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アニメの作画を語ろう
animator interview
三原三千夫(1)
『走れメロス』と『もののけ姫』


 『Paprika』の劇中に度々登場した“夢のパレードシーン”に圧倒された観客も多いだろう。あの一連のシーンの作画を担当したのが、本誌に連載されていた「三原三千夫の万国博覧会」でお馴染みの三原三千夫なのである。『ケモノヅメ』12話では、1人で全カットの原画、そして動画の一部まで描き、実に濃密なフィルムに仕上げている。「最近になってアニメーションが本格的に面白くなってきた」と語る彼に、アニメーションについての考え方など、色々な話を語っていただく事にしよう。

2006年11月17日
取材場所/荻窪・マッドハウス会議室
取材/小黒祐一郎
構成/小黒祐一郎、五所光太郎

 
PROFILE

三原三千夫(MIHARA MICHIO)
アニメーター。1965年10月4日、大阪府生まれ。ビジュアル80でアニメーターとしての活動をはじめ、その後、フリーに。今までの代表的な仕事は『妄想代理人』(絵コンテ、作画監督、原画)、『茄子 アンダルシアの夏』(作画監督補)、『ケモノヅメ』(作画監督、原画、動画)。『自転車ショー歌なんでショーか?』(作画監督、原画)等。なお、『自転車ショー歌なんでショーか?』は『茄子 アンダルシアの夏』DVDコレクターズ・エディションに収録されたミュージッククリップだ。本名は三原三千雄。『茄子』の取材記事で、名前を“三千夫”と誤記されたのが気に入り、以後、三原三千夫を通名とする。仕事と別に自主制作アニメを手がけており、現在、第2作『おかしなホテル』を制作中。


【主要作品リスト】

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小黒 「三原三千夫の万国博覧会」の話から行きましょう。連載ご苦労様でした。
三原 ありがとうございます。
小黒 どうでしたか、1年間やってみて。
三原 本当に何もかも喋りつくして……もうネタがないです(笑)。普段喋っている事をそのまま書いているだけなので、ネタ的にはあれがほとんどですね。
小黒 ああいうふうに、自分の喋りの調子で文章を書ける人って、案外いないですよ。
三原 そうなんですか。まとまった文章を書くのは、小学校、中学校の作文以来だったんですが、文章書く事自体が面白かったんですよね。一応、主語、述語、句読点には気をつけて書きました(笑)。
小黒 なるほど。そもそも三原さんは、子供の頃から画を描くのがお好きだったんですか。
三原 アニメスタイルの連載にも書きましたけど、小学校時代から落描きはしてましたね。いつも教科書の四隅に、パラパラマンガをページの最初から最後まで描いてましたから、かなり好きだったんだと思います。
小黒 その頃から、1枚画は描いてたんですか。
三原 ええ。マジンガーZや、仮面ライダーを描いてました。子供の頃に模写をした記憶がないんですよ。だから、マジンガーZも、TVを観て覚えていたものを描いてました。何か覚えたものを描くっていうのは昔からやってきてましたね。本格的に画を描いてたわけじゃないです。授業中とかに気がついたら描いていたという。
小黒 なるほど。それで、アニメーターになったきっかけというのは。
三原 やっぱり、宮崎(駿)ファンだったんですよね。僕は1965年(昭和40年)生まれですけど、僕らの世代は、『未来少年コナン』や『カリオストロの城』を観て、アニメファンになった人が多いと思うんですよ。あと、やっぱりアニメが好きだったから、やってみたかったんでしょうね。あの頃の「アニメージュ」は、アニメーターっていうのはこんな仕事なんだって分かるような記事が多くて、大体どんな事をするかは知ってましたから。
小黒 最初に入られたプロダクションっていうのは、どこになるんですか。
三原 ビジュアル80ですね。
小黒 それ以前に専門学校とかには?
