アニメ様365日[小黒祐一郎]

第318回 大切なのは「いる感」(番外編12)

 昨日の原稿を仕上げた後で、アニメの「いる感」について書いておこうと思った。ここ数年、僕がずっと気になっているテーマだ。実は、このテーマで新書を1冊書くという話もあったのだが、半年以上も編集担当から連絡がないところをみると、企画が流れてしまったのだろう。
 「いる感」というのは、アニメのキャラクターが目の前に「いる」ような気がする事だ。「いる感」という言葉が指すものは「存在感」に近いけれど、もっと感覚的なものであり、観る側の思い入れも絡んでくる。映像を観ていて、その中のキャラクターが本当に生きているかのように感じてしまう。それが「いる感」だ。
 個々の人達が意識しているかどうかは別にして、アニメを観る側にとっても、作る側にとっても「いる感」が非常に重要だ。「いる感」が強くなれば、キャラクターに対する感情移入が深まり、ドラマの感動も増す。「いる感」がなければ、キャラクターは単なる画になってしまう。それでは、萌えも発生しない。
 アニメキャラの「いる感」は、物語、映像、声を含めた音響によって表現される。どうして、アニメでリアルな空間を表現しなくてはいけないのか、どうして、キャラクターに現実味のある芝居をさせなくてはいけないのか。勿論、それは物語世界にリアリティや説得力をもたせるためでもあるのだけれど、キャラクターの「いる感」を表現するためでもあるはずだ。
 そもそも、アニメーションの原点は、動かす事によって、画として描かれたものを、まるで生きているかのように表現する事にある。現在の日本のアニメにおいては、動きだけでなく、作劇や画作りなどを使って、画であるキャラクターに「いる感」を与える。現在のアニメファンが、キャラクターが動いてない作品に対して否定的であるのは「本来的な意味で、アニメーションとしての魅力がないから」ではなくて、止まっていると、キャラクターの「いる感」が感じられないからではないか。
 『AIR』以降の京都アニメーションの美少女ものに対して感心するのは、キャラクターが動く事を、きちんと作品の魅力につなげた事だ。キャラクターの動きが「いる感」に直結していた。『涼宮ハルヒの憂鬱』EDや『らき☆すた』OPのダンスが、ファンの心をつかんだのは、映像として見応えがあるからだけではなく、手の込んだダンス作画によって「いる感」を強烈に打ちだしていたからだろう。
 「いる感」を強く表現するために、必ずしもリアリティが必要なわけではない。たとえば「ひだまりスケッチ」シリーズは、どちらと言えば動きが少ない作品であるし、時間や空間も、リアルなものとして扱っていないが、充分に「いる感」が表現されている。むしろ、「いる感」を売り物にしているシリーズだ。リアルでないキャラクターや手法で「いる感」を表現するのも、実は、アニメの醍醐味なのだろうと思う。勿論、『クレヨンしんちゃん』には『クレヨンしんちゃん』の、『ちびまる子ちゃん』には『ちびまる子ちゃん』の、「いる感」がある。それぞれのリアリティに合わせた「いる感」があるのだ。
 日本のアニメにおいて「いる感」は、次第に強まる傾向にある(昔の作品でも、たとえば高畑勲の作品には、強い「いる感」があったのは分かっている)。今では、前述のタイトル以外にも「いる感」を売りにしている作品は多い。アニメの技術的な、あるいはセンスに関する進歩や変化は、まるで「いる感」を強めるためにあるのではないか、と思うくらいだ。

第319回へつづく

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(10.03.03)