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■「編集長のコラム」 小黒祐一郎
第19回「『あ、流れ星』への長い道のり」
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10月に放映が終わった『サイボーグ009[TV第3シリーズ]』で何が嬉しかったって、あの「あ、流れ星」が遂にアニメ化されたという事だった。今回のコラムは、オジサンの回想モードだ。まあ、お付き合いくださいませ。 「あ、流れ星」と言っても、何の事だか分からないかもしれない人も多いだろうから、ちょっと説明しておこう。漫画の『サイボーグ009』は、勿論、石ノ森(石森)章太郎が長きに渡って描き続けた代表作である。ジャンルとしてはSFアクションものだが、その内容はハードSF的であったり、ファンタジー的であったり、あるいは神話をモチーフにしたり、反戦をテーマにしたりと、多様な魅力をもったシリーズだった。アニメ化は、今までにTVシリーズが3回、劇場版が3回ある。その時期とタイトルは以下のとおり。
劇場第1作 『サイボーグ009』(1966年公開) 劇場第2作 『サイボーグ009 怪獣戦争』(1967年公開) TV第1シリーズ『サイボーグ009』(1968年放映) TV第2シリーズ『サイボーグ009』(1979年〜80年放映) 劇場第3作 『サイボーグ009 超銀河伝説』(1980年公開) TV第3シリーズ『サイボーグ009』(2001年〜02年放映)
僕は、モノクロのTV第1シリーズは大好きだったし、TV第2シリーズのムードも嫌いではなかったけれど、なんとなくアニメ版『009』に関してちょっと物足りないと思うところがあった。多分、昔からの原作ファンの多くが、同じように感じていたんじゃないかと思う。傑作と言われている「ミュートス・サイボーグ編」、「地底帝国ヨミ編」等の原作初期のオイシイ話が、TV第3シリーズ以前には一度もアニメ化されていなかったのだ。細かい事を言うと、それらのエピソードが断片的に、劇場第2作やTV第1シリーズに使われていたりする。また、「ミュートス・サイボーグ編」は、TV第2シリーズの中でアニメ化するという予定もあったが、実現していない。ちなみにTV第3シリーズの「ミュートス・サイボーグ編」に登場したアルテミス(原作ではヘレナ)は、TV第2シリーズの「ミュートス・サイボーグ編」の準備のために石ノ森先生が描いたデザインが使われている。
個人的に原作で一番思い入れがあるのは「ミュートス・サイボーグ編」なのだけれども、ま、それはおいといて、今回の話題のポイントになる「地底帝国ヨミ編」について解説しよう。「地底帝国ヨミ編」は『009』の完結編として描かれたシリーズで、各キャラクターの見せ場も多い。話の構成も凝っているし、展開もスピーディ。特に、テーマとキャラクターの魅力が集約されたラストシーンは名場面中の名場面だ。 そのクライマックス。宇宙を飛ぶ魔神像の中で主人公の009は、宿敵・黒い幽霊団(ブラックゴーストと読む)の首領を倒すが、魔神像も爆発。002が助けに来たものの、002も重力圏からの脱出にエネルギーをほとんど使ってしまい、2人は地球に落ちていく。002が009に言う、「ジョー、君はどこに落ちたい?」。009達は誰も知らぬところで戦い、そして死んでいくのか。だが、地上で、落下していく2人を見上げている姉弟がいた。姉弟はサイボーグ戦士達とも黒い幽霊団とも関係のない市民であり、民家の物干し台で星空を眺めていたのだ。そこで問題の「あ、流れ星」というセリフが出てくる(実際のセリフは、もう少し長い)。姉弟には、大気圏に落ちて燃え尽きていく2人が、流星に見えたのだ。そして、姉は星に、世界に戦争がなくなり平和になる事を祈るのだった、というところで「地底帝国ヨミ編」は終わる。 名もなき姉弟で終わるところがいいのだ。魔神像が爆発する前に、黒い幽霊団の首領(その正体は、身体のない脳みそだけの存在であった)と009のやりとりがあって、そこで首領から、黒い幽霊団とは人の悪の心が生みだした怪物であり、人間がいる限り滅ぶ事はない、という事が語られる。つまり、ちょっと抽象的な話になるわけだ。今まで戦争を起こしてきた黒い幽霊団とは、人間そのものだったのだ。人間の本性とは悪なのか? いや、そんな事はない。002は自分の命もかえりみず、仲間である009を助けるために成層圏まで飛んできたではないか。