第403回 『ロボットカーニバル』の各作品(7) 北久保弘之の「明治からくり文明奇譚 〜紅毛人襲来之巻〜」の続き
『ロボットカーニバル』の中において、娯楽に徹した作品は「明治からくり文明奇譚 〜紅毛人襲来之巻〜」だけであり、それゆえに目立つ作品となっている。アニメファンの間で、一番人気が高いのもこの作品だろう。僕にとっては、北久保監督が手がけた中で、一番好きな作品だ。
「明治からくり文明奇譚」のメイキングについて、ちょっと気になるエピソードがある。この作品のファンにとっては重要な話ではないかと思う。まず、以下に、アニメージュの「いまだから話せる!? 『ロボットカーニバル』の裏のうら」の原稿を抜粋し、掲載する(適宜、用字や句読点等を修正し、補った)。
あまりに楽しい仕上がりのこの作品。素直にエンターテインメントに徹して作られた作品と思われるだろうが、意外と事情は複雑だ。
北久保さんが最初に作りたいと思ったのは、町中にいきなり巨大ロボットが現れ、人々がパニックにおちいる。そのパニックを事件としてとらえ、ディテールを描き込むといった抽象的な作品だった。
他の人の作品の形や指向性がみえてきたときに、このまま作ってしまっては「ロボットカーニバル」のどの1本もそれぞれ特定のファンにしか受けないものになってしまうと北久保さんは考え、物語性をつけ加え、余分な部分をはらい、作品をいまの形に路線変更した。8本をまとめて1本のビデオに、と北久保さんが考えたのは、彼がこの作品の発案者のひとりだったことと関係あるのだろう。
つまり、『ロボットカーニバル』という作品全体を考えて、本来自分がやりたかったものとは別のものを作った、という事だ。僕はなるほどなあ、とその話に納得していた。しかし、「メモリー オブ ロボット・カーニバル」のインタビューでは、微妙にニュアンスが違った。これも抜粋して引用しよう。
—— 北久保さんが、参加したクリエイターのまとめ役だったんですよね。
北久保 いえいえ! まとめ役だったわけではないと思いますよ。ただ、自分の作品の趣向が、自分のポジションに反映されているだけで。
—— 結果的にそうなったという事ですか。
北久保 うん。俺は、他の人達がどういうものを作ろうとしているか、ある程度見えたところで、自分の演出を方向転換したから。言ってみれば「後出しジャンケン」みたいなもので(笑)。
—— 「明治からくり文明奇譚」の話になるんですけど、元々はああいう話をやるつもりではなかったそうですね。
北久保 ええ。元々は現代劇で、新宿に巨大ロボットがいて、その足元で人々が右往左往する状況を淡々と描くようなものを考えてたんです。それが他の人の作品を見ると、芸術的な志向性を感じさせる作品が多かった。それで、そういう傾向の作品では、自分には勝ち目がないと思ったんです。
—— 『ロボット・カーニバル』の中に1本ぐらいエンターテインメント寄りのものがあったほうが、バランスがいいという判断ではないんですか。
北久保 うーん。そういう判断も多少はあったかもしれない。アート系のものは、それを得意とする方々に任せて、自分は娯楽派で行こうと。
作品完成直後のインタビューでは「作品全体のために、路線を変えた」と言っており、それから10数年経ったインタビューでは「他の人の作品を見て、それらに負けないために路線変更した」と言っている。どちらも本当なのだろう。作品全体の事も考えたのだろうし、どうすれば他の監督に負けないものが作れるかも考えたのだろう。同じ作家が、同じ作品の意図について話をして、時期によって微妙に語り方が違うのが面白い。もしも、『ロボットカーニバル』がBlu-ray化される際に、また解説書を任せてもらえるなら、もう一度、全監督に話を訊いてみたい。次の取材でも、少し違った話を聞く事ができるかもしれない。
第404回へつづく
(10.07.07)