三原 行ってません。高校卒業後、設計事務所に1年ちょっと勤めていたんです。それで、ビジュアル80の募集が「アニメージュ」に載っていたので、応募して入ったという感じですね。
小黒 アニメ界の師匠は、どなたになるんでしょう。
三原 具体的な師弟関係みたいなものは、なかったですねえ。作画の技術的なところを教えるシステムって、日本のアニメーションではあまり聞かないじゃないですか。まあ、テレコムとかがどんなふうにやっているのかは、僕は知らないんですけど。まあ、ビデオを観て研究したり、本を見て描いたり、独学に近いですよね。渡辺純央さんってご存知ですか。
小黒 はい。演出の方ですよね。
三原 ビジュアル80で、あの方が上司だったんですよ。渡辺純央さんは、短編作品とか、個人作家のアニメーションが好きで、そういうものについて教えてくれたのが大きかったですね。
小黒 仕事以外のアニメーションについて教えてくれたんですね。
三原 ええ。仕事以外で、そういう世界があるんだっていう事を初めて知りました。渡辺さんが、当時LDで出ていた「ANIMATION ANIMATION」を観せてくれたんですよ。TVでやっているようなアニメーションではない、岡本忠成さん、川本喜八郎さん、(ユーリ・)ノルシュテインについて知る事になって、それで、自分の方向が、ある意味曲がってしまった(笑)。まあ、どんな道筋をたどっても、行き着くところに行き着くんでしょうけど、マイナーな路線に突入してしまうきっかけは、作ってくれたんじゃないですかね。
小黒 なるほど。初原画は何になるんですか。
三原 初原画は、『スパイラルゾーン』(合作、1988)です。
小黒 海外との合作作品ですね。
三原 最初から爆発とかを描いてましたね。どんなふうに描いたのか、もう全然記憶にないんですけどね。今観たら、酷いものでしょうね。
小黒 その後、ご自身の中での大きなお仕事っていうと何になるんでしょう。
三原 やっぱり、『走れメロス』(劇場、1992)ですねえ。井上俊之さん、沖浦(啓之)さん達と一緒に仕事をさせてもらって。本当に、凄い人が沢山いましたね。磯(光雄)さんの原画を見るのも初めてだったし。具体的に、自分が描けた描けなかったっていうより、同じくらいの年齢で凄い人が沢山いると知ったのが大きかったです。仕事して技術が身についたとか、そういう事は別にして、『走れメロス』では、自分の意識が高まったというのはあったと思います。
小黒 『メロス』は、現場に入ってやられてたんですか。
三原 ビジュアル80に1年半ぐらいいて、それでマッドに入って、川尻(善昭)さんの『(MIDNIGHT EYE)ゴクウ』(OVA、1989)とかに参加しまして。その後で、ビジュアル80が久しぶりに劇場をやるっていうので、呼び戻されて『走れメロス』に参加したんです。だから、スタジオに入ってました。
小黒 実際に沖浦(啓之)さんと話をしたりとか、そういう機会も多かった?
三原 そうですね。あんまり、大した話はしてないですけども。
小黒 この時、今(敏)さんも現場にいるんですよね。
三原 そうなんです。今さんもレイアウトでやってましたね。その時に、今さんにはよく呑みに連れていってもらいましたね。朝の7時ぐらいまで「アニメーターはロクでもない」という話を聞かされましたよ(笑)。
小黒 (笑)。ロクでもないっていうのは、画が?
