第65回 セルから紙へ
ここまでも何度か触れたが、僕は中学の頃からセル画を集めていた。日曜はアニメショップに通っていた。どうしてそんなにセル画が欲しかったのだろうか。大袈裟な言い方になってしまうけれど、おそらくは「アニメそのもの」を手に入れたかったのだろうと思う。他の理由もあったのだが、セル画コレクションに熱中していた一番の理由はそれだったはずだ。
セル画を集め始めた頃は、ビデオデッキを所有していなかったし、手に入れて好きな作品を録画するようになっても、それによって「アニメそのもの」を手に入れた気はあまりしなかった。中学から高校にかけては「アニメそのもの」を自分のものにするなら、セル画を手に入れるのが、最も確実な方法だと思っていた。最初は、好きな作品やキャラクターのセル画を集めていたのだが、やがて、特定の作画監督が担当した回のセル画が欲しいとか、お気に入りのアニメーターが作画したカットのセルが欲しいといった欲が出てきて、コレクターをこじらせていった。
高校の頃から、僕は、東映動画で販売するセルを整理するアルバイトをやっている。カット袋をバラして、商品にできるセルを選別し、ビニール袋に入れる仕事だ。スタッフルームから、制作が終わった話数のカット袋を運ぶところからやった事もある。『魔法少女ララベル』のセルを整理した覚えがあるから、1980年か1981年には、もうそのバイトをやっていたはずだ。学校が早く終わった日は午後からスタジオに出かけ、夏休みや冬休みは毎日通った。大学に入った頃には、東映動画に僕のタイムカードがあった。このバイトをやって、大量のカット袋を目にした。当然、セルだけでなくレイアウト、タイムシート、動画、撮影用のマスクなども目にした。原画や背景を目にする機会も多かった。それで相当、アニメマニアとして目が肥えた。
大学に入る頃までコレクターを続けていたが、最初の数年で、興味がセル画から原画等の「紙」に移っていた。沢山のセルや原画を見ているうちに、紙の方が「アニメそのもの」に近いと思うようになったのだ。原画については、動きが表現されている事の面白さもあったが、当時の僕は、それよりも作画監督や原画マンの描線が気になっていた。動画でクリンナップされる前の、原画の線の味わいに魅力を感じていたのだ。巧いアニメーターの原画は、完成画面よりも魅力的だった。有名なアニメーターでなくても面白い線を引く人はいた。
あるきっかけがあって、宮崎駿が参加した作品に関しては、レイアウトを集めるようになった。前に書いたまんが画廊(第49回 まんが画廊)の常連に、若いアニメーターがいた。その人はサンライズの仕事をやっていて、その関係で『機動戦士ガンダム』のセル画を沢山持っていた。それで、僕に「宮崎駿のレイアウトを持ってきたら、『ガンダム』のセル画と交換してあげるよ」と言ってくれた。『アルプスの少女ハイジ』や『母を訪ねて三千里』なら、宮崎駿が全話全カットのレイアウトを描いてるが、『未来少年コナン』や『ルパン三世 カリオストロの城』ではそうではない。僕が「どれが宮崎駿のレイアウトか分からないよ」と言うと、そのアニメーターは「それは僕が見れば分かるから」と言っていた。
かくして、僕は『ガンダム』のセル欲しさに、宮崎駿が参加した作品のレイアウトを集める事になった。他のコレクターと交換したり、譲ってもらったりして集めるわけだ。集めだした頃には、『新ルパン』最終回はまだ放映されていなかったので、主なターゲットは『未来少年コナン』と『ルパン三世 カリオストロの城』だった。ところが集めていくうちに「あれ? セルよりも、レイアウトの方がいいんじゃないか」と思うようになった。宮崎駿が参加した作品のレイアウトは、当時僕が知っていた他のアニメのレイアウトとは比較にならないくらい、しっかりと描かれていた。画面がきっちりと設計されていて、空間が表現されていた。作画や撮影に対する指示が、細かく描かれているのも興味深かった。そして、1枚の画としても魅力があった。そこに宮崎アニメの秘密があるように感じた。結局、自分でコレクションするために、宮崎駿のレイアウトを集めるようになってしまった。昨年開催された「スタジオジブリ・レイアウト展」の図録の原稿でも書いた話題だが、1986年に発行された「天空の城ラピュタ GUIDE BOOK」の巻末に「宮崎駿レイアウトコレクション」という記事がある。その記事に掲載されたレイアウトは、この頃に僕が集めたものだ。
セル画を集めても、原画やレイアウトを集めても、「アニメそのもの」を手に入れる事はできないと気づくのは、しばらくしてからだ。大学に入ってからか、仕事を始めてからだと思う。
第66回へつづく
(09.02.13)