WEBアニメスタイル
更新情報とミニニュース
アニメの作画を語ろう
トピックス
ブックレビュー
もっとアニメを観よう
コラム
編集部&読者コーナー
データベース
イベント
 

 編集・著作:スタジオ雄
 協力:スタジオジブリ
    スタイル

WEBアニメスタイルについて メールはこちら サイトマップ トップへ戻る
コラム
アニメやぶにらみ 雪室俊一

 第9回 根っこの時代II

 終電が出て駅が灯を消してしまうと、街は闇につつまれる。不夜城のごとく明るいのは、わが電報電話局と隣の警察署だけだった。深夜2時頃になると、電報もほとんど出なくなり、我々も仮眠に入ることになっているのだが、内勤社員のNさんが泊まりのときは、それからが犯罪行為の時間になる。
 「そろそろ行くか」
 業務日誌を書き終えたNさんが声をかける。ぼくは待ってましたとばかりバイクにまたがる。無免許のNさんのバイクが後に続く。行き先は田んぼの中に、こつ然と出現した自動車教習所である。オープンしたばかりの教習所は塀も門もなく、出入り自由であった。ぼくたちの目的は、そこに並んでいるピカピカの教習車だ。不用心にもそのうちの何台かはキーが付けっぱなしになっていた。
 そのクルマを無断で拝借して、深夜の独学教習をやろうというのだ。さすがに最初はドキドキしたが、警備員も宿直の者もいないと分かると、だんだん大胆になり、まるで駐車場に預けた自分のクルマに乗るような感覚になっていた。
 もし、捕まるようなことがあっても、ぼくは未成年のアルバイターだから、新聞に名前が出るようなことはない。が、Nさんは、将来を嘱望されている正社員である。若手社員のリーダー格的存在で、ぼくもずいぶん可愛いがってもらった。その人がいたずら坊主のような顔をして教習車を運転しているのを見ると、いつしかぼくも罪の意識を感じなくなっていた。
 かくして週に一度のNさんの泊まり勤務の日は局を脱け出して、せっせと深夜教習に励むことになった。
 最初はエンストばかりしていたが、通ううちに目に見えて腕を上げていった。自由に動かせるようになると、ますますおもしろくなり、気がつくと2時間も経っていたこともある。坂道発進をこなし、S字カーブをこなし、車庫入れまでマスターした。そうなると、せまいコースではあきたらなくなる。何度か公道を走りたい誘惑にかられたが、ぼくもNさんも校名をデカデカと横腹に書いたクルマで道路に乗り出す勇気はなかった。
 いくらまわりに人家がないとはいえ、深夜の教習コースをライトを点けて走り回っているクルマをだれも怪しまなかったのは奇跡という他はない。もし、警察のパトカーにでも見とがめられたら、たちまち「ご用」になるところだが、ついに最後まで見つかることなかった。
 この秘密教習は他の社員にも知れ渡っていたが、あまり興味を示す者はいなかった。若いサラリーマンにとってクルマは、まだまだ遠い存在だったのだ。Nさんの人徳で上司に告げ口をするような者もいなかった。
 だが、この無料教習のツケは後できっちり払わされることになる。後年、免許を取るとき、ただ動かせるだけという、自己流運転のわるいクセが出て、たいへんな苦労をさせられたのだ。
 いいことずくめの深夜のバイトだったが、一度だけイヤな思いをしたことがある。前回書いた通り、1通いくらで請け負って、配達するわけだから、毎月の収入は自分で計算できる。ところが、もらう金が自分の計算よりも少ない。初めは計算ちがいかと思っていたが、こういうことが何ヶ月か続いた。Nさんに配達の原簿を調べてもらうと、配達したはずの電報が記載されていない。
 電報主任の仕業であった。差額をポケットに入れようとしたのではない。電報が増えて、夜間請負に払う予算がオーバーしそうになり、帳尻を合わすために何通かの電報の存在を消してしまったのだ。
