第159回 無音で上映された『名探偵ホームズ』
僕が最初に『名探偵ホームズ』を観たのは、「アニメージュ」のイベントにおいてであり、それはBGMも、セリフもついていない無音のフィルムだった。1983年の印象的な体験として、そのイベントについて書こうと思って、「アニメージュ」のバックナンバーをひっくり返した。イベントレポートが載っている号は見つかったのだが、記事を読んでみたところ、イベントが開催されたのは1982年12月だった。てっきり、1983年のイベントだと思っていた。1982年の話題だと、この連載中での時系列がおかしくなってしまうが、書いておきたい話題ではあるので、ここで触れる事にする。
まず『名探偵ホームズ』の内容ではなく、国内公開までの経緯について説明しておく。これはイタリアのTV局と東京ムービー新社の合作TVシリーズで、監督は宮崎駿、制作現場はテレコム・アニメーションフィルムだった。『名探偵ホームズ』と「アニメージュ」は切っても切れない関係だ。「アニメージュ」の記事がなければ、僕達はこのタイトルを知りもしなかったし、『名探偵ホームズ』は幻のタイトルになっていたかもしれない。
「アニメージュ」が初めて大々的に『名探偵ホームズ』をとり上げたのが、1982年の9月号。8ページの記事で、イメージボードや、第2話として予定されていた「青い紅玉」のフィルムストーリーを掲載。しかし、この段階で日本国内での放映は未定だった。東京ムービー新社側のコメントで、何とか来年(1983年)には国内でも放映したい、とある。次に『名探偵ホームズ』の特集が組まれたのが1983年の2月号。この特集には、第3話として予定されてた「海底の財宝」のフィルムストーリーが掲載されている。2月号の時点で、制作は6話でストップしており、イタリア側と話し合い中だとある。結局、イタリアとの合作としての『名探偵ホームズ』は、6話までで頓挫してしまう。
このまま幻の作品になってしまうのかと思われたが、1984年に『風の谷のナウシカ』の同時上映のかたちで「青い紅玉」と「海底の財宝」が劇場公開され、ようやく国内のファンの目に触れる事になった。言うまでもなく『風の谷のナウシカ』は、「アニメージュ」の徳間書店が製作した作品であり、劇場公開された『名探偵ホームズ』にも「協力」として、徳間書店がクレジットされている。頓挫する前から追いかけてきた「アニメージュ」が、『名探偵ホームズ』を劇場公開にもっていったというかたちだった。さらに劇場公開をきっかけにして、『名探偵ホームズ』は制作が再開され、先に出来上がっていた6本と、別スタッフによって作られた20本を加えた全26話のシリーズとなって、1984年11月6日からTV放映される事になる。
話をイベントに戻すと、いつ日本で観られるのか分からなかった時期に、「アニメージュ」主催のイベントで『名探偵ホームズ』が上映される事になった。イベントが開催されたのは、1982年12月21日。「アニメージュ」の最初の特集と、2度目の特集の間である。イベント名は「アニメージュ文庫発刊記念“汗まみれ”イベント」。アニメージュ文庫刊行を記念してのイベントであり、タイトルの“汗まみれ”は、アニメージュ文庫のラインナップにあった、大塚康生の「作画汗まみれ」からとったのだろう。
どういった経緯で、そのイベントに行ったのかは覚えていない。『名探偵ホームズ』は宮崎駿の新作で、しかも、国内ではいつ観られるか分からない作品だ。「アニメージュ」の記事を観ると、かなり出来がよさそうだ。当時の僕は、猛烈に観たいと思ったに違いない。きっとマジメに往復ハガキを出して、参加申し込みをしたのだろう。浪人中の12月だというのに、渋谷の東急東横劇場に向かった。イベントの内容は高畑勲監督の『セロ弾きのゴーシュ』、『名探偵ホームズ』の「青い紅玉」の上映。アニメージュ文庫執筆者によるトーク、アニメージュレーベルと徳間関連の歌手による歌のコーナー、宮崎駿による講演と質疑応答という内容だった。
申しわけないけれど、イベントレポートを読み返すまで、アニメージュ文庫の執筆者のトークや歌のコーナーがあったなんて忘れていた。『セロ弾きのゴーシュ』もよくできた作品で、僕はこのイベントで初めて観たのだけれど、それも印象が薄くなってしまった。『セロ弾きのゴーシュ』を単独で観ていたら、もっと感銘を受けていただろう。それくらい「青い紅玉」が素晴らしかった。
冒頭で触れたように、この日、上映された「青い紅玉」には音声がなかった。まだ音響作業が行われていなかったからだ。セリフがなくても、内容はだいたい分かった。映像だけで内容を理解しようとしたため、通常の視聴よりも、ずっと集中して観た。宮崎駿が得意とする、まんが映画的なドタバタも、ディテールに凝った画面作りも、ユニークなキャラクターも、素晴らしかった。「アニメーションの豊かさ」を満喫した。動くものの物量が凄かったのがよかった。例えば、終盤のモリアーティのプテラノドン型飛行機とホームズの自動車の追っかけのシークエンスで、プテラノドンがトンネルを通るカットがある。プテラノドンは鶏を運んでいた荷車とぶつかってしまい、荷車から大量の鶏が飛び出す。プテラノドンが飛び去った後に、今度は鶏達の中をホームズの自動車が突っ切っていく。鶏なんて出さなくても、その場面は成立するのだけれど、嬉々としてそんなカットを作ってしまう。そういった作り手の遊び心が楽しかった。
最大の見どころは、やはりクライマックスにおける、ロンドンブリッジでのアクションだった。絵コンテも、画面構成も、作画も完璧。この話のヒロインであるポリィが、空中でホームズの自動車に飛び移る瞬間に鳥肌が立った。この場面は宮崎駿のアクション演出の中でも、ベストのものだろうと思う。繰り返しになるが、無音だったために集中して観た。集中していたため、クライマックスの感動が倍増したのかもしれない。『ナウシカ』公開時に、セリフやBGMがついた「青い紅玉」を初めて観たわけだが、音楽の付け方が好みでなかったためか、実はイベント上映ほどは感動しなかった。
このイベントでもうひとつ記憶に残っているのが、宮崎駿による講演と質疑応答だった。僕が、彼のトークを生で聞いたのは、これが初めてだった。講演の内容は「ある仕上げ検査の女性」というもので、その内容は単行本「出発点 1979〜1996」に収録されている。印象的だったのは、彼の仕事や創作に対する真摯な態度。それから質疑応答においての、ファンの発言に照れた様子だった。すでに彼は40歳を過ぎていたはずだが、まるで青年のようにシャイな感じだった。
第160回へつづく
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