アニメ様365日[小黒祐一郎]

第66回 ぼくらの時代

 1981年に『うる星やつら』、1982年に『超時空要塞マクロス』と『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の放映がスタートする。ここから「ぼくらの時代」が始まったのだと思う。今まで漠然と、そのあたりで作品傾向や、受け手のスタンスが変わったと思っていた。今回はその数年間に「ぼくらの時代」と名づけて、感じていた事を文章にしてみたい。
 「ぼくらの時代」では作品の傾向も、ファンの楽しみ方も変わっていった。作品に関しては、よりティーン以上のアニメファンの嗜好に合わせたものが作られるようになった。具体的に言えばライトなノリ、パロディ感覚をベースにし、美少女、ラブコメ、メカ等を織り込むかたちで作られるようになった。賑やかな作品が多かった。分かりやすく言えば、より楽しい方向、気持ちいい方向に流れていった。作品もファンも、どこか享楽的になっていった。1980年代はよく「浮かれていた時代」だと言われるが、今思えば、そういった時代性とリンクしていた。「ぼくらの時代」を代表する作品は、シリアスな『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』に対するアンチテーゼになっていた。
 ただ、よく考えてみると、そういった作品は当時のファンが求めていたものでは、なかったのかもしれない。ファンが観たいと思ってもいなかったタイプの作品を提示されて、観てみたら魅力的だったので、それに皆が飛びついたという事だったのではないだろうか。作品がファンの嗜好を変えていったところがあった気がする。このあたりの前後関係は難しい。
 作品内容が自由主義的、個人主義的になったという言い方もできると思う。「ぼくらの時代」では、社会の枠組みやモラルにとらわれない主人公が描かれていた印象がある。主人公は世界や社会の正義よりも、個人の欲望や都合を大事にする。ノリや気分で行動する場合も多かった気がする。主人公は体制側にはいないが、反体制でもない。体制と関係ないところで、物語が展開している場合が多かった。『超時空要塞マクロス』は宇宙戦争ものであり、主人公の一条輝は統合軍のパイロットになるのだが、『ヤマト』や『ガンダム』に比べると、軍隊の堅苦しさは希薄だった。
 『うる星やつら』は個人主義の塊のような作品だった。『超時空要塞マクロス』は異星人との宇宙戦争と、恋愛がイーブンに描かれた作品だった。『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は物語も、主人公もノリが軽く、自由奔放だった。その前に、同じ葦プロダクションと首藤剛志が手がけた『戦国魔神ゴーショーグン』も同じ匂いがした。これは『うる星』と同じく、1981年にスタートした作品だ。
 『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』に続く作品として、富野由悠季監督が『戦闘メカ ザブングル』を手がけたのも象徴的だ。『ザブングル』は、『うる星』や『マクロス』とはやや文脈が違う作品だが、エネルギッシュなキャラクター達が活躍する、明るいタッチの作品としてスタートしている。『ザブングル』の主人公であるジロン・アモスは、その世界の決まり事である「3日限りの掟」に従わないで、自分のこだわりを貫く青年だった。その意味でやはり個人主義的な内容だった。これは1982年に始まった作品。
 『ヤマト』や『ガンダム』は大人が作った作品だった。それに対して『うる星』や『マクロス』は若いスタッフが、若いファンに向けて作った作品だった。観ているだけでも「自分達と年齢が近いスタッフが作っている」のが実感できた(その部分に関しては『ミンキーモモ』は、微妙にニュアンスが違う)。『ヤマト』や『ガンダム』は憧れの気持ちを持って観たが、『うる星』や『マクロス』には憧れは抱かなかった。それは、主人公達のキャラクターが、観ている僕達に近かったからなのだろう。だから、憧れはしなかったが、気楽に楽しむ事ができた。また、この頃から、同人誌等のファン活動が勢いづいていった印象がある。そういった意味でも「ぼくらの時代」だった。
 『うる星』、『マクロス』、『ミンキーモモ』が「ぼくらの時代」を代表するタイトルであり、それらと似た気分を持った作品が、他にもいくつかあった。楽しい数年間だった。それでは、僕が「ぼくらの時代」の作品を全肯定できるかというと、必ずしもそうでもない。楽しかったのだけど、どこか本気で作品を観ていないところがあった。中には、熱中して観たものもあるのだけど、そうでないものの方が多かった。そして「ぼくらの時代」も、長くは続かなかった。

第67回へつづく

(09.02.16)