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コラム
アニメやぶにらみ 雪室俊一

 第16回 アニメライターの最高峰

 我々アニメライターの最高峰といえば、この人をおいていない。そのキャリアはもちろんのこと、メカものから少女ものまで、ありとあらゆるジャンルをこなす実力、そして膨大な作品数。どれをとってもこの人の右に出る者はいないだろう。その人の名は辻真先さん。アニメファンなら先刻承知の名前だ。
 ぼくが辻さんに初めて会ったのは『ジャングル大帝』を書いたときだ。ぼくは脚本助手という名目で、辻さんたち先輩ライターのために資料を集めたり、原稿の催促をしたりするかたわら、月に一本程度のシナリオを書かせてもらっていた。
 スタッフの中の最年少で呼び捨てにこそされないものの、君呼ばわりされて便利に使われていた。そんな中で辻さんだけが、さんづけで呼んでくれた。ペーペーの新米ライターを同格に扱ってくれたのだ。
 当時の虫プロは景気がよくて、原稿料は現金払いだった。脚本料のほかにハコ書き料まで払ってくれるという気前のよさで、まとまるとかなりの金額になる。自宅が同じ方向ということもあり、ぼくは辻さんに大金を届ける役目を仰せつかった。当時の金で100万近い額だ。後にも先にもこんな大金をポケットに入れた経験は一度もなかった。
 もし、スリにでもやられたら、とても弁償できる額ではない。内ポケットをぎゅっと押さえ、ひたすらドキドキしながら辻さんの自宅近くの喫茶店に向かったものだ。
 無事に大金を渡してホッとしていると、美しい夫人がかわいい二人のお嬢さんを連れて現れた。これから家族でデパートに買物に行くという。
 しあわせな家庭を絵に描いたような光景を目の当たりにして、ぼくは自分もいつかこういう生活が出来ればと羨望の眼ざしで、駅の階段を登って行く4人家族を見送った。
 やがて、僕も結婚して2人の娘に恵まれた。あのときの辻さんのように、家族でデパートへ行く夢も実現した。しかし、彼女たちの買物に付き合うことは、しあわせどころか苦痛でしかないことを思い知らされた。あのときの辻さんは、どうだったのだろうか?
 それから徐々にライターとして認められてきた、ぼくは辻さんとの仕事が多くなった。辻さんが第1話を書き、ぼくが第2話を書くというケースが多かった。前にも書いたが第1話というのは、苦労の割に報われないことが多い。『もーれつア太郎』(赤塚不二夫原作)は主人公の父親が急死するところからストーリーが始まるのだが、1話で人が死ぬのは縁起がわるいという意見が出た。そこで辻さんの出番となる。プレ1話的ストーリーをオリジナルで書いて、縁起のわるさを解消してくれた。
 あらゆる意見を巧みに取り入れ、文句が出ない本を書くのは、辻さんがもっとも得意とするところで、他のライターにはとても真似が出来ない。業界では「困ったときの辻頼み」といわれていた。
 辻さんの筆の速さは伝説的に語り継がれているが、ぼくもこの眼で見ている。『サザエさん』を例に取ると、辻さんは白紙の原稿用紙を抱えて、打ち合わせの喫茶店に現れる。ぼくたち他のライターが打ち合わせをしている間に、せっせとペンを走らせる。その動きがとまることはほとんどない。ペラと呼ばれる200字詰めの原稿用紙30枚を1時間ほどで書き上げてしまう。
 普通、出来上がった原稿はクリップなどで綴じるのだが、辻さんの場合、必要はない。書き損じがないので、買ったままの状態で渡してもバラバラにならないのだ。
 その驚異的な筆力で辻さんは10本近いレギュラー番組を持っていたのではないか。反面、筆の遅いライターは生活苦にあえいでいた。いまのように作品がビデオになったり、DVDになったりすることは皆無なので、安い脚本料だけで生活しなければならない。
 ぼくも辻さんほどではないが、筆は速い方で常に複数のレギュラー番組を持っていた。その頃は酒は一滴も飲まず、これといったぜいたくもしていないのに、月末になると預金通帳の残高は限りなくゼロに近づいていた。
 保険料が払えないので生命保険にも入ってない始末。才能があっても筆が遅いために生活出来ず、泣く泣くサラリーマンに転身したライターもいた。
 そんな窮地を救ってくれたのは辻さんだった。世界名作を小学生低学年向けにリライトする仕事を紹介してくれたのだ。原稿料は印税で、売れれば売れるだけ収入が増えた。『母をたずねて三千里』や『赤毛のアン』など、原作がフジテレビの名作シリーズで取り上げられると、発行部数が普段の10倍ぐらいになった。
 縁があってドラマの注文も来るようになった。原稿料はアニメの50パーセント増し以上が常識だった。名作にしろ、ドラマにしろ、アニメと比べ、なぜこんなに格差があるのか疑問だった。
 その頃から辻さんは少しずつ小説の世界にシフトしていき、いっしょの仕事も少なくなった。ぼくも小説の仕事を紹介してもらったのだが、自分の鉱脈が見つけられず、結局1枚も書けなかった。
 好奇心の塊のような辻さんは、アニメライターで真っ先にワープロを導入した。プリンターを入れると、100万円という高価格の上に、性能は現在と比べものにならないほど貧弱だった。それでも辻さんは親指シフトを駆使して、アイデアあふれるミステリーを次々と生み出した。
 最近も辻さんは、東京(中日)新聞に戦後のマンガ史のコラムを連載した。それを読んでおどろくのは、あの多忙きわまりない時代に、これだけの作品を読んでいたということだ。さらに趣味の温泉旅行をたのしみ、話題の映画や小説に目をくばり、優秀な新人作家まで育てている。そのエネルギーは驚異というほかない。 ぼくにとっての辻さんは、よき先輩であり、生意気な弟を見守ってくれる兄貴分であり、永遠に登頂することが出来ない最高峰である。

(了)

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