三原 いや、いつも「画についてはマンガ家よりも巧い」みたいな話になるんですけど、スケジュール管理ができていない。「マンガ家だったら、即クビだ」みたいな話を、よく朝まで聞かされていました(笑)。だから、あの時に知り合った人は、自分にとって大きいですよね。
小黒 『メロス』では、具体的にどんなところをお描きになったんですか。
三原 まとまったところだと、最初にメロスが街に来て、子供たちに取り囲まれるあたりですね。今から観たら、ほんとに原画枚数少ないんですけど。
小黒 いやいや、立派に動いてましたよ。
三原 それなりに動いてたところは、沖浦さんが直してくれてるんだと思うんですけどね(笑)。あとは、手伝いで色んなところをちょっとずつやったりしてます。
小黒 子供達と出会うところっていう事は、井上さんが担当した、闘鶏場のシーンの前ですね。
三原 ええ。あの鶏は衝撃的でしたね。それから馬も巧かった。井上さんの凄さは、物の形を立体的に描けるところと、線の綺麗さですね。やっぱりすげえ人がいるんだと思いましたよ。
小黒 『メロス』の前に、『CYBER CITY OEDO 808』(OVA、1990、第2話)で、キャラクターデザインという肩書きになってますが。
三原 あれは川尻さんの清書ですね。自分でもほんと向いてないと思ったんですけど、まあちょっと色々ありまして、やらざるをえないみたいな。
小黒 つまり、川尻さんのラフがあって、それを元にキャラクターデザインを。
三原 デザインったって、なぞるだけですよ。なぞって、丸山(正雄)さんに「下手だ」って言われただけですね(苦笑)。
小黒 (笑)。その後、『恐竜惑星』(TV、1993)のキャラクターデザインもおやりですよね。
三原 あれは、ほんとに恐竜だけですね。キャラデザインじゃなくて、恐竜だけです。恐竜が好きだったんですよねえ。
小黒 この頃から好きだったんですね。もっと前から好きだったんですか。
三原 いや、もう子供の頃からですよね。
小黒 『恐竜惑星』の仕事はどういった経緯で?
三原 あれはジュニオからきた話で、それも『メロス』で宮沢(康紀)さん、松田(勝己)君とかと知り合って。その後、赤堀(重雄)さんとマッドで知り合って、その関係で仕事をもらったんですよね。
小黒 翌年の『ジーンダイバー』(TV、1994)もその流れで?
三原 そんなものありましたっけ。全然覚えてないですけどねえ。それはやってないんじゃないですか。
小黒 クレジットには、名前が出ているようなんですが。
三原 (少し考えて)ああー、ちょっとだけやりましたね! ネアンデルタール人とか描いた覚えがある(笑)。
小黒 あ、そうですか(笑)。メインどころとかじゃないんですね。
三原 いや、全然違います。だから、本編がどうなっているかは全く知らないです。
小黒 その後、ご本人の中で、大きなお仕事というと何になるんでしょうか。
三原 うーん、『もののけ姫』(劇場、1997)は、ある意味大きかったですね。やっぱり宮崎ファンだったんですけど、一時期かなり否定的になってしまって。画がとにかく嫌いになって、ああいうふにゃけたっていうか……これ、記事にならないですよね?(笑)
小黒 いや、三原さんが記事にしていいと言ってくれたら、記事にしますよ(笑)。
三原 まあ、ふにゃけてますよねえ、キャラが。
小黒 言われる事はよく分かります。三原さんは『未来少年コナン』の頃の画は好きなんですよね。
三原 うーん。一番好きなのは、宮崎さんの画というよりは……東映の『長靴をはいた猫』とか、あれは美しいですよね。森康二さんという人が、やっぱり素晴らしいんだと思います。森さんっていうのは、今忘れられているかもしれませんが、凄い人なんですよね。結局、森さん達が作り上げた土台の上で仕事をしている人達の画は、必然的にそのコピーであり、劣化せざるをえないんですよ。あと、これも宮崎さんの批判になりますけれど、結局手塚好きだったんでしょうね。それも大きい……。
小黒 宮崎さんが、手塚治虫が好きだったという事ですか。
三原 ええ。手塚治虫を読んできた世代ですよね。だから、手塚治虫のマンガが好きかどうかは別にして、画的な面でその上に乗っかって仕事をしてる。あくまでキャラクターの画についてだけですけど。
