アニメ音楽丸かじり(41)
追悼・今 敏監督 その作品と音楽に迫る
和田 穣
既報のとおり8月24日に今 敏(こん・さとし)監督が亡くなった。46歳という若さ、新作『夢みる機械』制作途中での急逝である。劇場アニメーションにおいて日本を代表する監督の1人であり、大ヒットにこそ恵まれなかったが、監督作品は常に高いクオリティと評価を維持してきたように思う。『千年女優』や『Paprika』の虚実が入り交じった作風や、奔放に溢れ出る豊かなイマジネーションは、余人をもって替えがたい才能だった。
今監督の能力は多方面にわたっている。豊富なイマジネーションを具現化できるだけの、卓越した画力があったのはWEBアニメスタイルの読者ならご存じのとおり。自身の公式サイト「KON'S TONE」や映画『パプリカ』公式ブログなどにおいて、自作品に関連する多くのテキストを遺しており、作劇や演出について一家言のある、理論派の監督であったことがうかがい知れる。また文章自体についても、滾々と湧き出るような饒舌さや、随所に見せる知性やユーモアはまるで自身の映画のよう。文章家としても才能に恵まれていた方だった。
今 敏作品における音楽について語るなら、まず平沢進の名前を挙げるのが適切だろう。『千年女優』『妄想代理人』『Paprika』の3作で劇伴と主題歌を担当しただけではなく、監督自ら「(先生と呼ぶべき人は)特にいません。ただ『千年女優』の音楽を担当していただいた平沢進さんには私淑しています。氏の音楽や制作態度には多く学んでいますし、私の作る物語や発想は氏の影響に負うところが大きいです」(公式サイトより)とまで語るほどの大きな存在である。単に楽曲が好きというだけではなく、その制作態度にも共感していたというのが興味深い。確かに、売れ線とは無縁の独創的な音楽を作り続けながら、30年以上も商業音楽の世界に踏みとどまってきた平沢進の立ち位置は、今監督と重なる部分も多いような気がする。
さて、まずは知名度も高く、個人的にも愛聴してきた『千年女優』オリジナルサウンドトラックを紹介したいところだが、残念ながらAmazonでは現在品切れ中。いずれ再発もしくは再入荷されると思うが、それまで待てないという方には、いささか変化球だが平沢進のソロ作品「賢者のプロペラ」を紹介したい。
実は『千年女優』サントラと「賢者のプロペラ」は制作時期が近かった事もあり、いくつかの楽曲でフレーズやアイディアを共有している。「同じ楽曲の別アレンジ」と呼んでも差し支えないほど似ている曲もあり、「賢者」を聴けばかなり『千年女優』に近い雰囲気を味わえるのだ(もちろん「賢者」には平沢自身によるヴォーカルが入っているから、インストにこだわる方にはお薦めできないが)。『千年女優』のテーマ性を端的に表現していた主題歌「ロタティオン(LOTUS-2)」も収録されており、このアルバムにおいても終盤の重要な位置を占めている。
続いては、今監督にとって唯一のTVシリーズとなってしまった『妄想代理人』のサウンドトラック盤。現代日本の社会的な問題をテーマのひとつとしているせいか、平沢お得意の民俗音楽やクラシックの要素はやや控えめで、テクノやエレクトロニカ色の強い現代的な作風が特徴だ。第2話でフィーチャーされたイッチーのテーマ曲「条件童子」は、音響監督からのオーダーが「ヒップホップ風」だったという。平沢進の音楽歴を知る人なら、「あのヒラサワにヒップホップかよ!」と唖然とするのではないだろうか(笑)。
そしてOP主題歌「夢の島思念公園」は、爽快で明るい曲調と、皮肉の効いた歌詞とのミスマッチがインパクト満点。世界中で起きている戦争や災害から徹底して目を背けるような、「自己責任の回避」ともいうべき視点は作品のテーマそのものだ。さらに登場人物たちが呵々大笑するという異様な映像が加わり、不気味さと後味の悪さは比類がない。TVシリーズであっても安易に視聴者に媚びない姿勢は、今監督と平沢進のタッグらしいものだった。
未完となった『夢みる機械』をどなたかが引き継いで完成させるというプランもあるようだが、現時点では『Paprika』が最後の劇場作品という事になる。今監督が敬愛する筒井康隆の小説の映像化であり、現実と幻想が入り交じる作風の極地とも言うべき、強烈なイメージの奔流を楽しめる作品だ。
WEBアニメスタイルのコラムでもお馴染みの三原三千夫が担当したのが、本作の象徴とも言えるパレードの場面。ここではその名も「パレード」という楽曲が使用された。平沢ソロにおける初期の代表曲「ハルディン・ホテル」を思わせる、祝祭的でありながらもどこか歪さと不気味さを感じさせる音楽だ。
また『千年女優』サントラと「賢者のプロペラ」が兄弟作の関係にあるように、『Paprika』サントラと平沢進のソロアルバム「白虎野」もまた多くの要素を共有している。残念ながら現在は品切れ中だが、もし入手する機会があれば、聴き比べてみるのも一興だ。
今監督が逝去したいま、『夢みる機械』を除いて新作は期待できなくなってしまった。しかし僕は、いくらかの寂しさと失われた才能への哀惜を感じつつも、これが単なる悲劇とは思えない。なにしろ我々は今後も遺された作品や文章を通じて、いつでも今 敏の豊穣な内的世界にアクセスできる(それこそ『Paprika』の夢診断のように)。その作品歴は劇場作品4本、TVシリーズ1本と数こそ多くはないが、この先何度も濃密な視聴体験を約束してくれるだろうし、研究の対象にもなるだろう。そして今後もきっと新たなファンを増やし続けるはずだ。だから悲しみよりもまず、今監督の恵まれた才能と、それを世に出してくれた関係者への感謝の気持ちの方が強い。異端の才能が商業作品の枠内で成功し続けることは難しいが、今 敏と平沢進の存在は、決してそれが不可能ではないという事の証拠になると思うのだ。
(価格はすべて税込)
(10.09.07)