第45回 手塚治虫のマンガとアニメーション
ここ数回の原稿を書くために、手塚治虫のエッセイや、アニメブーム当時のインタビュー記事等を読み返した。今回入手できなかった書籍もあるので、いずれはそれも手に入れてチェックしたいと思っている。
記事を読み返して、一番驚いたのは、第42回「アニメブームと手塚治虫」でも触れた「手塚治虫アニメ選集6 リボンの騎士」に掲載されているインタビュー。その終盤での発言だ。彼は実験的なアニメーションの予算集めのために、TVアニメ『鉄腕アトム』を始めた。『鉄腕アトム』をアニメの本筋だとは思っていなかったが、それが成功してしまったためにアニメの本筋になってしまった。それに対して愕然としているし、失望している。そして、今、自分はアニメの本筋の作品として『森の伝説』を作っている。といった流れから、以下の発言につながる。
—— こうやってお話を伺ってくると、先生の場合、漫画を動かしたいから、アニメに手を染めたんじゃなくて、漫画とアニメはまったく平行してるものなんですね。
手塚 そうです。歌と芝居という違う二つの分野を好きなようなものです。小さい時からです。
—— 二つの分野に求めてるものも違いますね。
手塚 もちろん。アニメで作りたいものはあるけれど、訴えたいものはないですね。しいていえば、アニメの変身、変形、奇想天外な動作などの面白さをみせ、アニメそのものの面白さを訴えたい。
漫画は書物ですからね。訴えるものは、思想、人間の生きざま、いろいろですよ。
ああ、そうか。手塚治虫自身がはっきりと言葉にしていたのだ。僕は手塚治虫のアニメーションに対して、その中でも『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』『100万年地球の旅 バンダーブック』とそれ以降の24時間テレビ内で放送された一連の作品について、モヤモヤした想いがあった。どうしてそれらの手塚治虫が作ったアニメは、彼のマンガほどには面白くないのか、という事だ。
彼を貶めたいわけではない。純粋に不思議に思っていたのだ。手塚治虫が作ったTVシリーズには面白いものが沢山あるし、短編には「ジャンピング」や「おんぼろフィルム」といった優れた作品も存在する。1969年に公開された『千夜一夜物語』は面白かった。だが、『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』の頃の長編は、全てがそうだとは言わないが、物語に関して弱いところがあったと思う。手塚治虫は稀代のストーリーテラーであり、それを知っているからこそ不思議に感じていた。
『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』の物語にしても、決して魅力がないわけではない。だが、同じ『火の鳥』なら、マンガ版の方がはるかに面白い。『バンダーブック』だって、同じ登場人物や舞台を使って、彼がマンガのかたちで描いたら、もっと面白くなったのではないかと思ってしまう。
映像作品の面白さは、時間軸の扱いや音楽、映像の作りにも左右されるわけだが、この場合それは置いておく。僕は、単純に物語そのものについて疑問を感じていた。アニメーションに対する思いゆえに力みすぎてしまうのか。盛り沢山にしようとするがあまり、要素を詰め込み過ぎてバランスが悪くなってしまうのか。それをずっと不思議に思っていた。
そう思っていたところで、この発言に出会った。「アニメで作りたいものはあるけれど、訴えたいものはない」のだ。動きの面白さを追求したいと思っているのは知っていたが、まさか、思想や人間の生きざまといったテーマを訴えるつもりがなかったとは。マンガでは訴えるものがあり、アニメだとそれがないのなら、当然、物語の作り方も違ってくるだろう(実際には『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』や『バンダーブック』といった作品で、訴えたいものがなかったという事はないはずだ。むしろ、テーマを強く押し出して作られたものに見える。手塚治虫からすれば、それはあえてマンガ寄りにした部分なのかもしれない)。
「手塚治虫アニメ選集6 リボンの騎士」のインタビューは、おそらくはアニメーションの状況に関する不満が高まっていた頃であり、勢いで出てしまった発言かもしれない。ここで彼の頭にあるのは、実験的なアニメーションであって、エンターテインメントについて語っているのではないのかもしれない。あるいは『鉄腕アトム』を始めた頃なら、こんな言い方はしなかったかもしれない。とはいえ、そこまではっきりと、マンガとアニメでやりたい事は違うと言い切ってしまっているのには驚いた。僕は『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』も、マンガの『火の鳥』も、同じ手塚作品だと思っていたのだけど、彼にとっては同じではなかったのだ。
第46回へつづく
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(09.01.15)