第272回 『メガゾーン23』と1980年代
『メガゾーン23』がリリースされた1985年は、僕が21歳になった年だ。その頃は、後に「1980年代っぽい」とか「1980年代的」なんて表現が使われるようになるとは思わなかった。だって、当時の僕達にとって1980年代は「現代」であったわけで、いつまでも同じノリの現代が続くと思っていた。1980年代的と言えば、よく言えばノリがよく、悪く言えば軽薄。そして、ちょっとリッチ。そんな感じだろうか。何だか浮かれていた時代だという印象もある。
久しぶりに『メガゾーン23』を観て思ったのは、1980年代的だなという事だった。勿論、アニメーションのスタイルとしても、メカと美少女のコンセプトも1980年代的なのだけれど、それとは別に、描かれている人物の言動にも、あの時代を感じた。
細かい部分の話になるが、当時、劇中で描かれた新宿に驚いた。『新ルパン』最終回でも、『幻魔大戦』でも、リアルに新宿が描写されているけれど、どちらかと言えば描写が甘かった『メガゾーン23』の新宿の方に、より現実味を感じた。それはディテールの拾い方のためかもしれないし、そこにいる主人公達のノリのためかもしれない。自分達がよく行っている場所が、確かにアニメの中にあった。ただし、リリースされた頃に「リアルな現代」だと感じたのは、その場面ぐらいだった。他の部分については「今の自分達の生活に近いぞ」なんて思いもしなかった。
距離をおいて見られるようになったためか、今観返すと、あちこちに1980年代っぽさを感じる。主には、主人公達のちょっと浮かれた感じとか、バイト生活なのに貧乏な感じがないところ。あるいは、出てくる3人の女の子が、将来に対して、それぞれ大きな夢を抱いているところ等々(当時の女の子があんな夢を抱いている子ばかりだったというわけではない。あくまで印象の問題)。主人公の省吾は、バイクが好きで、元気一杯だけど、これといってやりたい事のない男の子。何かというと、猪木のマネをして「ダー」と叫ぶ。ああ、高校の頃にあんなやついたなあと思う。
作り手が意識して当時の若者を描いていたのも間違いない。設定的にもテーマ的にも、『メガゾーン23』は主人公達を1980年代の若者として描く必要があった。主人公達が生活しているのは、宇宙船の中に再現された1980年代(劇中の言葉では「20世紀の終わり」)の東京だった。再現されたのが、その時代であった理由について、時祭イブは「一番平和な時代だったからです」と語っている。別の場面で、由唯が自分達が暮らしている時代について「今が一番いい時代だって気がする」と言っている。
作り手達は、主人公達と彼らが生活する世界を、当時の若者や彼らの生活に合わせる事で、それが喪われていく怖さを感じさせようとしたのだろう。今観返すと、それよりも、『メガゾーン23』という作品が1980年代という時代を賛美しているように思えて、奇妙な感慨を抱く。僕は1980年代がいい時代だったなんて意識はないのだけれど、1980年代に暮らしている由唯に「今が一番いい時代だって気がする」と言われると、「あれ、そうだったのかな」と思ってしまう。
第273回へつづく
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(09.12.17)