第481回 『火垂るの墓』
『火垂るの墓』は凄まじいばかりの作品であり、初見時に感銘を受けはしたけれど、できる事ならば二度と観たくないなあ、と思いもした。仕事で解説を書くために何度かビデオで観返す事になってしまったのだけれど、何回目の視聴になっても、気楽に観る事ができない。後述するように、本作は反戦映画ではないのだが、戦争の悲惨さを描いているのも間違いない。空襲を受け怪我をし、包帯を巻かれた清太の母親の姿は、画で描かれたものであるにも関わらず、目をそむけたくなるくらいの生々しさだった。辛い場面は沢山あるが、あの母親の姿が僕にとっては一番辛かった。
劇場アニメーション『火垂るの墓』は、野坂昭如の自伝的小説を原作にしたもので、監督は高畑勲。彼にとっては久しぶりに手がけた長編だ。時代は太平洋戦争末期。主人公は清太と妹の節子。2人は空襲で家を焼かれ、母親を喪い、おばの家で世話になる。しかし、おばと折り合いがうまくいかず、清太はその家を出て、妹と2人だけの生活を始める。
高畑監督のリアリズム指向は今までの作品よりも強まっており、ドラマの構築も見事なものだ。演出が巧みであると述べるのも申しわけないくらいの高みにのぼっている。高畑監督のリアリズムは、アニメーションに、まるで観客の目の前でドラマが展開されているかと感じさせるような説得力を持たせるためのものだ。『火垂るの墓』では、実写で描くよりも「本物らしい」ほどの域に達している。勿論、演出単体でその高みにのぼっているわけではなく、それは作画、美術、色彩設計、撮影などの総力を結集した結果である。
客観性は、リアリズム指向と並んで、高畑演出にとって非常に重要なものである。リアリズム指向と同様に、本作においては客観性も強まっている。公開当時は、本作における登場人物を見つめる眼差しは、客観を越えて、冷徹というべきものになっているのではないかと思ったほどだ。
『火垂るの墓』は反戦映画ではない。清太と節子が悲劇的な運命をたどるのは、世間や社会といった現実と向き合う事を避け、自分達だけの小さな生活を守ろうとしたのが原因だ。最終的に清太も節子も、命を落としてしまうのだが、それは戦争が直接的な原因ではない。おばさんの家に残っていたら、節子も栄養失調にならなかっただろうし、父親の消息もつかめたかもしれない。清太にとって戦争とは、立ち向かう事ができなかった「過酷な現実」のひとつなのである。
母親が空襲を受けて傷ついた時、清太はそれを節子に教えず、母親は別のところにいると嘘をついた。思えば、清太は、あの時から現実と向き合う事を避けていた。
『火垂るの墓』についてはもう少し続けたい。
第482回へつづく
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(10.10.29)