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第44回 王の帰還って、本当に王様なんているの?
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「指輪物語」を初めて読んだ高校の頃は熱中してましたね。なにがオモシロかったのか。当時どちらかというと、ホビットたちのことよりも体も大きく長生きで、たぶん遺伝子からして違う人間の王のヌメノール人の末裔アラゴルンの冒険の方が好きだったんですね。英雄の物語、地位も美人も手に入れる男の話。しかしあれから25年。自分が完全に一庶民であると思い知っている今日では、アラゴルンの物語は素直に読むことができないんですね。
例えば、あの物語の中に自分が登場するとしたら、どんな役回りをあたえられるのか。オーク鬼に焼き討ちされ、殺される村の農夫。サウロンとの最期の大戦争で殺される雑兵。よしんば生き残れたとしても、家も食べ物もなく、泥だらけの道で雨に打たれてうずくまっている男。そんなふうに感じると、もう物語の中に入り込めなくなってしまいます。
アラゴルンもサウロンも、本当に迷惑者で腹が立つ。正義と悪の戦いって、それ本当? 自分の都合のいい世界を作りたいだけじゃないの? 自分たちだけでケンカしていて、オレのことは放っておいてくれ! と思っちゃいますね。物語の最後には、王が戻ってきて万歳! となるんですけど、ボクは王様なんていらない。もちろんいやだと言っても、「オレが王様。お前ら土下座。言う事聞かねば首はねる」と言われたら土下座しますが。
「新日曜美術館」の番組の中で、あるフランス人写真家が、市民は完璧なアナーキストたれと、自分の足で地面に立ちなさいと、王を頭上にいただくなと、自分や家族、友人たちの命がおびやかされる時、自分の責任で銃を持てと、けして誰かに命令されて戦うな、と。カッコよかったですね。ボクにはそこまでする勇気はないでしょうけど、そうありたいとは思いますね。
国や、政治や、ガンダム、エヴァンゲリオン、主役になれると思ったら大間違い。脇役は泣きをみるばかり。ことさら大きなナショナリズム、やれおそろしや、おそろしや。
あの物語、今読めば、ホビットたちの気ままな暮らしこそよきものなり、サウロンやエルフや偉い人たちのことなど我知らぬ、という感じですね。
あらゆる事象に1人だけ無関係な人、トム・ボンヴァディルも好きですが。
■第45回へ続く
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