名も知らぬ少女が、世界の平和を願っているではないか(しかし、弟の方はライフルの玩具を欲しがっているという皮肉が入っているあたりが、また深い)。まあ、そんな理屈っぽい事を言わなくても、人知れず宇宙から落ちてくる戦士の姿が流れ星に見えた、というのは、なかなか素敵なシチュエーションである。 このラストシーンは、レイ・ブラットベリのSF小説「刺青の男」を下敷きにして描かれたと言われてる。もし、そうだったとしても、このラストシーンが見事なものである事に変わりはないだろう。原作『009』は「地底帝国ヨミ編」で一度完結したのだけれど、続きを望む声に応えて「実は009と002は生きていました」という事になり、続編が描かれてしまった。それはちょっと残念な事である。
TV第3シリーズまで、アニメ『009』で「あ、流れ星」のシーンが描かれる事はなかったわけだけれど、他のアニメで同じシチュエーションが何度か再現されている。物語の終盤で主人公達が宇宙から帰還する時に、地上にいる誰かが「あ、流れ星」と言う。その後で脇にいたもう1人が「何をお祈りしたの?」と訊くのが、そのパターンだ。 それを一番ストレートにやったのが『ふしぎの海のナディア』の最終回「星を継ぐ者…」のラスト。レッドノアからノーチラス号で脱出したナディア達を、地上でマリーと看護婦のイコリーナが見上げ、マリーが「あ、流れ星」と言う。その後、イコリーナがマリーに何をお願いしたのかと問う。マリーは仲間達の帰還を願い、イコリーナはもう戦いが起きない事を願う。マリーが弟の、イコリーナが姉の役回りなわけだ。そして、このシーンの直後に「終」の文字がバシンと出る(さらにその後に、エピローグがあるのだけれど)。濃い目のパロディが満載された『ナディア』らしいラストだった。 『無敵超人ザンボット3』のラス前、22話「ブッチャー最後の日」にも「あ、流れ星」がある。キングビアルの非戦闘員がカプセルで地球に戻ってくるのを、香月の妹のかおるが見上げて、そのセリフを言うのだ。当然、その後で何を願ったのかを問われる事になる。『ザンボット3』のラストでは「地底帝国ヨミ編」と同様に、主人公と敵との間で善悪問答があるので、それを踏まえた上で引用したのかも、と考えるのは勘ぐり過ぎだろうか。 『プロジェクトA子 完結編』ではシチュエーションもそっくりだ。どこかの家の物干し台で名もなき姉妹が、大気圏に突入したA子とB子を見て「あ、流れ星」と言うのである。『大空魔竜ガイキング』の最終回「壮烈!地球大決戦」でもラストに「あ、流れ星」がある。飛んでいくのは、主人公達でも仲間でもないが、ちゃんとヒロインのミドリが平和を祈る(これは偶然だと思うけれど、『ガイキング』はエンディングの歌詞の最初の部分にも「流れ星への願い」が入っている)。 ラストではなく「あ、流れ星」のセリフから始まったアニメもあった。『勇者王ガオガイガー』である。1話「勇者王誕生!」で、天海夫妻が本編が始まった途端に「あ、流れ星」と言うのだ。その後で、ちゃんと星に願いもかけている。ただ、これはパロディや名場面の再現ではなく、定番のシーンの描写とみるべきかもしれない。
とまあ、「あ、流れ星」は何度もアニメの中で描かれてきた。それほどの名場面だったというわけだ(多分、漫画でも引用された事があったはずだけど、それはちょっと思い出せない)。それらは、名シーンのパロディという意味合いが強いのだろうけど、ひょっとしたらスタッフに、アニメ『009』でやっていない名場面を自分がアニメで再現してやろう、という想いがあったのかもしれないと僕は思っている。 『009』の名場面の再現と言えば、忘れちゃいけないのがメガ―CDのゲームソフト「サイボーグ009」だ。これが実にマニアックなソフトなのである。基本的にはアクションゲームなのだけれど、ステージとステージの間にストーリー部分があり、そこで「ミュートス・サイボーグ編」や「地底帝国ヨミ編」の名場面が再現されているらしい。らしい、と言うのは、僕はこのソフトの噂を聞き、発売されて随分経ってから中古で入手したのだけれど、メガ―CDのハードは持っていないのでプレイできなかったのだ。だから、CD―ROMをラジカセに入れて音声だけ聴いた(メーカーさん、すいません)。それは予想以上に濃い内容だった。キャストはTV第2シリーズのメンバー、BGMはTV第1、TV第2シリーズの両方を使用するというこだわりよう。このBGMが、本当にいいのよ。