第38回 宇宙戦艦と「映画的」
この連載を始めてから、色々と思い出す事が多い。アニメブームの頃、劇場アニメにおいて宇宙空間を船舶や機関車が飛ぶ、というのはそれだけで「映画的」だった。たとえ、止めセルの戦艦が、宇宙の背景の上をスライドしているだけという簡単な表現でも「映画的」だった。少なくとも、僕にとってはそうだった。当時の作品について思いを巡らしているうちに、それを思い出した。
アニメブームの頃は、色んなものが宇宙に飛んでいった。『宇宙戦艦ヤマト』では戦艦が、『宇宙海賊キャプテンハーロック』では海賊船が、『銀河鉄道999』では機関車が宇宙に飛んでいった。次回以降で話題にする予定の『サイボーグ009 超銀河伝説』では、サイボーグ戦士が宇宙に行った。その後『Dr.スランプ アラレちゃん』も『パタリロ!』も、劇場版になると宇宙が舞台になった。
機関車は例外的なものであり、船舶のかたちをした宇宙船が多かった。どれもモデルになっているのはクラシカルな船舶だ。そういった宇宙船が宇宙を飛ぶ、という事がロマンと結びついていたわけだ。その頃は、ごく当たり前のロケット型の宇宙船が、なんだか古くさく見えたくらいだ。ブームというのは恐ろしい。これは余談だが、『機動戦士ガンダム』で主人公が乗り込んでいたホワイトベースは木馬型で、船舶型とは言えないかもしれないが、他の宇宙戦艦は、連邦側もジオン側も船舶型であった。『機動戦士ガンダム』も、その流行の中にあったわけだ。
暗い映画館の中で、巨大なスクリーンを見つめる。そこには宇宙空間が映し出され、船舶や機関車が航行している。そういった場面でうっとりした。「映画的」とは、非常に曖昧な言葉であるが、確かに、宇宙空間をそういった宇宙船が航行している場面を観ている時に「映画を観ているぞ」という実感があった。TVの『宇宙戦艦ヤマト』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』でも、宇宙を航行するヤマトやアルカディア号の姿にロマンを感じたが、劇場で観ると、その魅力が倍増した。スクリーンに映えるシチュエーションだったのだ。
逆に言えば、当時は、宇宙を船舶型の宇宙船が飛べば「映画的」になったのだろうと思う。サイボーグ戦士やアラレちゃんまでが宇宙に行ったのは、宇宙ものが流行っていたからでもあるだろうし、その事が作品にイベント性を与える事になったからでもある。さらに、その事で作品を「映画的」にできたからではないか。
DVDで観返すと、止めセルの宇宙船がスライドするだけの表現は、凡庸に思えたりもするのだけど、それは観るこちら側の気分や価値観が変わってしまったせいなのだろう。また、TVモニターと映画館の違いでもあるはずだ。今、映画館で『宇宙戦艦ヤマト』を観返したとしたら、30年前と同じようにうっとりできるのだろうか。それが気になる。
第39回へつづく
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(09.01.05)