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コラム
アニメやぶにらみ 雪室俊一

 第3回 吉永小百合と結婚!?

 若い人に「むかし、内弟子修業をした」というと、必ずきょとんとした顔をされる。いまふうにいえば、住み込みのアシスタントだが、シナリオライターという、横文字稼業と徒弟制度がミスマッチに感じられるらしい。
 しかし、映画全盛期にはライターは徒弟制度で育てられていた。しかるべき師匠の下で数年間の修業をし、その師匠の推薦で映画会社と契約するというのが、ごく当たり前のコースだった。
 ぼくの師匠は松浦健郎といって、いわゆるプログラムピクチャーの売れっ子ライターだった。映画祭で賞をもらうような作品は皆無だが、正月やお盆など、映画界のかき入れ時に、どこかの社で師匠の作品が上映されていた。全盛期には、映画3社と専属契約を結んでいた。3社の「専属」というのも破天荒だが、その専属料も破格だった。
 大卒のサラリーマンの初年給が1万数千円という時代に1社10万円の専属料をもらっていたのだ。なにも書かなくても毎月、それだけの金額が転げ込んでくるわけだ。
 しかし、師匠の評判はわるかった。弟子たちをコキ使い、娯楽映画を量産して儲けていると陰口をたたかれていた。弟子たちにきびしいところから、業界のタコ部屋ともいわれていたようだ。
 ぼくが「タコ部屋」にスカウトされたのも3人の弟子が夜逃げをしたためだった。口述筆記で原稿を書く師匠にとって、エンピツ代わりの弟子はどうしても必要だったのだ。
 さて、タコ部屋の居心地だが、そうわるいものではなかった。弟子に逃げられて、師匠も少しばかり反省したのかもしれないが、いちばんの原因は、ぼくと師匠のゼネレーションギャップにあったような気がする。
 当時、師匠は40代で、ぼくは20歳そこそこ。子どものいない師匠にとって、異星人のような若者をどう扱っていいのか、戸惑っていたのだと思う。
 家が貧しく、中学時代からバイトに明け暮れていた、ぼくにとって「内弟子」は楽な仕事であった。当然の事ながら、通勤する必要がない。なにがきらいだといって、ラッシュの乗り物ぐらい不愉快なものはなかったから。生まれて初めての個室も与えられた。本来は弟子たちの部屋だが、弟子はぼくひとりだったので、自由に使うことができた。
 食事は料理上手のお手伝いさんが部屋まで運んでくれた。冷暖房は完備しているし、まるで旅館に泊まっているような気分だった。
 深夜まで仕事をしているので、起きるのは昼前後。宵っ張りのぼくには、うってつけだった。目を覚ますと、師匠が起きる前に書斎の掃除をする。ここは聖域で、夫人やお手伝いさんにも手を触れさせなかった。
 手が切れるような水で雑巾がけをするようなこともない。いまでこそ珍しくないが、当時、どこの蛇口をひねってもお湯が出るという家はめったになかった。
 掃除が終わると、まだ珍しかった電動鉛筆削りで最高級の鉛筆を削る。原稿用紙を用意し、師匠が書斎に入るのを待つ。そして、口述筆記がはじまる。速記者のように黙々と筆記していては、内弟子はつとまらない。
 名セリフが出たときや、巧みな展開になったとき、すかさず「いやあ、恐れ入りました!」とか、「まいりました!」とか、感嘆符を発しないと、師匠の機嫌がわるくなる。
 かといって、つまらないセリフのときに「恐れ入りました」などというと、「おまえ、おれをバカにしているのか」とご機嫌ななめになる。
 だんだん、慣れてくると、自分なりに先を読みながら筆記する余裕が生まれる。こんなとき、思いも及ばないセリフが出たりすると、本心から「いやあ、恐れ入りました!」となる。
 書いていて、なんとなく不自然な部分が出たりすると、エンピツの動きが鈍る。師匠はそれを見逃さない。「なんだ? 文句あるのか」「いえ、ありません」とばかりに筆記を続けるのだが、その部分はたいてい手直しをされていた。口述原稿に師匠が手を入れ、それを弟子が清書して脱稿というシステムである。
 とにかく、この口述筆記は勉強になった。いまやどの世界でも徒弟制度は敬遠されて消滅寸前だが、ぼくは見直してもいい制度だと思う。徒弟制度の影がうすくなってからの映画界は職人ライターや職人監督というエンターティナーがいなくなってしまった。
 去年だったか、第二の石原裕次郎を誕生させようという、一大キャンペーンがあったが、尻すぼみに終わってしまった。もし、裕次郎のような青年が現れたとしても、スターにはなれないだろう。せっかくの素材を生かせる職人ライターや監督がいないからだ。
 いまの若い監督は自分を表現するのはうまいが、一人の青年をスターにするようなことは苦手だし、そんな仕事はやりたくもないのではないか。
 裕次郎の名前が出たが、師匠は初期の裕次郎作品を何本も書いている。大勢の職人が彼をスターにしたのだ。
 ぼくもそうだが、机に向かってすぐに仕事をはじめられるライターは少ない。タバコを一本吸ってからとか、CDを一枚聴いてからとか〈準備運動〉が必要なのだ。
 師匠の場合は、弟子を相手の独演会だった。むろん、仕事の話ではない。弟子を引き連れて京都に行き、豪遊した話とか、いかに女にもてたかなどという話をありがたく拝聴しなければならない。
 口述筆記同様「さすがですね」とか「ぼくもあやかりたいです」とか合いの手を入れないと機嫌が悪くなる。
 ほとんど自分のことしかしゃべらない、師匠が珍しくぼくに振ってきたことがある。
 「おまえは、なんでシナリオライターになりたいんだ?」
 まともに答えたのでは、おもしろくない。ここはひとつウケてやろうと考えた、ぼくはいった。
 「吉永小百合と結婚できるかもしれないからです」
 師匠の目が点になった。ここぞとばかり、ぼくは自説をまくしたてた。女優には男優やスポーツ選手と結婚する、ハデ系と監督や脚本家と結婚する、ジミ系がある。彼女はまちがいなくジミ系だ。したがって、自分が一人前のライターになれば、結婚のチャンスがあるのではないか。
 師匠は、やれやれという顔でいった。
 「いままでずいぶん変わった弟子がいたが、おまえは最低の弟子だなあ」
 でも、その目は笑っていた。その笑いのなかに、とんでもない企みが隠されていたのを、鈍感な弟子は気づかなかった。

(この項つづく)

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