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読者コーナー(06.08.28)
三原さんへのファンレターなど
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さて、前から告知していた編集部にいただいたメールを紹介するコーナーですよ。まずは『時をかける少女』絵コンテ本について。
『時をかける少女』の公開が私のすんでいる地域でも決定しました。
絵コンテ本を観てから購入しよう、と思っていたのですが、現在Amazonでも楽天ブックスでもYahoo!ショッピングでも購入できなくなっているのですが、再販の予定はございますか?
(ペンネーム 無し)
●似た内容のメールを、他にも何通かいただきました。『時をかける少女』絵コンテ本は、すでに刷り増し分が出来上がっています。各ネット書店でも買えるようになっていくはずです。それから、『時をかける少女』絵コンテ本は一般書店でも注文できますよ。
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三原三千夫さんの連載をいつも楽しみにしている、新米アニメーターです。
三原さんについては、以前、「抜群にうまいのに、ご本人はあまり表には出ない」と聞いており、その職人っぽい仕事姿勢に密かに憧れていました。文章の上手さにもびっくり、文は人柄を表すと思っているので、ますます惹かれてしまいました。
女の子は読んでないだろうな、と書かれていましたが、いえいえ、楽しみに読んでますよ。いつかいつか、三原さんの仕事を手にとれる機会があったらなぁ、と、仕事に励んでいます。
これからもご活躍期待しています。そしてもっと連載続いて欲しい……。
(show)
●どうやら女性からのファンメールのようですよ。三原さん! 今まで三原さん宛に届いたメールは、三原さんに渡して読んでもらっています。連載はラストスパートですが、今後も応援よろしくお願いします。
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はじめまして。いつも楽しくサイトを拝見しています。『時をかける少女』ですが、映画の感想をどこへ送ればいいのかわからなかったのでこちらに送らせていただきます(公式サイトにも掲示板がないので……)。
私は原作も過去の映像作品も見たことがなく、原田知世の歌しか知らなかったので本当に何も知らずに観にいきました。でも、なんだかあっという間に引き込まれて、もの凄い充実感をもらってしまいました。
最初はアトラクションを体験しているみたいで、タイムリープって激しいな〜とか、福島先生の顔がリリー・フランキーに似てるとか思う余裕もあったんですけど(笑)、タイムリープが繰り返されるせいかこっちも時間感覚が混乱してくるし、楽しくて笑っていると笑っている場合じゃなくなったり、忙しく真琴と一緒に駆け抜けられました。
疾走感と爽やかさと切なさが体全体に染み付いてしまって、しばらく取れそうにありません。映画館では人目を気にして泣くのを我慢していたので(ぽろっとは零れてしまいましたが)、家に帰ってから号泣しました。洗濯していても米をといでいても涙がぽろぽろ止まらないんです。コンテを読んでまた号泣。主題歌を聞いてまた号泣(笑)。こんなにどっぷりはまって、時間を気にしなかった映画は初めてでした。大好きです。
映画館を出たらめちゃくちゃ晴れていて、夏が来てしまっていて、とても良い感じでした。やっぱり「今」があることって、苦しいこともあるけど嬉しいことです。私は今、全然未来なんか見えません。考えても辛いことしか浮かばないんです。でも、ちゃんと今が未来に繋がってると思えれば、今を過ごす意味が見えるなと思いました。
この夏に「時をかける少女」を観たことは、忘れません。
そういえば6,7歳くらいの女の子がお母さんと観にきていて、凄く楽しそうに笑っていました。10年後に観たことを思い出して、また観たら感じ方が違うんだろうな〜と思うとちょっと羨ましくなりました(6、7歳の記憶はないと思いますが)。
最近はアニメ離れをする一方だったんですが、まだまだ希望はあるんだなと思いました。とってもステキな映画が観れて、心の底から嬉しいです。映画を観にいってよかった、こんなにステキな作品があってよかったと、よかったよかったばかり言っています。スタッフの皆さんに、ありがとうございますと言いたいです。