 日本のアニメーションの画はどうあるべきかと考えると、森さんの画は出発点ですよね。『わんぱく王子の 大蛇退治』ってかなり完成度が高いというか、結局、日本ではあれ以上のキャラクターって出てないんじゃないですか。平面的でありながら、きちんと芝居ができるキャラクターですよね。日本独自のアニメーションのキャラクターとして完成されたものだったんだと思うんですよ。逆に宮崎さんのキャラは、どこまでいってもマンガですよね。アニメーションのキャラクターじゃないと思います。それが『もののけ姫』をやって、はっきり分かった。
小黒 なるほど。特に『もののけ』の画って、前後の宮崎作品と比べても、変わってますよね。
三原 『もののけ』批判をして、作画監督の安藤(雅司)さんの批判につながってしまうと困るんですけど、安藤さんの画は、やっぱり宮崎さんから離れたがってたみたいですよね。キャラ表を見ても、それは感じました。でも、本編の作業になると、どうしても宮崎さんのラフをなぞるというかたちになってしまうので……。モブシーンのために安藤さんが作ったキャラとかは、相当宮崎キャラから外れてましたよ。僕は、いいキャラだと思いましたけど。あと、『もののけ』で嫌だったのは、画面作りですね。どんな背景にどういうセルを載せるかという事が、全く考えられていないのが嫌なんですよ……これ、そのまま記事になるんですか(笑)。
小黒 三原さんが原稿チェックをして載せていいと思ったら、このままいきましょう。確かに『もののけ姫』は映画の内容はともあれ、アニメ的というか、セル画の感じがイケてないんですよね。
三原 そう、イケてないんですよ。
小黒 まだ、その前後のものの方が、スタイルとして完成してて。
三原 そうですね。『紅の豚』とか……。
小黒 『魔女の宅急便』なんて、めちゃくちゃ綺麗ですよ。
三原 結局、宮崎さんの画自体が、日本人のキャラクターを描くにはそぐわないんですよね。
小黒 お姫様とか王子様には向いてるけど。
三原 やっぱり森さんが作った『どうぶつ宝島』とか、『長靴をはいた猫』のヒロインの方が、断然美しいと思いますよ。クラリスよりローザ姫の方が、遥かに美人だと思いますし。まあ、それは好みの問題と言われればそうなんですけどね。やっぱり、過去の東映の作品って、土田(勇)さんや浦田又治さんの実線の入った背景に、森さんの端正なキャラクターが凄く上手く載っていて、1枚の画として見て、画面的にはかなり評価できると思うんです。それに比べて、宮崎さんの作品は、とにかく画として完成してない場合が多くて、リアルな人間ドラマとか、そんなところにばっかりいってますよね。アニメスタイルの連載にも書きましたけど、日本のアニメがそういうふうになってしまっているのは、どうしてなんでしょうかねえ。
小黒 そういった主義主張は別にして、『もののけ』には、かなり長い期間参加されてたんですよね。
三原 最初から最後までやろうと思っていましたから。
小黒 どんなところを、お描きになってたんですか。
三原 僕がやったのは、主に猪のところです。あと、最初にやったのは、近藤(喜文)さんのレイアウトがあったんですけど、タタラ場でのモブシーンですね。アシタカは描いてませんが、ちょっと俯瞰気味で人が歩いてたりとか、そういうところは面白く描きました。全般的にモブシーンを描くのはいつも楽しいですねえ。キャラ表を見なくていいですから。
小黒 (笑)。
三原 キャラ表があると、自分の画が下手になるんですね……思い上がった発言ですが(笑)。自分の画の一番いいところが削ぎ落とされたりするので、キャラ表がないものの方が描いてて楽しいですね。
小黒 『パルム(の樹)』(劇場、2002)も、相当の量やってるそうですね。
三原 そうですね。『パルム』も相当やりましたが、かなり手を抜いてやってますねえ。
小黒 そうなんですか。『猫の恩返し』(劇場、2002)はどうですか。
三原 『猫の恩返し』は面白かったですね。あれはかなり動きが面白く描けた作品でした。かたちが単純だと動きに集中できるんですよね。本当は、昔の東映動画的な「動きがあってこその、アニメのキャラクター」みたいなところまでやりたかったんですが、そこまではできなくて。
小黒 どこら辺をおやりになったんですか。
