芹川さんの話題を始めたばかりだけれど、ちょっと思いついた事があるの先に書いておきたい。
この前、ある監督との会話の中で、彼が自分の次の企画にはイラストレーターか漫画家を使って新味を出したいと言ったのだ。それに対して僕も「そうですね」とうなづいてしまったのだけれど、いや、待てよ、と思った。確かに、ここ数年、オリジナル作品でイラストレーターや漫画家、あるいはゲームクリエイターをキャラデザインに起用するケースが多いんじゃないか。思いつくままに挙げてみると、
●1998年
『serial experiments lain』
安倍吉俊(キャラクターデザイン)
『青の6号』
村田蓮爾・草※琢仁(キャラクターデザイン) ※は弓+前+刀
●1999年
『∀ガンダム』
安田朗(キャラクター原案)
『BLOOD THE LAST VAMPIRE』
寺田克也(キャラクターデザイン)
『NieA_7』
安倍吉俊(原案、オリジナルキャラクターデザイン)
●2002年
『戦闘妖精雪風』
多田由美(脚本・キャラクターデザイン)
『アベノ橋魔法☆商店街』
鶴田謙二(キャラクター原案)
『灰羽連盟』
安倍吉俊(原作・シリーズ構成・脚本)
『ラーゼフォン』
山田章博(キャラクターデザイン)
『OVERMAN キングゲイナー』
中村嘉宏・西村キヌ(キャラクターデザイン)
●2003年
『LASTEXILE』
村田蓮爾(キャラクターデザイン原案)
『GAD GUARD』
いづなよしつね(原作・キャラクター&鉄鋼人デザイン原案)
『TEXHNOLYZE』
安倍吉俊(キャラクター原案)
と言った感じだ(『灰羽連盟』は、厳密にはキャラデザインではないのかもしれないが、便宜的に入れておく)。並べてみるとやはり多い。ようするに流行りなのである。しかも、ここに挙げたタイトルの大半がコアユーザー向けのものだ。
80年代後半から90年代前半には、アニメーター(厳密に言うと、アニメ制作現場から登場したクリエイター)のオリジナルキャラを売りにしたOVAが多かった。オリジナルアニメと言えば、イコール・アニメーターのオリジナルキャラという印象すらあった。だけど、今ではオリジナルアニメに関しても、イラストレーターや漫画家のキャラクターを使った方がいいかも、という考え方があるわけだ。
どうして、こういった状況になったのか。作家を使うのは、作品のセールスポイントにするためでしょうと言う人もいるだろう。確かにその通りだ。でも、多分、それだけではない。むしろ、アニメーターのデザインが画一化されてきており、全体に似てきてしまったため、という理由の方が大きいのではないか。そう言えば、庵野秀明監督が以前の取材でそういった内容の事を話していましたね。
アニメの画がどれも似てきたというのは、いわゆる“アニメ画”が洗練されてきたという事と表裏一体なのだろう。つまり、アニメの画が洗練されて“アニメ画”として完成に近づいたら、どれも似た画になってきてしまった。洗練され過ぎて画に凸凹が無くなった、濃い画が少なくなったという言い方をしてもいいかもしれない。巧いアニメーターは増えたけれど、かつての杉野昭夫、安彦良和、美樹本晴彦のような、その人がキャラデザインをやるだけでアニメ雑誌がその作品の特集をしてしまうような、人気キャラデザイナーは減っている(これはアニメ誌の作り方の問題でもある)。
そこで、アニメの画に新たな血を取り入れようという事で、イラストレーターや漫画家をキャラクターデザイナーとして迎え入れようとしているという事なのだろう。実際、上に挙げた画描きさん達は、いわゆる“アニメ画”とかけ離れた画風の方が大半じゃありませんか。
この原稿を書いているうちに思い出したのだけれど、これまた以前の取材で、結城信輝が劇場『天空のエスカフローネ』のキャラデザインで、寺田克也や村田蓮爾の画風を取り入れようとしたと言っていた。『フリクリ』のキャラデザインは、アニメーターであった貞本義行が担当しているわけだけど、漫画家の安野モヨコ的なテイストをデザインに取り込もうという意図があったわけで、その意味では、デザイナーをイラストレーターや漫画家に求めた作品と発想が近いと言えるだろう。富野由悠季監督が『∀ガンダム』『キングゲイナー』と、続けてゲームクリエイターや漫画家を起用したのは微妙に事情が違っていて、いわゆる“アニメ画”から離れたいという思いがあったためではないか。その傾向は『機動戦士Vガンダム』の頃からあったと思う。
キャラクターデザインだけでなく、多田由美が『戦闘妖精雪風』で脚本家の一人として、『GAD GUARD』でいづなよしつねが原作の一人としてクレジットされているのも面白い。『灰羽連盟』が画期的だったのは、安倍吉俊が全話の脚本を執筆し、明らかに今までにない作品世界を構築した事だったと思う。アニメ業界外の才能の流入例としては、かつてないタイプの成功例だ。新興のプロダクションが増えて、外部のクリエイターがアニメの制作に参加しやすい状況になりつつあるのかもしれない。
アニメ史を振り返ってみれば、漫画家やイラストレーターがキャラデザインとして参加するケースは、昔から多少はあった。例えば『幻魔大戦』の大友克洋、『ボビーに首ったけ』の吉田秋生、あるいは『宇宙大帝ゴッドシグマ』の新谷かおる、『超攻速ガルビオン』のたがみよしひさ等々。ただ、ここ数年の方が、作家の画風を巧く本編に活かした例が多いと思う。それはアニメーターのスキルが向上したためというのも勿論あるのだけれど、現場がその画風を積極的に取り込もうとしているからなのだろう。
まあ、そんなこんなで“アニメ画”が変わろうとしているのかもしれない、という話でした。
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