いつもより良い夏が過ごせそうです。他の映画は観ません(笑)。
長々と書いてしまいすみませんでした。
アニメの情報は唯一WEBアニメスタイルでしか見ていないので、これからの記事も楽しみにしています。とにかく時かけは今年で……これからもずっと1番なような気がします。
(フジシロ)
●感想メールありがとうございました。フジシロさんのメールは監督や、マッドハウスの方にも転送しておきます。今後ともよろしくお願いします。
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「虫プロブームとマイナーだった宮崎アニメ」に始まる「アニメ様の七転八倒」のコラム連載、楽しみにしています。いまの細田守の(やや過剰にも見える)持て囃されぶりを見ていると、25年前の宮崎駿を取り巻く状況をいろいろ思い起こさせられます。ある種の懐かしさと、そして照れくささと。
それゆえ、小黒さんの「彼の名前がファンの間に浸透していった1980年から1983年頃、アニメマニア的にイケている存在だった」という指摘には納得させられました。現在20歳代のヲタク諸氏にとって、ヤマトブームからエヴァあたりまでの“近代アニメ史”の皮膚感覚というのは伝わりきっていないと思うし、それを踏まえずして「宮崎駿」を語ろうとしているのになんとなく違和感を覚えていました。そんな断絶を解消するためにも、あの解説は必要だったと感じます。
ただ、実感として
>『宇宙戦艦ヤマト』に代表されるブーム期の
>「夢とロマンのアニメ」からは宮崎作品は外れて
>いたが、
>『うる星やつら』以降の「メカと美少女のアニメ」
>にはストライクだった。
>アニメファンの嗜好から言えば、宮崎駿は
>古かったのではなく、時代を先取りした存在だった。
というのはやや違うのではないかと。押井守は「宮崎や自分はアニメの銀河系の外で活動してきた」という趣旨の発言を繰り返してますが、やはり宮崎アニメは80年代前半になってもアニメブームのメインストリームからは外れていたのではないでしょうか。あえて言うなら昭和の末までは「アニメージュ」限定のヒーローでしかなかった。“ロリコン”と“アニメ”とが交錯したきっかけをつくったとは言え、やはり「メカと美少女のアニメ」の王道ではなかったと思います。また、宮崎と対極に置くべきなのは、すでに82年頃には命脈尽きかけていた「ヤマト」ではなく、絶頂期にあった「ガンダム」であり、富野喜幸だったのじゃないでしょうか。
この連載がどこまで続くのか知りませんが、できれば“マニア的にイケていた”宮崎アニメがいかにしてマニアから離れていったのか(宮崎がなぜマニアを無視し始めたのか、マニアがなぜ宮崎を見捨てたのか)。そこらを展開していくとかなり興味深い論点を提示できるかもしれません。あの有名な「クラリスはトイレに行くのか否か」という与太話の回答として、「魔女宅」でキキがトイレに行くシーンを盛り込んだあたりで吹っ切れたのではないか……と僕は睨んでいます。
(もりくち)
●感想ありがとうございます。アニメファンのメインストリームからは外れていたというのは、ご指摘の通りだと思います。その回のコラムの前半で、僕も「勿論、全てのアニメファンがそう感じていたわけではない。やはり大半のファンは、モビルスーツや美形キャラが出てくるような作品が好きだった。どちらかと言えば、通なファンが、宮崎アニメに熱中していた」と書いています。コアなファンにとって「『うる星やつら』以降の『メカと美少女のアニメ』にはストライクだった」と書いたつもりだったんですが、分かりづらかったら、ごめんなさい。機会があったら原稿に手をいれておきます。「アニメ様の七転八倒」のこの話題は、別の切り口でもう一回だけ書くつもりです。
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この読者コーナーは今後も続けていきたいと思います。「Q&Aコーナー」もやる予定なので質問もお待ちしていまーす。
(06.08.28)
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