 予算を守るために、いちばん弱いアルバイトの賃金をちょろまかすとは、いかにも小役人のやりそうなことで腹が立った。ぼくとNさんに追及されて、主任は否をみとめ、未払い分を払ってくれたが、ぼくの心は晴れなかった。本来なら当然、課長になっている年齢の男が、主任のままなのは学歴のせいだと解釈して、同情の目で見ていた、ぼくだったが、この一件があってからは、出世できないのは、上役に気に入られるために、弱い者を平気で踏みにじる、薄汚い根性のせいだと思うようになっていた。
 さて、その頃、ぼくはシナリオをに興味を持ち、昼間の空いた時間、シナリオ研究所に通っていた。当時、唯一のシナリオ学校で、第一線で活躍していたライターが、講師として次々と教鞭を取った。いつもタイトルで名前を見ている作家の顔を間近に見るだけでも満足だった。
 野田高悟や城戸四郎など、映画史に残るような人たちの講義を聴くことができたのは、しあわせだった。
 局の近くには三つの映画館があり、安い料金で3本立ての映画を観ることができた。当時の映画のほとんどはいまビデオやDVDで観ることができるが、映画は映画館で観るものだ。画面の大小ではない。他の観客といっしょに観ることによって、映画は何倍も光り輝くのだ。夜間割引で好きな映画を観て、ラーメンでも食べると、ちょうど勤務時間になる。
 待機時間が多い電報配達の仕事は、シナリオの勉強にうってつけだ。内勤の社員には先に寝てもらい、座り心地のいい課長の椅子に座って、せっせとコンクールに応募するシナリオを書いた。
 応募した作品がコンクールの佳作になり、運命の電報がぼくに届く。「アイタシ、デンワセヨ、マツウラケンロウ」。売れっ子ライターからの電報に、胸を躍らせて出向くと、「明日から弟子になれ」という。うれしい話だったが、電報配達を急にやめることはできない。ある程度、地理に精通していないとつとまらない仕事だからだ。後任を見つけるまで時間をくださいと申し出ると、師匠は「おまえはシナリオライターになりたいのか、電報配達になりたいのか」と攻めてくる。そして、もし明日来られなければ、この話はなかったことにすると強硬である。
 ぼく自身、このチャンスを逃したら、次のチャンスはいつ来るか分からないという焦りもあった。ぼくは、その足で電報局へ行き、上司に「今日でやめたい」と申し出た。はじめは給料をあげてもらいためのデモストレーション程度に考えていた上司も、ぼくが本気でやめたがっていると知ると、カンカンに怒りだした。
 結局、飛ぶ鳥、跡を大いに濁して、ぼくは最高のバイトをやめることになった。
 プロになってから、この時の体験を「泣いてたまるか」(TBS)というドラマに書いた。主演の電報配達員は、若き日の青島幸男さんが演じてくれた。この作品は新入社員の研修用の教材として採用されたので、ほんの少しだけ電報局に恩返しができたと思っている。
 先日、この局の前を通って、思わずわが目を疑った。不夜城のようだった局舎は消えて、駐車場になっていたのだ。その前に働いていた書店は、大型店の攻勢にあい昨年、店を閉じた。遊園地もとっくの昔に閉園されている。バイト先がみんな消えてしまった中で健在なのは、いちばん最初に働いていた町工場だった。まわりの町工場がみんな消えてしまったなかで、ぼくが働いていた工場は健在だった。しかも当時より大きく、立派に変身していた。
 すっかりうれしくなった、ぼくは衝動的に工場の事務室へ行き、「昔、ここで働いていた者です!」と口走ってヘンな顔をされた。
 その話を当時、いっしょに働いていた友人にすると、「そりゃ、おれたちがやめたから発展したんだよ」。
 なつかしそうに笑う友人を前にして、ぼくは胸のなかでつぶやいた。
 (きっと近いうちに彼もあの工場を見に行くにちがいない。昔の恋人に会いに行くように……)

(了)

一覧へ戻る


Copyright(C) 2000 STUDIO YOU. All rights reserved.