌プロデューサーが、アニメージュ1980年9月号で取材を受けている。過去の名作漫画を再びアニメ化する事について、その記事での吉川さんの発言を要約すると、以下のようになる。「子供達が純粋に楽しめる作品が、少なくなっているような気がする。そこで原点に戻ってみてはどうかという発想が出てきた。それは多様化しすぎたアニメを、元へ引き戻すチャンスかもしれない」。25年も前に「アニメは原点に帰るべきだ」と言われていたというのは、ちょっと面白い。
『新・鉄人』の企画意図が「ロボットものの原点に戻す」というものであるならば、実際に放映された作品で、それは十分に達成された。主人公は凛々しく、物語は勧善懲悪。鉄人は物語のオマケではなく、物語の中心になる事が多い。これは大事な事だ。メインライターであったベテラン、藤川桂介の力が大きいのだろう。
鉄人には全く武装はない。闘いは殴る、蹴るだけ。実に潔い。鉄の塊が敵にぶつかっていくというイメージで、力強さに満ちていた。翌年に放映が始まったタツノコの『Gライタン』(1981年)も武器を持たぬロボットで、この番組も『新・鉄人』と似た匂いがした。戦闘が盛り上がると主題歌や、そのインスト曲が景気よくかかる。そういったストレートさも心地よい。
また、単にオーソドックスなばかりではない。『新・鉄人』には洗練された部分も同居していた。キャラクターもメカもデザインが一新され、正太郎も鉄人も、随分とスマートになった。詳しくは、後で述べるが、作画のアベレージも高かった。美術や色遣い、あるいは音楽等も、決して野暮ったくはない。1話を観た時に、予想していたよりもシャープな質感の作品だったので、ちょっと驚いた。たとえぱ、サブタイトルのパターン。手前に走ってきた鉄人がカメラに向かってパンチをする。その上に、作画で描いた光のハレーションが現れて、ポーズが決まったところでサブタイトルが出るというもので、これなども、なかなか格好良かった。
鉄人の格納庫は敷島邸のテニスコートの下にあり、テニスコートが左右に開いて、そこから鉄人が現れる。1話ではコートに落ちていたボールがコロコロと転がり、上昇する鉄人の手前を、静かに落下していくという描写があった。落下するテニスボールを小さくフレーム内に収めて、鉄人の巨大感を見せる演出で、これが効いていた。「うわあ、リアルだなあ」と感心したのを覚えている。ただ、それは1話だけのスペシャルな演出で、その後、そこまで凝ったものはなかったと記憶しているが。
デザインだけでなく、物語やキャラクターの基本設定も、原作から大幅に変更されている。舞台は1990年代。つまり、本放映の10年後の世界。近未来ものだったのだ。鉄人は、太平洋戦争時に兵器として開発されたものではなく、故金田博士が世界平和のために作り上げたロボットになった。また、太陽エネルギー転換装置と独立連動システムを備えているという設定が採り入れられた。独立連動システムとは、腕や脚を失っても、通常と同じ活動ができるというものである。
正太郎は少年探偵ではなく、普通の少年だが、やはり、原作同様に悪人と戦い、銃を撃ち、車を運転する。実は、正太郎は、1話のラストでインターポールのメンバーに選ばれ、自動車の特別免許証と、敵の神経を一時的に麻痺させる銃を与えられているのだ。この設定の改変には、ちょっと感心した。『新・鉄人』では正太郎をフォローする大塚警部も、インターポールの所属である。ちなみに本当のインターポールには捜査権はないのだそうだ。世界をまたにかけて活躍する警部がインターポール所属って、同じ東京ムービー新社の『ルパン三世[新]』における、銭形警部の設定を借りてきたんじゃないか、なんて思うのだが、まあ、これは余談。
昨年の今川泰宏監督による4度目のアニメ化では、正太郎を、原作どおりの少年探偵として描いていた。1980年では、正太郎がヒーロー的に活躍する事に対して、そういった設定的な裏づけを与えるのが格好良くて、2004年にはあえて現実にはありえない少年探偵をやらせるのが面白かったわけだ。時が流れると、フィクションに関する感覚も変わってくるという事か。
