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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第62回 エヴァ雑記「第26話 まごころを、君に」

 『機動戦士Vガンダム』放映中に「ウッソがあれ程までに求める父親は、尊敬に足る人物なのか。その作品の評価が決まるよ」と庵野さんが云っていた事がある。ただ、随分経ってから、その発言について本人に確認したら「え? そんな事を云ったっけ?」と云われてしまった。それは真剣な発言ではなく、思い付くままに口にした言葉だったのかもしれないが、ウッソの父親がどんな人物だったかは、やはり『Vガンダム』を考える上で大事なポイントだった。その結果についてはここでは書くまい。未見の方は、機会があったら確認していただきたい。父親の正体が気になるという点では『新世紀エヴァンゲリオン』も同様だった。あれ程にシンジが求め、プレッシャーを感じ続けた碇ゲンドウとはどんな人物なのか。また、『エヴァ』という作品は男性性というものに対して懐疑的なところがある。男らしさを演じていた少年は去勢され、男の戰いを演じようとした主人公は母親の胎内に取り込まれた。男性としての能力の高い彼はクライマックスに至る前に、物語から姿を消した。それでは、父権の権化とも見えたゲンドウはどうなのか。それも「第26話 まごころを、君に」のポイントのひとつだ。
 ゲンドウの目的は、この世から消失したユイと再会する事だった。いや、人類の補完に興味がなかったわけではないのだろう。ただ、彼を突き動かす動機となったのがユイなのだ。彼は自分の身体にアダムの肉体を取り込んでいた。そして、アダムとリリスの禁じられた融合でサードインパクトを起こす事で、おそらくは自分とリリスを一体化させ、最終的には自分と初号機の中にいるユイをひとつにしようとしたのだろう。その最初の段階でアダムとレイを融合させようとしたが、レイの背反に遭い、アダムを掌ごともっていかれてしまった。その為にゲンドウの補完計画は失敗に終わった。そして、世界の運命がシンジに委ねられた後に、ゲンドウの前にユイの幻が現れる。ゲンドウは彼女に語る。自分がシンジを傷つける事を恐れ、傷つける事で自分が傷つく事を避けて、シンジを拒絶していたのだ。人間関係に恐怖を感じ、心を閉じていた。彼もシンジと同じ弱い人間だったのだ。これも『エヴァ』という作品を解釈する上で大事な事だ。この世に強い人間なんていないのかもしれない。
 それではユイはどうか。「生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにでもある」と語った彼女。そのように人生について前向きに考え、幸せを見つけられる人間が本当にいるのなら、それはこの作品世界にとっての救いになるのではないか。それはすなわちシンジの救いであり、観客にとっての救いでもある。彼女がどんな人物かは第26話のラスト直前に分かる。EVAは無限に生きていられるとユイは云う。ヒトは地球でしか生きていけないが、EVAは地球がなくなっても生きていられる。その中に宿った人間の魂も一緒に。全ての人類が滅んでも、EVAとその中の魂さえあれば、この宇宙にヒトがいた証は残る。その証を残す為に、ユイは初号機の中に残ったのだ。通常の人間とは全く違った次元でモノを考え、実行した女性。宇宙や人類全体といったスケールで見れば、彼女の行為は価値あるものだが、それが夫や息子を悲しませたのは云うまでもない。ユイ=初号機が宇宙へと去っていったカットに、シンジの「……さようなら、母さん」の台詞がかぶる。「最終話 世界の中心でアイを叫んだけもの」ラストの「母に、さようなら」に相当する言葉である。シンジは、母親には母親の考えや都合がある事を知る。母親は自分の為に存在しているわけではないのだ。TVシリーズ最終話では「母親はあなたとは違う人間なのよ」とアスカに云われ、「そう、僕は僕だ」とシンジが返す会話でそれについて触れている。それはシンジの母親離れを意味し、自分の存在を確立させるきっかけとなる。作り手は自分の存在に悩むシンジを赤ん坊の様に扱っている。
 ゲンドウとユイについてはもうひとつ書いておきたい事がある。人々がL.C.Lと化していく中で、ゲンドウのみがL.C.Lになっていない。怪物の如き初号機に頭から喰われ、脚のみが床に残っている。物語の筋道を考えれば、そこで登場した初号機も幻であるはずだが、もしも、それが本当の初号機であるなら、中でゲンドウはユイとひとつになれたはずだ。その判断も観客に委ねられる。