三原 猫達が宴会芸を披露するあたりですね。傘で玉を回したり。
小黒 なるほど。あそこのシークエンスだけですか。
三原 他の方の原画に手を入れる作業もやらせてもらいました。(後半で、バロン達と猫の兵隊が繰り広げる)乱闘シーンとかですね。それから、猫が(ムタに蹴られて)外に放り出されて落ちるところや、(バロンの)ステッキでどつかれるところとか、かなり面白くできましたね。またあんな作品があったらやってみたいです。
小黒 主に猫だったんですね。
三原 猫しか描いてないです。主人公のハルちゃんも描きましたけど、彼女の顔も半分は猫でしたからね。
小黒 話が前後しますけど、(『MEMORIES』の)「最臭兵器」(劇場、1995)は、わりと気持ちよく参加できた作品なんですか。
三原 いやあ……あんまり面白くなかった。だって、やっぱり「大砲の街」の、小原(秀一)さんの画があまりにも素晴らしかったので。
小黒 そうですね。
三原 これはオフレコですけど、あの時、俺は井上さん批判もしてたんです(笑)。
小黒 ああ、「彼女の想いで」での、井上さんのお仕事を。
三原 キャラの芝居が……井上さん本人もあとで言ってましたけど、磯さん、大平(晋也)さん、田辺(修)さんみたいな流れができつつある中で、今さら『AKIRA』的な芝居はないだろう、みたいな。たとえば驚く芝居にしても、ああいう表現では……。でも、あとで、それはそれで日本のアニメーションらしい表現なのかな、と思い直しまして。
小黒 井上さんのアニメーションが、あの内容に合ってましたよね。
三原 そうなんですよ。だから、何か思い上がってたんでしょうね。まだ、若者だったからかもしれません(笑)。
小黒 今の発言は載せても大丈夫ですよ。
三原 いや、今の発言で誤解されるとちょっと困るんですけど、井上さんの凄さというのは、当時から分かっていた事なんです。でも、「もっと凄いものがあるんじゃないか」みたいな雰囲気もあったんですよ。ありましたよね?
小黒 それは三原さんだけではなくて、若手のアニメーターの中で、大平さんとか、磯さん系統の作画が注目されていたという事ですね。
三原 そうですね。自分はそういうものを描いてはいませんでしたけど。でも、今になって、井上さんの凄さって、改めてよく分かりますよねえ。
小黒 井上俊之的なアニメーションってありますよね。
三原 磯さんとか大平さんとかが狙っているような、生っぽさやリアリティがないからといって、あれがよくないというわけじゃなくて、あれはひとつのスタイルですよね。素晴らしいし、凄い仕事だと思います。
小黒 あの、それで言うと、『MASTER KEATON』(OVA、1999)で部屋の中で戦うシーンを描かれていたじゃないですか(CHAPTER 27 赤い風)。
三原 ええ。佐々木(守)さんの作画監督の回ですね。
小黒 あれは三原さんの原画そのままですよね。最初に観た時、井上さん的な作画だと思ったんですよ。カッチリしたリアルな感じで。
三原 前にも小黒さんにそう言われましたけど、俺は全然違うと思うんですよ。今でも、動かし方が分かってるとは言いませんけど、もっと分かっていなかった。あれは原画枚数も全然少ないですしねえ。自分の中では、全然納得できていない仕事なんですよ。
小黒 『MASTER KEATON』は、ご自身の中ではどういう作品なんですか。
三原 比較的面白かったですね。笹木信作君の回とか、何かやろうとしてるって事が伝わってきましたし。
小黒 今思うと、ジブリ系統の人が、わりと入ってるんですよね。
三原 そうなんですよ。高坂(希太郎)さんのつながりですよね。流れ的にも、『もののけ』が終わったあとでしたから。まあ、僕としては、そんなに思い入れはないんですけどね(笑)。
小黒 (笑)。
三原 最近ですよ。ほんとに仕事が面白くなってきたのは。

●animator interview  三原三千夫(2)「『茄子』での発見と『妄想代理人』」に続く

(07.01.12)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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