第82回 『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』
劇場版『機動戦士ガンダム』の第2作『哀・戦士編』は、1981年7月11日に公開された。第1作からわずか4ヶ月しか経っていない。この『哀・戦士編』や、第3作『めぐりあい宇宙(そら)編』のタイトルは、今となっては狙いすぎのように感じるが、当時はそういった凝ったネーミングを格好いいと思った。『哀・戦士編』というタイトルは、当時流行っていた「愛とロマンの作品」に対するアンチテーゼであり、もっとはっきり言ってしまえば『宇宙戦艦ヤマト』シリーズに対するアンチテーゼになっていた。「愛の戦士」に対して「哀・戦士」だったわけだ。そこに『機動戦士ガンダム』はシリアスな作品であり、『ヤマト』のような甘ったるいものではないという主張が読み取れた。
『哀・戦士編』公開時、世間はガンダムブームで盛り上がっていたが、僕の中では『ガンダム』に対する気持ちはちょっと冷めていた。前回書いたように、第1作には「打ち切りになったTVシリーズが、ファンの応援で映画になった」というお祭り感覚があった。多分、第1作を観た時点で、僕の中で、そのお祭りが半分くらい終わってしまったのだろう。
それもあって『哀・戦士編』は公開初日に行くつもりはなかった。やたらとアニメ映画の初日に徹夜をしている友達がいて、彼が公開2日目に徹夜すると言っていたので、それに付き合うつもりだった。今思い返すと「2日目に徹夜」というのは意味が分からないが、多分、2日目にもセル画のプレゼントがあったのだろう。初日の昼過ぎに、その友達と映画館に行ったら、行列ができていた。2日目の徹夜の行列だろうと思って、後ろに並んだのだが、それは初日の午後の回を観るための行列だった。途中で気がついたのだけど「まあ、いいか」と思って、そのまま午後の回で観てしまった。そのくらい『機動戦士ガンダム』に対してユルい気持ちになっていた。
『哀・戦士編』は、TVシリーズの16話から31話に相当する内容で、エピソードの前後の入れ替えが多い。内容としてはセイラの出撃、アムロの脱走、ランバ・ラルとの対決、マチルダとリュウの死、ミハルのエピソード、ジャブローでの戦いと盛り沢山だ。そして『哀・戦士編』のタイトルどおり、大勢の人が死ぬ。メカ関係では、TVシリーズのGファイターに代わって、新メカのコアブースターが登場している。公開前にアニメ雑誌の記事を読んでいたので、大体の内容は分かっていた。このシリーズに関しては、作品を鑑賞するというよりは、イベントに参加するという意識でいたので、映画としての満足感はあまり期待していなかった。だけど、TVシリーズにおけるジャブローでのエピソードは、どれもこぢんまりとした印象で「あれをクライマックスに持ってきて、映画としてまとまるのか?」と思っていた。だが、いざ観てみると、戦闘シーンが巧みに再構成されており、テンションの高いクライマックスに仕上がっていた。挿入歌として使われた「哀 戦士」も、抜群の効果を上げていた。力業の演出だった(初見時に「力業だ」と思ったわけではない)が、ちゃんと映画らしくまとまっているのに感心した。「哀 戦士」の使い方に関しては、カメラを連邦軍のお偉いさんの方に振ったところで、曲を途中でブツと切る感覚が、クールで格好いいとも思った。
他に、構成に関して驚いたのは、TVシリーズにあったオデッサ作戦のエピソードが、ほとんどカットされていた事だ。『哀・戦士編』ではマチルダの死も、ハモン達との戦いも、オデッサ作戦進行中の事になっているのだが、初見時にはそのあたりがよくわからず、「あれ? いつの間にオデッサ作戦が終わったの?」と思った。TVシリーズの30話「小さな防衛戦」におけるカツ、レツ、キッカの活躍が残ったのも、ちょっと意外だった。嬉しかったのは、TVシリーズでも好きだった、ミハルのエピソードが残った事だった。今思えば、大きな物語の流れよりも、各キャラクターのドラマを重視した構成だったのだろう。
『哀・戦士編』でも気になったところがある。ドムの攻撃でマチルダが死ぬ瞬間に、宙を舞うマチルダのイメージが挿入されるのだ。それはビジュアルとしては美しいものだったし、アムロのニュータイプ覚醒に絡んだ描写でもあったが、人の死をドライに扱うのが『ガンダム』のいいところだと思っていたので、その描写が入ったのを、ちょっと残念に思った。その後のハモンとの戦いで、アムロのニュータイプ光線(正式名称ではない。ニュータイプ能力の表現として、額のあたりに現れる光を、僕はそう呼んでいた)の中に、死んだはずのマチルダの姿が見えて「大丈夫」と言う(アムロが、マチルダの声を聞いた事を示す表現なのだろう)のだが、それについても、死んだ人間が励ましてくれるなんて、甘ったるいなあと思った。ニュータイプ光線の中にマチルダが見えるカットは、予告にも使われていたもので、ビジュアルとしては非常に鮮烈なものだった。映像としては格好いいと思いつつ、これでいいのかなあと思ったわけだ。
ミハルが死んだ後の描写についても同様だ。死んだミハルが、カイ・シデンに語りかけるのはTVシリーズも同様なのだが、劇場版では見せ方が変わっており、嘆いているカイの隣に、ミハルが現れたような映像になっていた。その方が感動的なのだろうが、やはり「甘ったるくなったなあ」と思った。タイトルは『哀・戦士編』だが、ちょっとだけ「愛の戦士」寄りになっていた。
第83回へつづく
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(09.03.10)