|
|
第47回 ショメの仕事のスゴイところ
|
アニメーション作家、シルヴァン・ショメ。『老婦人とハト』『ベルヴィル・ランデブー』、この2作品だけで、もう巨匠と言っていいでしょうね。同い年ですよ! ボクと。スゴイなあ、本当にジーニアスっているのね。特にアニメーション作家として、スゴイと思うところは、キャラクターの造形と動かし方、見せ方、その思想、哲学ですね。画面の中である人物が登場すれば、キャラクターの造形や動き方で、どういう人物か分かってしまうところです。セリフもなしにですよ。日本のアニメは実写に近いリアルな感じの動きや、ディフォルメの少ない(目の大きなキャラクターはありますが、それは顔だけで全体的なシルエットはむしろリアルな方向じゃないと成立しないみたいですね)キャラクターで、本当はアニメで表現する必要の薄いと思われる人間ドラマなんかを、得意とするわけですけど、それって本当にアニメでやらなきゃならない事なんですかね。日本でも昔の東映の作品『わんぱく王子の大蛇退治』で、森やすじさんたちの本当にすぐれた仕事で“正解”に近い作品もできてたんですけど、それ以降日本のアニメは、リアルなドラマに偏重した方向に進んでいってしまうんですが、なにかそちらの方には、本当によい土地はないような気がするんですがね。ゴミの最終処分場のような気がしますが。あくまでもこれは、ボクがそんな気がするだけなんですけどね。それにゴミの処分場だって、おもしろい場所といえばおもしろい場所ですしね、充分に。
ショメの仕事を見ていると、もちろんショメの天才と個性によるんですけど、欧米人と日本人の芝居と絵のディフォルメの仕方の度合いの違いに驚くんですが、この違いはなんなんでしょうか。やはり文化的なものの違いなのか、しかし、19世紀末の世界では、歌舞伎や浮世絵など日本の文化の方が、ディフォルメはヨーロッパの文化より得意だった時期もあるようなんですがね。いったい誰がそうしてしまったのか、手塚、宮崎のツートップですか、悪い人たちは。ってもちろん、ジャパニメーションが悪いんじゃなくて、ボクが嫌いなものが多いだけなんですけどね。でも、もっと「絵」として成立するべきなんじゃないですかね、アニメーションなんだし。もちろんボクも、そんな仕事はできてませんが、目指したいとは思います。
■第48回へ続く
|
|
|