アニメ様365日[小黒祐一郎]

第15回 『無敵超人ザンボット3』

 『無敵超人ザンボット3』の放映が始まったのは1977年。日本サンライズ(現・サンライズ)の初めてのオリジナル作品だそうだ。監督は富野喜幸(現・由悠季)、キャラクターデザインは安彦良和。リアリティとハードさをロボットアニメに持ち込んだ作品であり、2年後に同じ富野、安彦の手によって作られる『機動戦士ガンダム』の直接的なルーツである。
 主人公の神勝平をはじめとする神ファミリーは、地球に移り住んだビアル星人の子孫であり、先祖が残した宇宙船キングビアルと合体ロボットのザンボット3で、宇宙から迫るガイゾックと戦う。しかし、戦いは一般の人々を巻き込む事になり、人々は神ファミリーを非難するのだった。彼らの理解を得られぬまま神ファミリーの戦いは続く。今も語り草になっているのは、ガイゾックが人間の身体に爆弾を仕込んで街に放ち、爆発させる人間爆弾のエピソードであり、勝平の祖父母が、父が、兄が、そして従兄弟が次々と命を落としていくラスト3話の展開。そして、クライマックスの善悪逆転劇であり、さらにそれを逆転させた感動的なラストシーンだ。
 ハードさ、という事では、やはり人間爆弾とラスト3本が印象的だ。それまでのロボットアニメやヒーローアニメにも、ハードな展開はあったが、『ザンボット3』のように背筋が冷たくなるような想いをした事はなかった。それから、この作品は巨大ロボットを現実的なものとして捉え直そうとしているところがあった。その傾向が顕著だったのが5話「海が怒りに染まる時」だ。ザンボット3と敵のメカブーストの戦いで、メカブーストの破片が落下し、避難する人々が乗ってきた船を破壊。その爆発は人々を巻き込み、さらに戦闘を続けるザンボットとメカブーストが海中に入ると、そのために津波が起き、人々を飲み込んでいく。これには驚いた。確かにビルのような大きさのメカ同士が戦ったら、きっとそのような結果になるだろう。しかし、ロボットアニメで、そんな展開を観た事はなかった。また、神ファミリーが活動を始めた頃に、警官が「ロボットが道路を歩けば、道路交通法違反で……」と言うところがあり、そういった描写にも、なるほどなあと感心した。20話「決戦前夜」で、神ファミリーが政府に渡した設計図を元に、世界が力を合わせてキングビアルとザンボットの建造を進めている事が語られている。つまり、主役メカの量産計画である。桜多吾作のマンガ版「グレートマシンガー」で、グレートが量産されるエピソードがあったが、アニメ本編で主役メカの量産計画が進められたのは初めてではないか。それも『機動戦士ガンダム』で実を結ぶリアルアニメの萌芽だ。
 親戚一同が一丸となって戦うというのも新鮮だった。神ファミリーは、その先祖が宇宙人だったとしても見た目は地球人と同じであり、1話までは一般市民として暮らしていた。ザンボットに乗り込む勝平、宇宙太、恵子はまだ幼さの残る少年少女で、その両親達も漁師と開業医といった一般的な職業に就いていた。そんな普通の人々が、宇宙船やロボットで戦う事がリアルさやハードさに繋がっていた。ロボットアニメに親子関係を持ち込み、生々しいドラマを描くのは、後の富野監督作品の定番(父親と娘が多い)だが、それとは似て非なるかたちで、家族の設定が活きていた。
 富野監督らしいと言えば、2話で勝平が乗ったザンバードが、自衛隊機によって国籍不明機として退去を要求されるシーンがある。そこでガイゾックの攻撃を受ける。自衛隊機のパイロットは、勝平に敵はガイゾックだと教えられて「海賊?」と勘違いした事を言う。その台詞を言った瞬間に、ガイゾックの攻撃で自衛隊機は爆発してしまうのだ。人生最後の言葉が勘違いとは、なんともやるせない。これも印象的な描写で、後になって「ああ、あれって富野さんらしかったなあ」と思った。
 僕は『ザンボット3』は本放送では観ていない。アマチュアサークルの上映会で観たのだ。確か『無敵鋼人ダイターン3』の本放送中だったと思う。その上映会には、ゲストとして勝平を演じた大山のぶ代が来ており、「今度、『ドラえもん』という番組にドラえもん役で出ます」と言っていたのを覚えている。客の多くが、彼女がドラえもんを演じるのが初耳で「え〜〜」と驚いていた。シンエイ動画版の『ドラえもん』がスタートするのが1979年4月だから、上映会があったのは1979年3月くらいだったのだろう(大山のぶ代が来たのは、後述する2度目の上映会かもしれない。いつか確認したい)。
 その上映会では、ザンボットが初めて合体する3話「ザンボット3出現!」と、ラスト3本の21話「決戦! 神ファミリー」、22話「ブッチャー最後の日」、23話「燃える宇宙」の計4本が上映された。夢中になって観た。ラスト3本で、神ファミリーが次々と死んでいく最終決戦が描かれる。連続ものであり、スクリーンで観ているという事もあり、まるで映画を観ているようだった。僕はラスト3本を観て『さらば宇宙戦艦ヤマト —愛の戦士たち—』と同じような「特攻もの」だと思った。『ザンボット3』は1977年10月に放映が始まり、1978年3月に終わっている。『さらば』の公開が1978年8月だから本放送で『ザンボット3』を観た人達は、『さらば』の前に『ザンボット3』を観ているはずだが、僕の場合は順番が逆だ。しかも、途中を飛ばしてラスト3本を観たために、他の人と印象が違うかもしれない。漠然とした「愛のため」、あるいは「宇宙の平和のため」に主人公が死んでいく『さらば』よりも、祖父が子や孫を生かすために、父親が息子を生かすために、あるいは地球に残してきた妻のために死んでいく『ザンボット3』の方がずっと納得できた。
 その上映会が好評だったのだろう。数ヶ月後に、同じサークルが『ザンボット3』全話上映を開催した。全23話を3日に分けて上映するのだ。是非全話を観たいと思って、3日とも参加した。そこで初めて前述の5話や人間爆弾のエピソードを観た。スタジオZ作画担当回は別にして、『ザンボット3』は作画のよろしくない回が多いのだが、そんな事は気にせずに楽しめた。観客は集中して観ていたので、合体バンクの撮影ミスに皆が気づいて、笑いがおきた。
 ところが、この2度目の上映会には思わぬアクシデントがあった。最終回だけが上映されなかったのだ。貸し出し用のフィルムが、最終回だけ地方の上映会にレンタルされており、上映日までに東京に戻らなかったのだと記憶している。最終回の上映がない事は事前に告知されており、それを承知で観た。ラス前の22話「ブッチャー最後の日」で上映会は終わった。最後の台詞は「ブッチャーの向こうにいるガイゾックが出てくるのだ!」だ。最終回の内容は知っていたが、やり場のない欲求不満を抱えて帰路についた。『ザンボット3』は東京地方では長く再放送の機会もなく、ビデオソフト化されるのも遅かった。最終回を再見できたのは、雑誌の仕事でこの作品を扱う事になった10年後だった。

第16回へつづく

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(08.11.25)