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コラム
アニメやぶにらみ 雪室俊一

 第4回 続・吉永小百合と結婚!?

 ぼくの師匠・松浦健郎は徹底して身体を動かさない人だった。ゴルフなどのスポーツは一切やらないし、近所を散歩するようなこともしなかった。ちょっと手を伸ばせば用がたせるようなことでも、弟子やお手伝いさんを呼んでやらせる。トイレだけは弟子に行かせるわけにはいかないので、面倒くさそうに足を運ぶ。もし、万歩計をつけていたら一日に百歩も歩かなかったのではないか。
 師匠クラスのライターになると、打ち合わせや原稿の受け渡しはプロデューサーが自宅にやって来るので、仕事で出かける必要もない。
 そんな出無精の師匠も日活の仕事だけは重い腰を上げて出かけなければならなかった。「本読み」と称する奇妙な儀式があったからだ。ライターが書き上げたばかりの原稿を居並ぶ重役陣の前で読み上げるのだ。そして、師匠は自他ともに認める「本読み」の名人であった。
 テープを聞かせてもらったことがあるが、その名調子たるや、無声映画の時代だったら立派に弁士がつとまったろう。またあるときは未完成の原稿を持って本読みにのぞみ、白紙の原稿用紙をさも書いてあるかのように見せかけて、朗々と読み上げたというエピソードもある。
 「きょうはおまえも付いてこい」
 師匠は不肖の弟子に本読みの名人芸を見せるつもりらしい。ぼくは軽い気持ちで夫人の運転するクルマで撮影所に向かった。着いてみると、どうも様子がおかしい。
 本読みが行われる会議室へは連れて行ってもらえず、待っているように命じられた。
 きょとんとしている、ぼくの耳に師匠はささやいた。
 「これから吉永に会わせてやる」
 そ、そんな! なんの心の準備もなしに、あの吉永小百合に会うなんて。
 あとで分かったのだが、師匠はノーテンキな弟子をびっくりさせてやろうと、前からひそかに準備していたのだった。前から知らせると、このバカは仕事が手につかないだろうと考え、直前まで秘密にしておいたのだった。
 こんなことなら、もう少しましな恰好をしてくるのだった。といっても、ろくな服は持っていない。ましなのは師匠が自分の靴といっしょに作ってくれた、オーダーメイドの靴だけだ。後年、少しゆとりが出来ても注文で靴を作ることはなかったし、今後もないだろう。
 一生に一足の靴を履いて、ぼくは彼女が待っているという、撮影所の裏手の多摩川へ急いだ。
 生涯でこんなに晴れ渡った空はないのでないかと思われるほどの快晴の日だった。彼女は土手でスチール撮影をしていた。スタッフが紹介してくれて、ぼくと彼女はどちらともなく手を出して握手をした。びっくりするほど小さな手だった。女優というより、地方の健康な中学生といった感じの娘だった。
 いざとなると度胸がすわってしまう、ぼくは彼女を前に「ぜひ、あなたの主演映画の脚本を書きたい」と熱弁をふるった。彼女はニコニコと聞いているだけだった。
 もしかすると、「がんばってください」ぐらいのことをいわれたのかもしれないが、まるで覚えていない。
 ほんの数分の逢瀬だったが、ぼくはしあわせいっぱいの気持ちで帰途についた。師匠も本読みが好評だったらしく上機嫌だった。
 彼女と握手したことを知った師匠は、笑いながらいった。
 「当分、手を洗うな」
 「はい!」
 ごきげんの師弟を乗せたクルマは、がらがらの甲州街道をひた走る。師匠の顔が頼りがいのある、おやじの顔に見えた。
 しばらくして師匠の家に女優のKさんが遊びに来た。吉永小百合に会えるように段取りをつけてくれたのはKさんだったのだ。
 「小百合ちゃんがいってたわよ〜」
 Kさんは、ぼくの顔を見るなり、冷やかした。あとは聞きたくなかった。どうせいいことではないと察しがつく。会うなり、いきなり演説をはじめた、おかしなヤツと思われているにちがいない。が、Kさんが伝えてくれた、彼女のコメントはまったくちがっていた。
 「あの人が一人前になる頃は、私、おばあちゃんになっちゃう」
 ぼくが彼女を中学生と見たように、彼女もぼくが年齢よりずっと若く、頼りなく見えたらしい。当時のぼくはガリガリにやせていて師匠に「おい、少年!」などと呼ばれていたので無理もなかった。
 ぼくは悪い気はしなかった。「おばあちゃんになっちゃう」なんて、いかにも彼女らしい感想だと思った。
 やがて、師匠のもとを離れたぼくは、兄弟子の紹介で日活の企画部に、せっせとプロットを持ち込むようになった。むろん、吉永小百合主演の青春映画の企画である。
 そのうちの一本が通って、映画化が決定した。さあ、主演女優と脚本家としての再会が待っている。会ったときのセリフは決まっている。
 「おばあちゃんになる前に間に合ったでしょう」
 ところが雲ゆきがおかしくなってきた。その作品の主人公は高校生なのだが、既に成人女性の役を演じている、彼女に高校生は無理ではないかという意見が大勢をしめたのだった。かくして、主演はこれから売り出す新人女優ということになり、カラーのはずがモノクロになり、予算も削られて、夢はみるみるうちにしぼんでいった。
 せめてもの救いは映画雑誌が、そのストーリーに飛びついて、大きく取り上げてくれたことだった。シナリオを小説化して掲載してくれた雑誌もあった。
 しかし、出来上がった映画は、会社の上層部からコキ下ろされた。しばらくオクラになった上、二本立ての添え物として細々と公開された。ぼく自身は失敗作だとは思ってなかったので、観客の反応をみようと、関東一円の映画館に足を運んだ。当時は封切館以外に二番館、三番館とベルトコンベア式に流れていくシステムがあり、封切り後、2、3ヶ月は、どこかで上映されていたのだ。
 観客の反応は上々で、そこには目をキラキラさせて、スクリーンに見入る女子高生たちの姿があった。ただし、客が入るのは高校生の授業がない、土曜日と日曜日だけだった。土日しか入らない映画ということで館主たちの評判も悪かった。やがて、日本映画は、その土日さえ閑古鳥が鳴く冬の時代を迎えることになる。
 吉永小百合とは二度と会うことがなかった。
 後年、彼女は歳の離れたテレビのディレクターと結婚した。
 脚本家か演出家を選ぶという、ぼくの読みはズバリ的中したのだが……。

(了)

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