第37回 『ヤマトよ永遠に』
『さらば宇宙戦艦ヤマト —愛の戦士たち—』で、一度は完結したと思われていた『宇宙戦艦ヤマト』シリーズだが、『宇宙戦艦ヤマト2』ラストでは主人公の古代達が死ぬ事はなく、その後も続編が作られる事になった。
『ヤマト2』の次に発表されたのが、テレフィーチャー作品『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』だった。放映されたのは1979年7月31日。翌年公開される劇場作品『ヤマトよ永遠に』のプロローグ的な位置づけの作品で、新たな敵が登場し、ヤマトにも新しい乗組員が搭乗。また、スターシャと古代守が再登場した。『新たなる旅立ち』に関しては、放映当時にどう感じたのかは覚えていない。多分、特に面白いとも、残念な内容だとも思わなかったのだろう。今観返すと、随分とのんびりしたフィルムだなと感じる。
翌1980年8月2日に、劇場第3作『ヤマトよ永遠に』が公開される。この数年間は「毎年夏は松本零士関連の劇場アニメ」というノリだった。僕は1978年夏の『さらば宇宙戦艦ヤマト』、1979年夏の『銀河鉄道999』では「泣くものか」と思って、劇場に行って泣いてしまったわけだが、『ヤマトよ永遠に』に行く前には「泣くかも」とすら思わなかった。わずか2年でかなりスレてしまっていた(順番で言うと『ヤマトよ永遠に』の前に、1980年春の『地球へ…』『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』を観ており、宇宙物劇場アニメに慣れてしまっていたというのもある)。
ワタクシゴトを続けると、『ヤマトよ永遠に』はアニメショップで知り合いになった友人達と一緒に観に行った。グループには可愛い女の子もいて、誰がその子の隣に座るかで、ちょっとモメたのを覚えている。今思うと、ちょっと青春っぽい感じだ。皆で一緒に初日前夜に行って徹夜をした。この頃、劇場アニメ初日の徹夜は、アニメファンの年中行事のようなものだった。劇場側もすでに対応に慣れていて、早い時間に並んでいた観客を劇場内に入れてくれたと記憶している。
初見では、そんなに無茶苦茶な映画だとは思わなかった。この映画にはワープディメンションという大仕掛けがあった。途中までビスタサイズだった画面が、映画の中盤でシネスコサイズになるのだ。具体的には、ヤマトが暗黒銀河を越えて、光輝く銀河に突入したところでシネスコになる。その場面は映像も美しく、BGMも盛り上がる。シネスコになった直後は「おおっ」と思った。作画はかなり丁寧だったし、音楽はやはりゴージャス。クライマックスで古代が、波動砲を撃つあたりは盛り上がった。鑑賞後に、友達と感想を話した時に「あそこがちょっと変だったな」とか「あの展開はおかしかったね」とか、そのくらいの事は口にしたと思う。初見時の感想を一言で言えば「こんなものかな」だったと思う。
しかし、後になって内容を反芻しているうちに、メロメロな内容だったと思うようになった。今でも、大変に突っ込みどころが多い作品だと思っている。ひょっとしたら、日本の劇場アニメの歴史の中で、一番突っ込みどころが多い映画かもしれない。
最もおかしいのは、敵である暗黒星団帝国が、自分達の星を地球に偽装していた事だ。暗黒星団帝国の本星であるデザリアム星は、おそらくは人工の星なのだろう。その星の周りに、どこから持ってきたのか土や水を配置して、地球そっくりの外見に改造していた。五大陸や七海洋を作り、万里の長城やピラミッドなどの有名な建築物まで再現。超宇宙規模の大事業である。さらに地球の美術品の複製まで作っていた。それどころか、今までとこれからのヤマトの航海をまとめた短編映画まで作って、ヤマトを待ちかまえていたのだ。それは全て、ヤマトの乗組員を騙して「ここは未来の地球だ」と思い込ませるためだった。今なら思わず、なんだそりゃあ、と声を出すところだ。暗黒星団帝国の鉱物組成は、波動砲の波動エネルギーに対して脆かったのだ。偽の地球を作って、芝居をしてまでヤマトの乗組員を騙したのは、それだけヤマトの波動砲が怖かったからだろう。いや、しかしだ。偽の地球を作るくらいの国力と科学力があるなら、他にやる事があるだろう。
