アニメ様365日[小黒祐一郎]

第133回 『宇宙戦艦ヤマト 完結編』

 『宇宙戦艦ヤマト 完結編』について書こうと思っていた矢先に、新作『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』の公式サイトがスタートした。しかも、公式サイトの解説を読むと、『復活篇』は『完結編』の続きであるらしい。タイミングが悪いなあと思った。以下、『完結編』についてネガティブな事を書くけれど、僕は『復活篇』に対して、悪い感情を持ってはいない。もう『完結編』から四半世紀が経っており、当時のヒネくれた気分は薄れている。むしろ、どんなかたちで『宇宙戦艦ヤマト』が復活するのか楽しみなくらいだ。
 さて、話を1983年まで巻き戻そう。アニメ誌で報道されていたので、僕達は公開前から、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』で初代艦長の沖田十三が復活する事も、最後にヤマトが自爆する事も、古代と雪のラブシーンがある事も知っていた。『さらば』の後に新作を続けてしまった『ヤマト』だ。『完結編』というタイトルがつけられている作品だが、「本当にこれで終わるの?」と思っていた。沖田の復活に関しては「やれやれ、今度は沖田を復活させるのかよ」という感じだった。「第1シリーズの感動が台なしだよ」とまでは思わなかった。もはや、そこまで『ヤマト』に対して初心ではなかった。
 しかし、ここまで付き合ってきた『ヤマト』だ。最後を迎えるなら、どんな最後を迎えるのか観てやろう。そんなつもりで劇場に足を運んだ。この映画で一番印象的なのは、どうして沖田艦長が生きていたのかが明らかになる場面だ。第1シリーズ最終回で沖田が死んだことになっていたが、それは佐渡酒造の誤診であり、まだ脳死には至っていなかった。その後、沖田は手術を受けて、療養していたというのだ。そして、沖田が生きていた事に関して、佐渡が「全国の皆さんに、坊主になってお詫びしなきゃならんな」と言って謝る。しかも、アップになって、カメラ目線だ。明らかに映画を観ている観客に、語りかけていた。さらに森雪が「先生、それ以上、どうやって坊主になるの?」と言って混ぜっ返す。アニメ史に残る珍シーンだ。客席のあちこちから失笑が湧いていた。同年輩の友人と話すと「自分が観た時も、そうだったよ」という話になる。第1シリーズの再放映に熱中していた頃には、まさか『ヤマト』で、失笑する日がくるとは思わなかった。
 もうひとつガッカリしたのが、今回の敵であるディンギル帝国だった。ディンギル総統は、母星と共に大勢の同胞が死んだ際に「この世は強い者が栄えるためのみにある。弱い老人や女子どもなど、滅びて当然」と言ってしまうような男だった。クローンで子孫を増やすつもりだったとか、そういった裏設定があったのかもしれないが、そのセリフを聞いて「なんて頭が悪いやつらだ」と思った。ヤマトが怖くて、偽の地球を作ってしまった暗黒星団帝国の連中もひどいものだと思ったが、ディンギル総統はそれ以上だった。「弱い老人や女子どもなど」と「坊主になって」で、かなり気持ちが冷めてしまった。
 『完結編』にはもう一点、とんでもない点がある。『完結編』は、第3TVシリーズ『宇宙戦艦ヤマトIII』に続く物語であり、『ヤマトIII』ではガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦という銀河二大勢力の対立が描かれていた。『ヤマトIII』は、その対立が解消するところまで話が進まなかったのだが、『完結編』の冒頭5分ほどでケリがついている。『完結編』の冒頭は、まず、厳かなナレーションによって、水の惑星アクエリアスの伝説が語られ、次いでタイトルが出る。タイトル後に、宇宙に起きた異変が話題になる。我々の銀河系と、異次元から現れた別の銀河系が交差し、銀河系中心の核恒星あたりで星々の衝突が起きた。そのために、ガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦は、壊滅の危機を迎える事になったのである。ナレーションと、ふたつの銀河が交差しているビジュアルだけで、両勢力のドラマはお終いである。『ヤマト』シリーズが完結するにあたって、解決していなかった二大勢力の問題を片づけなければならなかったのだろうという事は分かるが、それにしても強引だ。ただ、これに関しては初見時にはあまり驚かなかった。その時には、冒頭だけで『ヤマトIII』の設定に決着をつけた事に、気づかなかったのかもしれない。
 「弱い老人や女子どもなど」と「坊主になって」の部分は残念に思ったが、初見時には、それ以外は首を傾げるところはあまりなかった。他の不満は、長すぎた事くらいだ。『完結編』の尺数は、2時間38分で『さらば』よりも長いのだが、物語は『さらば』よりもずっとシンプルだ。数えた事はないが、戦闘シーンの数も少ないだろう。間や個々の描写をたっぷりさせたために、長い映画になっているのだ。クライマックス後にある、古代と雪のラブシーンは照れ臭かったし、なんだか場違いなものを見せられた気がしたが、別に嫌でもなかった。沖田が生き返った事についての説明はあんまりだったが、彼の艦長としての振るまいは男性的で力強く、やはり彼が艦長になるとドラマが締まるなあと思った。「もう『ヤマト』には飽きた」と言いながらも、発進シーンにはワクワクしてしまったはすだ。ビジュアルや音楽は、今までのシリーズに比べてもゴージャスだった。
 全体に雰囲気が重たい映画だった。公開後に友達が、『完結編』で雪の制服が、白地に黒の模様だったのは、喪服の意味だったらしいぞ、と教えてくれた。ヤマトの最期だから、喪服を着ているというのだ。彼が言った事が本当かどうかは知らないが、後に『完結編』を観返して、確かに葬式のような映画だと思った。映画の最初から「これからヤマトが最期を迎える」という雰囲気が漂っていた。『完結編』は「『ヤマト』を終わらせるための映画」だった。初見時にも、面白いとは思わなかったが、「『ヤマト』が終わる映画」に相応しい内容だと感じたはずだ。
 話が二転三転してしまって申し訳ない。ではあるが、ヤマトが自爆したと言っても、胴体部分が真っ二つになっただけで、木っ端みじんになったわけではなかった。沖田は死んだのだろうが、第一艦橋で座ったままのその身体は、まるで穏やかに眠っているかのようだった。「あれくらいの損傷だったら、真田ならヤマトを直せるんじゃないか」とか、「沖田の身体は残っているから、次回作があったら、サイボーグ化して復活するんじゃないか」などと思った。「『ヤマト』を終わらせるための映画」に相応しい内容だとは思ったが、これで本当に終わりなのかな、と疑っていた。大好きだった『ヤマト』が完結したという感慨は、ほとんどなかった。

第134回へつづく

宇宙戦艦ヤマト 完結編

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(09.05.27)