今川監督版との違いで言うと、鉄人の生い立ちに関する扱いも正反対だ。『新・鉄人』が戦争が生み出したものという設定をスッパリと捨てたのに対して、今川監督版はそれを重く受け止めて、作品のテーマのひとつにした。勿論、それらの差は、対象とする視聴者の年齢の差でもあるわけだが。『新・鉄人』は基本的に子供向け、今川監督版は大人向けの『鉄人28号』だ。『新・鉄人』を小学生の時に観た世代が、今川監督版のターゲットだったのかもしれない。
『新・鉄人』は、基本的に各話完結だ。原作のエピソードはほとんど使われていないが、リモコンを奪われると、鉄人が悪の手先になってしまうのは原作と同じ。『新・鉄人』のリモコンの名称は、ビジョンコントローラーで、愛称はVコン。ネーミングも80年代の風にアレンジされたのだ。正太郎は、Vコンを何度も敵に奪われている。ネーミングと言えば、原作にない敷島博士の娘が、レギュラーキャラとして登場している。名前は敷島牧子で、ニックネームはマッキー。これも80年代的なネーミングだ。いや、むしろ70年代っぽいのか。
個々の話については、中にはプロット的に未整理なものがあったり、あまりに子供っぽい話、奇っ怪な話もあったけれど、作り手が不真面目に作っている感じではなかった。だから、観ていて嫌な気持ちにはならなかった。登場する敵は、大半がロボットを悪事に使おうとする犯罪者か、科学者。シリーズ前半を代表する悪党が、1話に登場したロボットマフィアのボス、プランチである。彼は何度か登場し、やがて正太郎の父を殺害したのが彼である事が分かる。26話「ブランチの最期」で彼は倒れて、それと前後して宇宙魔王が登場。シリーズ後半、物語は宇宙SFものの色を帯びていく。またもや余談だが、その26話で、鉄人はブランチと宇宙魔王の一味に捕らわれ、透明の十字架に入れられる。その姿は「ウルトラセブン」の39、40話の「セブン暗殺計画」を彷彿させるものだ。26話の脚本は「セブン暗殺計画」と同じ、藤川桂介。これが藤川さんのセルフパロディなのか、他の理由でそうなったのか、気になるところではある。
スタッフに目をやると、チーフディレクターが今沢哲男、作画監督が鈴木欽一郎、メカニックデザイナーが前田実と、スタジオジュニオのメンバーが、その中核となっている。僕は随分前に、この作品についての解説で「キャラやメカを現代的なデザインに一新した」と書いた。いや、確かに原作や旧作より現代的にはなっていて、それも間違いではなかったのだが、その後、言葉が足りなかった事に気がついて、ずっと訂正したいと思っていた。
それは『新・鉄人』のキャラクターは、『巨人の星』系統のデザインではないか、という事だ。頬のふっくらした感じとか眉毛の描き方に、アニメ版『巨人の星』(1968年)の影響が感じられる。もっと言えば、それは『巨人の星』を始めとする様々な作品で、キャラクターデザインや作画監督を務めた、楠部大吉郎の画だ。楠部さんはAプロダクションの創始者だが、僕らがAプロという名前を聞いて思い浮かべるスタイルと、楠部さんの作風はちょっと違う。端的に言えば、楠部さんが描くキャラクターは肉感的だ。ジュニオのメンバーは『巨人の星』『荒野の少年イサム』(1973年)『柔道賛歌』(1974年)といった、楠部さんがメインの作品に参加している。また、『新・鉄人』の少し前に『新巨人の星』(1977年)『新巨人の星II』(1979年)にも参加。彼等は、楠部流のキャラクターを受け継いでおり、それが『新・鉄人』にも現れているという事なのだろう。少なくとも僕はそう思っている。正太郎に飛雄馬の、大塚警部に伴宙太の面影が見えるのだ。
作画に関しては、何と言っても、スタジオNo.1と、スタジオZ5だ。そして、たった1回の参加ではあるが、テレコムアニメーションフィルムの仕事が素晴らしい。それについては、次回触れる事にしよう。
(2005/03/07)
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