第106回 美樹本晴彦と大阪のメカキチ
1982年にはTVシリーズ『超時空要塞マクロス』の放送が始まる。『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』に次ぐビッグタイトルであり、僕にとっては『ヤマト』とも『ガンダム』とはまるで違った感慨のある作品だ。『マクロス』自体の話に入る前に、このタイトルとの出逢いについて書いておきたい。僕が『マクロス』の存在を初めて意識したのは喫茶店と、アニメショップ近くの路地だった。
当時、すでに業界の知り合いが何人もいた。すでにアニメーターとして活動している人もいた。そういった連中と喫茶店でダベっていた時に、彼らの1人に、『マクロス』のキャラクター原案のコピーを見せてもらった。放送開始の数ヶ月前で、アニメ誌に情報が露出し始めた頃だったと思う。彼は仕事の関係で、それを入手したのだろう。一緒にキャラデザインやメカデザインも見せてもらったのかもしれないが、それは覚えていない。1色コピーではなくて、当時はまだ珍しかったカラーコピーだったと思う。まだ新人であった美樹本晴彦が描いたもので、イメージボードのようにマーカーで着色されていた。量はかなりあった。それはアニメ誌の新作紹介記事にも一部掲載され、後にムックにも収録された。
『マクロス』のキャラクター原案は、ちょっとした衝撃だった。それまでに見た事もないくらい、アニメファン的にキャッチーな画だった。当時一番キャッチーなキャラデザイナーは安彦良和であり、それを進化させたのが美樹本晴彦の画だった。当時の僕はそこまでは分からなかったが、「安彦さんっぽくて、しかも、新しい」と思った。巧いし、華があった。キャラクター原案からうかがえる性格づけ等も、僕の心に響いた。その中にオペレーター3人娘の画もあり、マンガ「軽井沢シンドローム」からの影響が見てとれた。「軽井沢シンドローム」は「ビッグコミックスピリッツ」に連載されていた、たがみよしひさの作品で、僕達にとっては最先端のイケてる作品だった。そういう部分についても「これを描いた人は分かっているなあ」と思った。その時点で、僕は美樹本晴彦の名前を知らなかった。実は『機動戦士ガンダム』本放送時に、彼が参加した『ガンダム』同人誌を買っていたのだが、その執筆者と同一人物だと気がつくのは、ずっと後だ。
それからしばらくして、アニメショップ近くの路地で、新人アニメーターの友達に『マクロス』についての噂話を聞いた。当時、僕を含めたセルコレクター達は、セル画が入ったファイルを持って、アニメショップの周りの路地をウロウロしていた。今思えば怪しげな光景だ。友達は「新番組の『マクロス』には大阪のメカキチが参加して、凄い事をやっているらしいぞ」と言っていた。「祭りになりそうだぞ」といったノリだった。メカキチの「キチ」は「釣りキチ三平」の「キチ」と同じ。つまり、メカキチガイの意味である。
その話を聞いた時は「大阪のメカキチ」の意味が分からなかった。彼は、1981年に大阪で開催された第20回日本SF大会(DAICON III)のオープニングアニメを作ったメンバーが、参加していると言っていたのだ。『DAICON III OPENING ANIMATION』は、アマチュアが作ったとは思えない完成度の高さで話題となり、マスコミでも取り上げられていた。主要スタッフが、後にガイナックスの設立に参加する庵野秀明、赤井孝美、山賀博之だ。その中で『マクロス』の制作に参加したのは、庵野秀明と山賀博之で、メカキチとは庵野秀明の事だ。アマチュアであり、プロの作品に関わるのは初めてだったにも関わらず、動向がその筋で話題になるくらい、彼らは注目を集めていたのだ。友達が言っていたのが『DAICON III』スタッフが参加しているという意味だったのに気づいたのも、放送が始まって随分経ってからだ。
友達が言っていた事は、半分は正しくて、半分は間違っていた。確かに庵野秀明は『マクロス』で素晴らしい仕事を残すのだが、彼は限られた話数のみのピンポイント的な参加だった。『マクロス』でシリーズを通じてバリバリとメカを描き、祭りをおこすのは板野一郎だった。とにかく、キャラクター原案と大阪のメカキチの噂で、僕の中で『マクロス』に対する期待が膨んでいった。そして、放送が始まった。
第107回へつづく
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(09.04.14)