 「第26話 まごころを、君に」は『エヴァ』の完結編決定版である。絵コンテ担当は庵野秀明、樋口真嗣、甚目喜一。また、作画監督は鈴木俊二、平松禎史、庵野秀明。鈴木さんと平松さんはシーンごとに作監を担当。庵野さんはメカシーン、エフェクト中心のシーンの作監を担当。演出は庵野総監督自身が務めている。『エヴァ』のフルメンバーが「DEATH」「第25話 Air」「第26話 まごころを、君に」の3本に振り分けられているのだ。
 人類補完計画は発動するが、ゲンドウは目的を達成できなかった。レイと一体化したリリスは、シンジの願いのままに動く事となり、結果的にゼーレもその補完計画の完遂はできなかった。大スケールで展開されるゼーレのオカルト的な儀式、L.C.Lと化していく人々、地表を埋め尽くす光の十字架、人々を呑み込んでいく巨大綾波、そして、シンジの内的宇宙。世界は明瞭な輪郭を喪い、人々は肉体をなくし、混沌とした意識の海に溶け込んでいく。異色なビジュアルの連続で、観客を酩酊させるドラッグムービーだ。表現の過剰さをエンターテインメントに結びつけた事が『エヴァ』の本質であるのなら、こういったラストを迎える事も予想できたのかもしれないが、それにしてもあそこまでアバンギャルドなものとなるとは。パンフレットの編集をしていた僕は、当然コンテを何度も読んでいたのだが、それでも試写を観た時には予想以上の内容に圧倒された。呑まれた。
 この話が異色であるのは、シンジが何もしないからでもある。内的宇宙では葛藤をし、会話もしているが、現実世界では殆ど何もしていない。ただ、エントリープラグに座っているだけだ。TVシリーズ最終話も内的宇宙で葛藤しているだけだったが、あの時は現実の描写がなかった。第26話では現実世界で一大スペクタクルが展開しているのに、主人公だけが蚊帳の外にいるのが、不思議な感覚に繋がっている。ただ、この映画が完成した頃は、シンジが何もしない事に違和感を持たなかった。その事を指摘する意見も、殆ど目にした事がない。それだけ皆が『エヴァ』とシンクロしていたのだろう。TVシリーズ放映終了後のインタビューで庵野監督は、TVの前に座って何もせずに娯楽を享受しているアニメファンを非難する発言をしている。何もしないシンジと、監督が云うアニメファン像を重ねるのは容易い。

 内的宇宙の終盤で、実写の映像が挿入される。本来はもっと長い実写パートが予定されていたのだが、完成した映画で使われているのはごく短いものであり、当初に予定されていたものと内容は違う。シンジの「ねえ、夢って何かな?」の問いをきっかけにして、対話のかたちで「夢」と「幸せ」と「現実」が語られる。「都合のいい造り事で現実の復讐をしていたのね」「虚構に逃げて真実を誤魔化していたのね」「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせ」とレイは云う。画面には『エヴァンゲリオン』を観に劇場に来た観客が映し出されて「気持ち、いいの?」というテロップが出る。ここまでの物語の筋道を考えれば「都合のいい造り事」や「虚構」は、シンジが自分の中で幸福な思い出を反芻する事と解釈できなくもない。だが、僕達はそれを素直にアニメの事だと解釈すべきだろう。
 「じゃあ、僕の夢はどこ?」というシンジの問いに「それは現実の続き」とレイは応え、「じゃあ、僕の現実はどこ?」には「それは夢の終わりよ」と応える。夢は現実の中で見つけるべきものであり、「都合のいい造り事」が終わったところに現実がある。「それは夢の終わりよ」の台詞と同時に、ファンに悪戯書きをされたGAINAXの社屋、『エヴァ』の感想が書き込みされたパソコン通信の画面、そのプリントアウト、「庵野、殺す!!」の文字が表示されたモニターが、画面に映し出される。そして、巨大綾波の首から鮮血が迸る。すなわち、ファンがTVシリーズ終盤以降の展開を不満に思った事こそが「夢の終わり」なのだ(正確には、ファンと作り手のシンクロ率が落ちた事が、結果的に劇中の「夢の終わり」を招いたと云うべきかもしれない)。『エヴァ』の快楽原則の象徴たる綾波レイも、その身体が崩壊していく。皆、現実に帰れ。あまりにも直接的なメッセージだ。語り口はどうあれ、云っている事そのものは正論だ。少なくとも公開当時はそう思った。だが、『エヴァ』放映開始から10年経った今では、フィクションやバーチャルな世界と、僕達の「現実」を分離できるのだろうかと思う。

