アニメ様365日[小黒祐一郎]

第204回 「クサい」「ダサい」の時代

 その感覚は自分の中でも、すでに印象が希薄になっているのだけれど、1980年代半ばに「クサい」「ダサい」という言葉をよく使っていた。僕は若者文化の歴史みたいなものに精通しているわけではないので、この言葉がどういった経緯で流行ったのか、どのくらい流行ったのかは分からないのだけれど、とにかく僕の周りでは、その言葉がよく使われていた。
 フィクション以外の事についても「クサい」と言ったり、「ダサい」と言ったりしていたが、このコラムではフィクションについての話をする。要するに、アニメやドラマの大袈裟な描写や、ドラマチックな内容に対して「クサい」と言っていた。そして「クサい」ものは「ダサい」ものだった。アニメで言えば『巨人の星』や『宇宙戦艦ヤマト』が「クサい」作品の代表選手だった。
 象徴的なのが、1983年秋から放映されたTVドラマ「スチュワーデス物語」だった。この番組は、大映ドラマらしい大袈裟な内容で、それが非常に受けた。視聴者はそのクサいドラマを、半ばギャグとして観ていたのだ。ドラマチックである事や、大袈裟である事は、笑いの対象になっていた。1970年代には考えられない事だった。
 そういった大袈裟な事やドラマッチックな内容を、「クサい」と言ってパカにしたり、笑ったりする風潮は、アニメの企画や作劇ともリンクしていた。1980年代半ばに、アニメから熱いドラマや、シリアスな内容が急速に減っていったのだ。驚くくらい綺麗になくなった。時代が変わったのだ。
 そういった風潮の中だからこそ成功した作品が、『うる星やつら』(1981年)に始まるフジテレビのライトなノリの作品群であり、『世紀末救世主伝説 北斗の拳』(1984年)であり、『タッチ』(1985年)や『宇宙船サジタリウス』(1986年)だった。いや、シリアスや大袈裟である事を笑い飛ばすという意味では、『Dr.スランプ アラレちゃん』(1981年)が、そういった作品のルーツかもしれない。
 それぞれの作品については、いずれ改めて話題にするが、『北斗の拳』の人の死をギャグとして扱う感覚(例の「ひでぶ!」というやつだ)は、あの時代の気分に見事にマッチしていた。当時としてはアンチドラマチックな作品であった『タッチ』は、1980年代半ばを代表するタイトルだ。『宇宙船サジタリウス』が始まった時には「ああ、なるほど。今、ドラマを作るなら、これが正解だ」と思った。
 僕は「スチュワーデス物語」を半分は笑って、半分はマジメに観ていたような人間だったので(堀ちえみ演じる松本千秋に呆れつつも、ちょっと応援していた)、ドラマチックな作品がなくなっていくのをちょっと残念に感じていた。そして、大袈裟なことやドラマッチックな内容を、「クサい」と言ってバカにするような風潮は、1980年代で終わったわけではない。口に出して「クサい」「ダサい」と言わなくなっただけで、そういった気分は残った。現在のアニメのドラマ作りにも、影響を与えていると思う。

第205回へつづく

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(09.09.04)