アニメ様365日[小黒祐一郎]

第9回 「アニメージュ」

 今日はアニメ雑誌の話。前回までと話は前後する。1977年春に「OUT」が創刊された。この雑誌は創刊当時は、若者向きのサブカルチャー雑誌だったが、第2号で60ページにも及ぶ『宇宙戦艦ヤマト』の大特集を組み、これが大反響を呼び、やがてアニメの記事が増えていった。「OUT」は雑誌の基本カラーにパロディ感覚があり、また、読者投稿ページに力を入れていた。大半がアニメの記事になってからも、アニメと関係ない投稿コーナーがあるなど、独自性の強い雑誌だった。第2号の『ヤマト』特集に関しては、大々的に『ヤマト』を取り上げた雑誌は当時は他になく、ファンにとって大変にインパクトのある1冊だった。
 ただし、僕はこの創刊2号を当時手にとっていない。多分、地元の本屋に入荷しなかったか、入荷したとしても中学生が見ないような棚に置かれていたのだろう。最初に「OUT」を手に取ったのは1978年の3月号。巻頭はスタジオぬえの特集だった。本誌にも読者投稿で同じネタが載っていたと記憶しているが、表紙に「ヤマトとハーロックのスタジオぬえの大特集!!」とあり、それを「ハーロックのぬりえ」と勘違いした。とにかく「ヤマトとハーロック」の文字に惹かれて手に取った。その頃は、まだアニメの記事は少なかったが、他にアニメ雑誌のない時代だった事もあり、毎月買い続けた。「FROMお茶の水」という読者投稿ページが面白く、これでアニメやマンガを茶化して楽しむ事を学んだ。
 1978年5月26日に「アニメージュ」が創刊される。表紙は黒地に銀色のヤマト。巻頭特集は2ヶ月半後に公開される『さらば宇宙戦艦ヤマト —愛の戦士たち—』だった。発売されてすぐに書店で手に取ったが、創刊号は買わなかった。価格が高いし、内容も薄いと思ったのだろう(当時の「OUT」の定価が380円で、「アニメージュ」は580円だった)。それに表紙には7月号とあったが、まさか月刊誌だとは思わなかった。当時は、アニメの情報だけの本が毎月発売されるなんて思いもよらなかったのだ。しばらくして、第2号が発売された。それで月刊誌だった事に気づき、毎月買うようになった。創刊号は後に古本で入手した。当時の「OUT」はまだ「アニメの記事も載っている雑誌」だったが、「アニメージュ」は純然たるアニメ雑誌だった。それまで少しずつしか得る事ができなかったアニメの情報が、毎月どっさり手に入るようになったのだ。
 「アニメージュ」は創刊当時からバランスがよかった。最新作に関する記事、声優に関する記事があり、過去の傑作を取り上げる記事もあった。「フジテレビアニメ16年史」「テレビ朝日アニメ16年史」といったタイトルで、関係者のコメントつきで様々な作品を取り上げる横切り特集もあった。連載企画に目をやると、世界のアニメーションの歴史を語る「アニメーションの歴史」(望月信夫・伴野孝司)、自主アニメの作り方を紹介する「アニメ塾」(おかだえみこ・鈴木伸一)、脚本家講座の「辻真先のちょっとひとこと」、同じく声優講座の「勝田久の声優入門」、毎回1人の声優を取り上げる「声優24時」、毎回1人のクリエイターを取り上げる「アニメ人物マップ」。アカデミックな香りもあれば、自分でアニメを作りたいファンの入り口になる記事もあったわけだ。
 号を重ねるうちに内容も濃くなっていった。僕にとって大きかったのが、創刊1周年記念の1979年7月号(vol.13)での「アニメ人物INSIDE研究1 アニメに劇画をもちこんだ男 荒木伸吾」である。24ページをかけた大特集で、作品リスト、代表作フィルムストーリー、取材を基にした仕事歴紹介、髪や鼻の描き方や得意のアングルを分析した記事、荒木伸吾と真崎・守の対談という大充実ぶり。今の目で見ても、相当にマニアックな記事だ。「アニメ人物INSIDE研究」はその後も隔月で続き、杉野昭夫、安彦良和、大塚康生、小松原一男、金山明博を取り上げている。1981年8月号(vol.38)の巻頭大特集「マンガ映画の魔術師 宮崎駿 冒険とロマンの世界」も、「アニメージュ」の歴史を語る上で外せない記事だ。当時はまだメジャーではなかった宮崎駿を強力にプッシュ。様々なメディアで語られている事だが、この時期の「アニメージュ」と宮崎駿との関係があったからこそ、「風の谷のナウシカ」の連載が始まり、さらに後にスタジオジブリが設立される事になる。必ずしもクリエイターを取り上げる記事ばかりをやっていたわけではないが、そういった記事が「アニメージュ」のカラーを作っていた。
 まだ劇場版の製作が決まっていない時期に、劇場版『機動戦士ガンダム』の構想を記事にした特集、一般のファンは目にする事ができないであろうパイロットフィルムを集めた特集、数本のフィルムができ上がっていたものの公開のメドが立っていなかった『名探偵ホームズ』のフィルムストーリーなども印象的だ。今思えば大変な企画力である。堅い記事だけでなく、ミーハーなところもちゃんと押さえていた。ロリコンブーム時に「ロリコントランプ」を付録につけた事もあった。つまり、アニメ美少女トランプである。付録と言えば、『未来少年コナン』第1話絵コンテを、丸ごと文庫サイズで付録にしてしまったのも忘れられない。様々な切り口で、様々なアニメを取り上げた雑誌だった。
 後発の月刊アニメ雑誌として「ジ・アニメ」「マイアニメ」「アニメディア」が創刊されるが、僕はずっと「アニメージュ」派だった。特に思い入れがあるのは、1980年代前半までの「アニメージュ」だ。マニアックな知識を得ただけでなく、アニメに対するスタンスに関しても影響を受けていると思う。今の自分の仕事も、その頃の「アニメージュ」の影響下にある。

第10回へつづく

(08.11.14)