第28回 『龍の子太郎』
子供の頃、春休みや夏休みに劇場にかかる「東映まんがまつり」と「東宝チャンピオンまつり」が楽しみだった。初期の「東映まんがまつり」は、長編アニメ1本をメインにし、数本のTV作品をセットにするのが基本フォーマットだった。幼児の頃の記憶は曖昧になってしまっているが、『空飛ぶゆうれい船』がメインだった1969年夏の「東映まんがまつり」は確実に観ている。その年春に公開された『長靴をはいた猫』も劇場で観た記憶があるのだが、それがロードーショーだったかどうかは覚えていない。リバイバル公開で観たのかもしれない。資料を観ながら、記憶を手繰ると、1970年代の「東映まんがまつり」は7割か8割は観に行っているようだ。ただ、僕の地元の映画館での上映はロードーショーから半年遅れだったり、他の映画を足すような変則的なものだった。また、子供だから仕方ないのかもしれないが、途中からラストまで観て、それで納得して帰ってしまった長編もある。だから、それぞれのプログラムをきっちり観たというわけではない。
「東映まんがまつり」で一番インパクトがあったのは、1974年の『マジンガーZ対暗黒大将軍』だが、それについては、この連載のずっと後で話題にするつもりだ。今日は「東映まんがまつり」の1本として、1979年3月17日に公開された『龍の子太郎』についてだ。同時上映は実写の「ピンクレディーの夏休み」、TVアニメ『キャプテンフューチャー』『SF西遊記スタージンガー』『闘将ダイモス』だった。同時上映についてはあまりよく覚えていない。ピンクレディーの映画なんて観たかなあ。
『龍の子太郎』の原作は、民話を題材にした松谷みよ子の児童文学で、監督は「キューポラのある街」等で知られる実写映画の浦山桐郎。アニメーション演出を葛西治が、キャラクターデザインと作画監督を小田部羊一と奥山玲子のコンビが、美術監督を土田勇が務めている。小田部羊一としては『アルプスの少女ハイジ』や『母を訪ねて三千里』を経験した後であり、久しぶりに古巣の東映動画に戻っての作品だった。それだけが理由ではないだろうが、『太陽の王子ホルスの大冒険』や『長靴をはいた猫』といった往年の東映長編に匹敵する完成度の高いフィルムだった。
太郎は、大飯ぐらいのなまけ者だったが、天狗に気に入られて百人力の力を授かる。自分の母親が龍の姿になって今も生きている事を知った太郎は、母に会うために旅に出た。その旅先で、彼は様々な体験をするのだった。中学生だった僕は、子供が母親に会いたがるなんてプロットは、いかにも子供っぽく感じられて苦手だったはずだ。だけど、『龍の子太郎』は苦手意識を感じず、鑑賞できた。それは語り口が大人びていたからだろう。当時の僕にそんなボキャブラリーはなかったはずだが、初見の印象を言葉にすれば「渋い映画」だった。それは物語の大筋や語り口だけではない。美術の存在感が大きい作品であり、水墨画調の背景が素晴らしかった。キャラクターにも品があったし、芝居も丁寧だった。堂々としており、どっしりとした重さのある映画だった。そういう意味では、大らかな「まんが映画」だった往年の東映長編とは、微妙にニュアンスが違っていた。
印象的だったのは、太郎が自分の体重の百倍はあろうかという量の稲を担いで運ぶシーン、大きな田んぼを作るために龍に乗って、湖にある大きな岩を砕くクライマックス等。なぜか黒鬼を退治するシーンで、野球のギャグがある。太郎に岩を投げつけられた黒鬼が、金棒を使って一本足打法でそれを打ち返し「どうだ、806号だぞ」と言うのだ。これは本塁打の世界記録を更新中だった王貞治のパロディだ。その後で、ヒロインのあやが綺麗なアンダースローで、鬼に石をぶつける。時代劇にそういった時事ネタを入れるのは、滑る場合が多いのだけど、演出の腰が据わっているせいか、まるで浮いていなかった。むしろ、それをやる事で、この映画全体が落ちついたものである事を際立たせていた。公開当時に、そこまで分析的に考えたわけではないが、パロディをきれいに見せている事に感心した。
映画後半に、山姥が乳を放り出して迫るシーンがあり、その後に、太郎は雪女に翻弄される。そのあたりを、なんだか大人の映画みたいだなあと思った。このコラムを書くために、ちょっとビデオで観返してみたら(ちなみにこの作品はDVD化はされていない)、山姥のシーンは印象よりあっさりしたものだった。迫っているところなんて数秒だ。だけど、やっぱりインパクトのある場面だと思う。エロチックと言えば、最後に太郎の母親が人間の姿に戻った時の裸を生々しいと思った。ビデオを観返して感じたのは作画の事で、前半の相撲のシーンや、赤鬼のコミカルな芝居が丁寧で見応えがあるという事。それから、クライマックスの岩を砕くシーンは、龍そのものよりも水の作画に力が入っている事だった。
「東映動画長編アニメ大全集 下巻」(徳間書店)に掲載された山口康男プロデューサーのコメントにれば、浦山監督は脚本を作成し、絵コンテを切っただけでなく、作画や美術の打ち合わせにも参加したそうだ。また、全カット数が500程度と、カット数が少ない。全体が落ちついた感じになっている理由のひとつが、長回しを多用する浦山監督のカッティングなのだろう。また、これは最近確認した事だが、本作のレイアウト作成は、特殊なスタイルが採られていた。まず美術監督の土田勇が背景を描き(その段階ではキャラクターはラフに描かれていたようだ)、それにアニメーターが(おそらくは作画監督が)キャラクターを載せるというかたちで画面が設計されていた。引きの構図が多いのは、浦山監督の演出でもあったのだろうが、美術優先でレイアウトが作成されていたためでもあるのだろう。
さっきも使ったが「東映長編」という言葉がある。初期の東映動画の長編がそう呼ばれる。賞賛の気持ちを込めて使われる場合が多いようだ。どこからどこまでを「東映長編」と呼ぶかの定義は曖昧であり、アニメ史的な視点で見た時に『龍の子太郎』を「東映長編」と呼ぶのが適切であるのかどうかは分からない。ただ、東映動画が童話や文学作品を原作として制作してきた一連の長編アニメーションとしては、『龍の子太郎』は末期の作品であり、力のこもった傑作である。僕の意識としては最後の「東映長編」だ。
また、1979年前後はシネスコサイズからビスタサイズへという、劇場アニメのスクリーンサイズの転換期だった。「東映まんがまつり」の長編アニメで言うと『龍の子太郎』までがシネスコで、翌年の『世界名作童話 森は生きている』からがビスタである。その意味でも『龍の子太郎』は節目になった作品だ。
第29回へつづく
(08.12.12)