第487回 『火垂るの墓』の顔を見せない老婆
前回に続いて『火垂るの墓』の「他者」について触れる。まずは映画序盤における、空襲後の場面だ。空襲の場面と同様に、それで焼かれた町の様子も、大変な臨場感で描かれている。清太は自分の家も焼かれ、母親のいる場所も分からず、焼け出された人々がいる中を歩いていく。そこで聞こえてくる人々の声に注目したい。
勿論、焼かれた母親に向かって叫ぶような娘もいる。しかし、悲惨な描写を積み上げた後で、高畑監督は、悲しみにくれていない人達を描写する。それは、たき火でお湯を沸かしながら「うちだけが焼けなんだら、そら、肩身が狭いやろな。ハハハハ。焼けてさっぱりしたわ」と言っている中年男であり、「まあ、無事でなによりやったなあ」という声であり、空襲の様子について語っているのだと思うが、やたらと高いテンションで話している中学生男子だ。最後の中学生男子については、絵コンテで「興奮して喋っている。むしろ、はしゃいでいる感じ」とト書きに書かれている。
「焼けてさっぱりしたわ」とは、どう考えても負け惜しみの空元気であるのだが、とにかく重要なのは、悲惨になって当たり前の場面で、空元気で笑っている男、はしゃいでいる男の子などを描いている点である。勿論、それらは空襲のときでも、皆が深刻になっているわけではないという意味のリアリズムでもあるだが、彼らが清太にとっての「他者」である事を示す描写でもある。もっと言えば「他者」が必ずしも、同じ感情を共有しているわけでないのを示す描写だ。それらのセリフはその状況で清太の心に響いた言葉を作り手がビックアップしたものなのだろう、と僕は受け止めている。清太がどう感じたのかは描かれていないが、自分がこんな目にあっているのに、なんであんたは笑っているんだと思っていたのかもしれない。
観客が焼け出された清太と節子に感情移入したところで、高畑監督は、いや空襲にあったって平気な人もいるんですよ、といった具合に、空元気で笑っている男、はしゃいでいる男の子の描写を入れて、観客が悲しみにひたるのに少しだけブレーキをかける。主人公がおそらくは心細い状況にいるのに「他者」は、必ずしもそれを共有してくれはせず、笑ったり、はしゃいだりしている。それが観ている側としてもちょっと辛い。空襲の悲惨さとは別の意味で、世の中の厳しさを描いている。突っ込みすぎた解釈であるかもしれないが、そういった意味の場面だろうと思っている。
もうひとつの描写を挙げよう。おばさんの家にやっかいになっている時期に、清太と節子は海に遊びに行く。浜辺で鬼ごっこをするかのように走り回っている2人。観ていてほっとする場面だ。2人が海に入る前に、節子が海で作業をしている老婆と子どもを見つけて、彼女たちが何をしているのかと清太に問う。清太は、塩も醤油も配給になって手に入りづらいので、塩をつくるために潮水を汲んでいるのだと教える。その後で、2人は海で遊ぶのだが、その途中で老婆と子どもが手を休めて、清太と節子を見つめるカットが入る(3-115)。初見時に、このカットをたまらなく怖いと思った。
いや、このカットで怖いと思った観客は少なかったかもしれない。どうして怖いと思ったかを説明しよう。前にも触れたように清太は、戦時下だというのに勤労動員で働いているわけでもないし、家の手伝いをするわけでもない。かといって勉強をしている様子もない。この場面では、妹と一緒に海にやってきて楽しく遊んでいる。清太はそこにいる老婆と子どもが塩をつくるために働いていることまで知っているのに、罪悪感を感じる様子もなく、平気で遊んでいる。
清太と節子が遊んでいる描写が続き、観客がそれに感情移入して楽しい気持ちになったところで、ポンと2人を見ている老婆と子どものカットが挿入される。老婆と子どもは後ろ姿であり、どんな表情であるのかは観客には分からない。それが怖い。老婆と子どもは、清太と節子の様子を見て微笑んでいるのかもしれないし、戦時下に遊んでいるのに呆れているのかもしれない。むしろ、呆れた顔を描写してくれた方が観る側としては気が楽だ。
後ろ姿だけを見せられたことで、観客はその表情を想像することになる。老婆と子どもの表情について想像するうちに、清太と節子が戦時下に遊んでいるのがとてつもなく悪いことのように感じられ、感情移入していた自分までが悪いことをしていたような気になってしまう。老婆と子どもが微笑んでいると思った観客もいたかもしれないが、僕にはとてもそのように受け止めることはできなかった。このカットで、高畑監督はなんて意地悪なんだろうかと思った。
第488回へつづく
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(10.11.09)