古代達が、デザリアム星が未来の地球ではないと気づく理由はふたつある。ひとつは故徳川機関長の孫である徳川太助が、宮殿に展示してあったロダンの考える人が、左右逆だと気づいたから。もうひとつは持ち帰ったグラスから、暗黒星団帝国の人々の指に指紋がないと判明したからだ。五大陸や七海洋まで作っておいて、考える人を左右逆にコピーしてしまうという失敗もマヌケなら、どう考えても頭が切れるようには見えない太助に、見破られるのも情けない。グラスの指紋にしても、それだけで地球人ではないと決めつけるのは早計だろう。彼らに指紋がなかったのは、肉体が退化し、首から下を機械化しているからであるはずだ。同様の理由で未来の地球人に指紋がなかったとしても、おかしくない。かなり大味な展開だ。
ヤマトの活躍でデザリアム星が爆発した後は、そのために、黒色銀河と白色銀河で構成された二重銀河が崩壊。この展開も凄い。真田志郎は二重銀河について「見ろ、二重銀河が崩壊して、新しい銀河が誕生していく……」と言って、古代進は「人間はいつになったら、血を流さずに幸せになれるんでしょうね……」と言う。おいっ、血を流すどころの騒ぎじゃないぞ。銀河が崩壊しているんだから、天文学的な数の生命がなくなっているんじゃないか。大変な事をしたんだぞ。ちょっとだけ反省して終わりでいいのか。
話は前後するが、この映画には『新たなる旅立ち』で初登場したスターシャと古代守の娘であるサーシャが登場し、森雪の代わりにヤマトに乗り込む。『新たなる旅立ち』で赤ん坊だった彼女が、たった1年で10代後半と思しき姿になったのにも驚いた。彼女は叔父である古代守に淡い想いを抱き、「おじさま」と呼ぶ。ちょっとラブコメっぽい場面もある。一方、地球に残った森雪は、地球を占領した暗黒星団帝国の情報将校であるアルフォンと、メロドラマを展開。アルフォンは「僕の愛を受け入れてくれ」と言うのだが、後に、彼の首から下が機械だった事が判明する。そして、彼は息を引き取る前に、雪に膝枕をしてもらうのだった。これも「愛を受け入れるって、膝枕の事かよ!」と突っ込むところだ。
映画の前半で、真田志郎は重核子爆弾の映像を一目見ただけで「これはハイペロン爆弾です。間違いありません」と見抜き、さらに「この爆弾の機能目的からみて、起爆コントロール操作(なぜか「装置」ではなく「操作」と言っている)は、地球上ではなく、敵の母星本体にあります」と断言。いくら万能科学者の真田さんとはいえ、なぜ、一目でそこまで分かる! 真田の発言を信じてヤマトは宇宙に旅立ったのだが、映画後半におけるアルフォンの今際のきわの言葉で、重核子爆弾は、地球の起爆装置を解体してから、本星のコントロール装置を破壊しないといけない事が判明。真田さん、間違っているじゃん! 他にも、デザリアム星に残ったサーシャが、たった1人で暗黒星団帝国を翻弄し、聖総統が追い詰めてしまう展開等、突っ込みどころは、まだまだある。
だから、公開からの数年間は、この作品に対して「ひどい映画だった」という意識があった。ただ、これは今だから言える事だが、作り手は、この作品を分かりやすい娯楽作として作ったのだろう。例えば、ロダンの考える人の一件にしても、コミカルとも言える描写を、クライマックスに持ってきたのは娯楽作を狙っての事だろう。古代とサーシャのラブコメも、森雪とアルフォンのメロドラマも、娯楽の要素だ。今までの航海が嘘のように、ヤマト乗組員の死傷者は少ないし、暗くもない。それは悲壮過ぎた『さらば』への反発だったのかもしれない。
『ヤマトよ永遠に』のヤマトは強い。史上空前の強さだ。前述のように、敵がヤマト怖さに、偽の地球を作ってしまうくらいに強い。中間基地攻略では、敵の反撃をほとんど許さずに撃破全滅させている(金田伊功の作画が満喫できる名場面だ)。『新たなる旅立ち』の自動惑星ゴルバは、デスラー砲でカスリ傷もつかなかった強敵だった。『ヤマトよ永遠に』のゴルバ型浮遊要塞はその強化型らしいが、ヤマトは、波動砲の100分の1のエネルギーしかない波動カートリッジ弾3発で、ゴルバを数機まとめて落としてしまうのだ。強い強い。呆れるくらい強い。『宇宙戦艦ヤマト』シリーズで、ヤマトの強さを堪能するなら『ヤマトよ永遠に』だ。粗のある作品であるのは間違いないが。
公開から6年か7年経った年の正月に、僕のアパートに友達が集まった事があった。もう皆、酒を呑む年になっていた。大型テレビも買っていた。まあ、大型と言っても、当時の事だから29インチだ。酒を呑みながら観たのが『ヤマトよ永遠に』だった。『さらば』や『完結編』は呑みながら観るには重たすぎるのだ。突っ込みを入れたり、ヤマトの強さを楽しんだりして観た。その時に、ようやく『ヤマトよ永遠に』を楽しめた。ただ、かつて本気で『宇宙戦艦ヤマト』が好きだった者としては、ちょっと自虐が入った楽しみ方ではあった。
第38回へつづく
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(08.12.26)