 設定について感心したのは、A.T.フィールドとL.C.Lの関係だ。この設定については、本当に見事だと思った。カヲルが云っていた様に、A.T.フィ−ルドは「誰もが持っている心の壁」だったのだ。それは比喩ではなかった。他人と自分を隔てる力であるA.T.フィールドが、その個人の肉体を形作っている。第弐拾話のサブタイトル「心のかたち 人のかたち」が示す様に、心のかたちが人のかたちを作っていたのだ。そして、A.T.フィールドは自分の身を守る為のものであり、同時に他者を傷つけるものでもある。心の壁を喪った人間は、生命の源たるL.C.Lに戻ってしまう。心を閉ざして自分の中に閉じ籠もるのは寂しい事だけれど、心を完全に開いてしまうと今度は自分自身のかたちを喪ってしまう。人間関係について懐疑的な『エヴァ』ならではの設定だ。
 シンジは、内的宇宙での葛藤の果てに、L.C.Lの海に辿り着く。そこはどこからどこまでが自分であり、他人なのかが分からない曖昧な世界。シンジは一度、その世界を望んだが、他人のいる世界の復活を望む。それで傷つく事になっても構わない。痛みのない世界には、悦びもないのだ。現実世界で他者と分かり合う事も、互いを好きだと思う事も、ただの願いでしかない。永遠に続くものではないはずだ。ただ、自分はずっと周りの人達が好きでいられると思った。その気持ちは本当だ。シンジはそう考えた。他人に強制された結論ではない。彼が自分で辿り着いた答えだ。TVシリーズ最終話との大きな違いは、シンジが他者のいる世界を望んでいる点だ。

 前にも書いたが、タイトルの「エヴァンゲリオン」とは福音という意味だ。ユイ=初号機は、この宇宙にヒトがいた証が永遠に残るという福音を人類に残した。彼女が云った「生きていこうとさえ思えば、どこだって天国になるわ。だって、生きているんですもの。幸せになるチャンスはどこにでもあるわ」という言葉が、シンジにとっての福音だったのだろうか。
 ユイ=初号機が宇宙へと去るまでがAパート。シンジとアスカの浜辺のシークエンスのみがBパートだ。シンジが他者のいる世界を望んだ為に、彼とアスカは復活した。これから他の人間も復活していくのだろう。シンジは横たわったアスカの首を絞める。アスカはシンジの存在を確認する様に、彼の顔をなでる(コンテのト書きには「優しそうに動くアスカの手」とある)。シンジは我に返り、手の力を緩めて涙を流す。それに対してアスカは「気持ち悪い」という台詞を口にし、この映画は幕を下ろす。難解と云われたラストシーンである。最後の最後まで、『エヴァ』は観客に判断を委ねたのだ。絵コンテやアフレコ台本でのアスカの台詞は「あんたなんかに殺されるのは真っ平よ」だったが、収録時に庵野監督の意図通りの台詞をなかなか録る事ができず、録音現場でのやりとりの中で、アスカ役の宮村優子が云った「気持ち悪い」という言葉を台詞として採用した。この台詞の変更の為、ラストシーンは益々難解になった。
 ここまではっきりと観客に判断を委ねているのだ。正解はひとつではない。どんな解釈であっても、その人なりの正解だ。「なにこれ、分かんない」でもいいのだろう。シンジは他者のいる世界を望んだ。復活したアスカが片目に包帯を巻いているのは、シンジが持つレイのイメージが反映されているのかもしれない。他者のいる世界は、互いを傷つけ合うかもしれない世界だ。だが、相手を傷つけようとしたのは他者ではなく、シンジ自身だった。彼が首を絞めたのは、他者の存在に対する恐怖の為だったのだろうか、あるいは暴力を以て他者の存在を確認したかったのか、彼女を愛しているがゆえの殺意だったのか。あるいはその全てなのか。
 アスカの反応にも注目したい。シンジが首を絞めている時には抵抗もしていないのに、シンジが泣き出すと「気持ち悪い」と云って彼を否定をする。シンジが自分の感情のままに首を締め続けていれば、彼女は死を受け入れたのだろうか。彼が手を緩めたのは、アスカの掌に彼女の温もりを感じたからだろう。アスカは、シンジが自分の感情をストレートにぶつけようとした時には苦しみに耐え、シンジがその感情を抑えようとしたから否定したのか。
 シンジが首を絞めた理由、アスカの反応については幾つかの解釈があるだろう。だが、最後の台詞の意味するところははっきりしている。「他者」の存在である。「あんたなんかに殺されるのは真っ平よ」であっても、「気持ち悪い」であっても同じ事だ。自己と他者の間では、好意も生まれれば敵意も生まれる。それを承知でシンジは現実世界に帰ってきたのだが、最初に彼が耳にした言葉は、冷たい拒絶の言葉だった。「あんたなんかに殺されるのは真っ平よ」の方がまだ良かったかもしれない。現実世界では、自分が否定しようと肯定しようと、他者は厳然たるモノとしてそこに存在するのだ。


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[DVD情報]
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■第63回 エヴァ雑記「纏め」1に続く


(06.06.27)

 
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