第484回 『火垂るの墓』で空襲に立ち合う
『火垂るの墓』本編の話に戻る。印象に残った場面はいくつもある。ひとつは序盤の空襲シーンだ。
この映画のファーストシーンは、清太が駅で死んでいるシーンであり、それは本編の「その後」の場面だ。幽霊の清太と節子が登場して、メインタイトル。オープニングでは、2人が列車に乗っている様子が描写される。オープニングが終わった後、物語が始まる。空襲警報のサイレンが鳴り、人々は走り回っている。清太の家では、先に母親が防空壕に行き、清太は庭に穴を掘って大切なものを埋めている。避難する様子をこれ以上はないくらい丁寧に、しかし無駄なく描いている。清太が父親の写真や着物を持ちだそうとしたところで、外で鐘が鳴り、「待避!」の声が響き渡る。
清太が家から出ると、すでにB29は飛び去った後だ。清太が天を見上げる。次のカットは、清太の目線で天から振ってくる焼夷弾だ。落ちてくる焼夷弾は1コマ作画である。その次のカットでは、低い位置にカメラを置いて撮った(という想定で作られた)遠景で、家や道に焼夷弾が落ちるのを見せる。このあたりのリアリティが凄まじい。
焼夷弾が落ちてきた後で、一度、清太は自分の家に駆け込むのだが、家の中を見ると、奥にすでに煙が漂っている。彼の家も焼け始めていたのだろう。その煙が不安感を醸しだす。清太が再び家から出ると、道に焼夷弾が落ちており、炎が出ているが、それほど危険には見えない。しばしの静寂。カメラは防火用のバケツ、梯子、防火用水を撮る。清太がその場から立ち去ろうとすると、周囲の家屋が一気に炎に包まれる。炎と共に家屋が倒れていくのを見て、清太は呆然とする。このシーンでは、焼夷弾が落ちたカットだけでなく、その後も、低い位置にカメラを置いて撮った(という想定で作られた)カットを多用しており、それが効いている。
本作で描かれたように、焼夷弾が落ちてから、家が燃え始めるまでに少し時間がかかり、燃え始めると一気に燃えるのか、あるいは焼夷弾が地面に落ちた時に、あのようなカランカランという音がするのかどうかは、僕は知らない。ただ、そういったディテールも含めて、とんでもなくリアルなものと僕は受け止めた。アニメの戦争シーンは山のように観てきたが、これほど、臨場感のある戦争の描写を観たのは初めてだった。いや、アニメに限らず、実写でもこれほど真に迫った戦争の描写は観た事がなかった。
「『ホルス』の映像表現」は高畑監督が、『太陽の王子ホルスの大冒険』を元にして自作の演出を解説した名著であり、その中に「観客を現場に立ち合わせる」という言葉がある。『ホルスの大冒険』の冒頭シーンは、主人公のホルスと狼の群れの戦いが描かれている。その場面で高畑監督は、モンタージュ的手法を排し、アクションに時間的空間的連続性をもたせる事で、実在感と臨場感を出そうとした。そうする事で、劇中のその現場に観客が立ち合っているかのような効果を出す——高畑監督の作品について何か書こうとすると、つい彼の言葉を使ってしまうのだが、今回もそうなってしまった。アニメーションに時間的空間的連続性を与えて、臨場感を出すのが、理想のアニメーションの作り方のひとつであるのは間違いない。そして、それを高畑監督ほど見事にやりきっている例は、他にはほとんどないはずだ。
せっかくなので、高畑監督の言葉を、もうひとつ引用する。彼は『ホルスの大冒険』の冒頭シーンの演出について「これからはじまる映画はたとえウソのようにみえても本当に起ったこととしてうけとってもらいたい、そして次々と起る出来事に積極的に立合い、内容の展開や人物の行動をじっくりみつめていってもらいたい、という願いもこのシーンに託していたのです」とも述べている。少年と狼の戦いと空襲シーンでは、臨場感の出し方がまるで違っているし、空襲シーンは厳密には冒頭ではないのだが、狙いは同じだったのだろう。
鮮烈に覚えている事がある。家が燃え始める前の、静寂の時間だ。防火用水を撮ったカットを観た時に、防火用水の埃っぽい水の匂いをかいだような気がした。その場面の空気を感じとった気がした。フィルムにそこまで表現されているわけではなく、それは僕が作品に入り込んで、勝手に匂いや空気を感じたと錯覚したのだ。ただ、アニメを観ていて匂いや空気を感じたと思ったのは、『火垂るの墓』のこの場面が最初で最後かもしれない。この話で原稿をまとめると、きれいにまとまり過ぎてしまう気がするが、高畑監督の狙いどおり、僕は空襲の現場に立ち合ってしまったのだ。
第485回へつづく
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(10.11.04)