第323回 『宇宙船サジタリウス』と年齢
僕にとって、『宇宙船サジタリウス』という作品は、一色伸幸の仕事が重要だ。この作品のかなりの部分を彼が作っているのではないかと思う。一昨日の原稿(第321回 『宇宙船サジタリウス』)を書くにあたって、第1シリーズ「ムーの謎編」全話と、第3シリーズ「ザザー星編」の半分を、久しぶりに観直してみた。
今観ても、40代、30代、20代の主人公を、それぞれの年齢として描いていると思える。ただ、当時と印象が違ったところもある。当時は、大人の目線でそれぞれの年齢を描いているように思えたけれど、観直してみたら、ずっと若者寄りの目線で語られたドラマだった。
当時は40代のラナの描写を悲哀があっていいと思ったけれど、今だと20代のジラフがいい。若さゆえの未熟さと一所懸命さがいい。若いキャラクターの方が、より描けているように感じた。これは感覚的なものなので、違うという人もいるかもしれないし、10年後に観直したら印象が変わるかもしれないが、とにかく今回はそう感じた。放映当時の自分は、ジラフと同じ20代であり、今はラナと同じ40代だ。僕自身の、年齢についての感じ方が変わったというのもあるのだろう。
一色伸幸の年齢が気になって、プロフィールを調べてみたが、なんと彼は1960年生まれ。『宇宙船サジタリウス』の放映開始時には26歳だ。若手だろうとは思っていたが、予想以上に若かった。ちなみに、代表作となる実写映画「私をスキーに連れてって」が、翌1987年の公開だ。
実年齢と精神年齢が一致するとは限らないが、彼に一番近かったのがジラフであり、30代のトッピーは「こういう大人になりたい」という理想を込めて描かれたキャラクターだったのではないか。40代のラナもきちんと描けているのだけれど、一色伸幸がもっと年上だったら、描写が違っていたのではないかと思った。いや、これは僕の、想像の上に想像を重ねた話でしかない。僕は、一色伸幸がどんな人物なのかまるで知らない。
「ムーの謎編」と「ザザー星編」を観返して、もうひとつ感じたのが「人間はこうあってほしい」という主張が込められており、その主張がまっすぐであるという事だ。今観ると、そういったドラマの作りを、初々しいとすら思う。
第324回へつづく
(10.03.10)