特に、TV第1シリーズのファンにはたまらないんじゃないかと思う。 このゲームのスタッフには「『ミュートス・サイボーグ編』や『地底帝国ヨミ編』をアニメ『009』として再現しよう」という意図があったのだろう。「ミュートス・サイボーグ編」の名セリフ「あとは勇気だけだ」や「女の子は女の子らしくした方がいいよ」もちゃんと入っている。ゲストキャラのヘレナをTV第1シリーズや『超銀河伝説』の001役だった白石冬美が演っていて、これもなかなかナイスなキャスティングだった。ラストの「あ、流れ星」のあたりからTV第1シリーズのお馴染みの女声コーラスが流れ、エンディング「戦いおわって」になだれ込むあたりは旧作ファンにとっては鳥肌モノ。いやあ、わかってらっしゃる。素晴らしい。これこそファンがファンのためにやったファンの仕事だと思う。
まあまあそんなこんなで、昨年『サイボーグ009』TV第3シリーズが始まったというわけですよ。原作の連載開始から、すでに40年近く経っての再アニメ化だ。 第3シリーズは、かつてのどのアニメ版よりも原作に沿ったシリーズだった。そりゃあ、個々のエピソードや描写に関しては首をひねるところもありましたよ。だけど、いいところが沢山あった。特に、キャラデザインの紺野直幸さんの仕事は素晴らしかった。かつてないほどに原作のテイストを活かしつつ、TV第1シリーズ等の作監を手がけた木村圭市郎から、TV第2シリーズOPの金田伊功へ至るラインを継承していた(御本人はそれに関してあまり自覚的でないようだけれど)。エピソード的には、4話の0010との戦いは傑作だったし、0013のあたりの話もよかった。シリーズ全体としてはアクション主体の話よりも、読み切りのストーリー中心、ムード中心のエピソードの方に光るものがあったと思う。 そして最初に書いたように、何よりも「地底帝国ヨミ編」のラストをきっちりとやってくれたのが、嬉しかった。それだけで、僕の他の不満は解消された。スタッフもこのあたりは丁寧に作っていた。例えば、魔神像が爆発した後の「ごらんよ009、宇宙の花火だ。黒い幽霊団の最後だぜ」と002が言うカットを止め画にして、同シーンの原作の大ゴマを彷彿させる処理にしたのも見事だった。それまで割と冷静に観ていたのに「あ、流れ星」のあたりでは、不覚にも目頭が熱くなってしまった。これは自分でもちょっと意外だった。よもやこの年になって、アニメを観て涙ぐむとは思わなかった。「あ、流れ星」は感動的なシーンだと脳裏に刷り込まれているのか、それとも30ン年かけてようやく観られたという感慨だったのか。 TV第3シリーズの1話では、009が002に冗談で「どこに落ちたい?」と言うところがある。それは「地底帝国ヨミ編」のラストで、002に「ジョー、君はどこに落ちたい?」と言わせるための伏線だったはずだ。1話と最終話で同じ事を言わせて、セリフのニュアンスの違いから、その間に2人の関係がどれだけ深まったかを感じさせようという狙いであり、後であのシーンをちゃんとやるからお楽しみに、というスタッフからのメッセージでもあったのだろう。 原作初期の名場面の再現と別にもうひとつ、『009』ファンには積年の願いがある。「地底帝国ヨミ編」よりも後に描かれた「天使編」「神々との闘い編」という原作最終シリーズの完結だ。それが未完のまま石ノ森先生は亡くなられてしまったのである。TV第3シリーズでは「地底帝国ヨミ編」の後に「完結編 Conclusion God’s War」と題された2回分のエピソードが放映されたが、これも完結はしなかった。完結編のプロローグ的な内容だったのだ。漫画でもアニメでも小説でもいいから、いつか完結させてもらいたいものだ。『009』ファンの夢の全てがかなう日は、まだまだ遠い。
ところで、TV第3シリーズの「地底帝国ヨミ編」のラストにおける、009と黒い幽霊団と首領の善悪問答を聞いていて、僕は、TV第1シリーズの最終回「平和の戦士は死なず」を思い出してしまった。あれ、「平和の戦士は死なず」って思っていたよりも「地底帝国ヨミ編」のラストと重なるなあ。と言うよりも「地底帝国ヨミ編」のラストだけを取り出して、膨らませたものと考えられるんじゃないか? 「平和の戦士は死なず」は大きなテーマをストレートに描いた、TVアニメ史に残る傑作である。と言うわけで、次回は『009』TV第1シリーズ最終話について書きたいと思う。 |
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