アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その10 ファンレター

 「COM」の1970年5・6月合併号から11月号にかけての半年間、「これがアニメーションだ!」と題する辻真先さんの連載が掲載されました。アニメ業界の現役最前線で活躍されている方がまとめられた、アニメーション制作の実際や内情についての文章を目にするのは、これが初めてでした。
 私はその頃、手塚ファンクラブに入会していて、手塚先生の連載マンガや単行本、虫プロ作品についての感想文や先生へのファンレターを書くのが日常になっていました。もちろん当時のことですから便箋に万年筆の手書きです。
 もちろん辻真先さんのお名前は各アニメ作品で日々目にしてよく知っていましたが、当時の私にとっての辻さんは『ジャングル大帝』の脚本家の方という印象が第一でしたので、「COM」の連載を読み、早速COM編集部気付で辻さんに宛てて、連載の感想と『ジャングル大帝』への熱い思いを綴ったファンレターを出しました。すると思いがけず辻さんからお返事をいただきました。嬉しくてまた手紙を書いて出すと、今度は分厚い包みが届きました。中には『ジャングル大帝』の使用済み脚本をはじめとする資料類が入っていました。感激してまたお礼の手紙を出し、辻さんとの文通的なやり取りは私が高校生の間ずっと続いていたように思います。東京の学校への進学を考えている旨を伝えると、辻さんは、新宿のコボタンというマンガ喫茶でアニメーションの集会が開かれていることを教えて下さいました。それが東京アニメーション同好会のことでした。
 コボタンはマンガ喫茶といっても現在のそれのように個別にマンガを読むための店ではなく、マンガ家志望者やマンガマニアたちが集うサロン的な場所であり、マンガ家の原画展等も行われている場所として有名でした。「COM」誌上にもしばしば登場し、簡単な地図も載っていました。
 いつか実際に行ってみよう。辻さん直々に教わったその場所に思いを馳せながら私は受験勉強に励んだものです。この「COM」を通じての辻さんとの出会いがなかったら、私の人生は全く違ったものになっていたことでしょう。大学に入学して実際にコボタンに通うようになってからは日々の多忙さの中で辻さんに手紙をしたためることもなくなってしまいましたが、現実のアニメの世界に私を導く第一歩を示して下さった辻さんには今も心から感謝してやみません。

 ファンレターといえば、他にも忘れられないことがあります。私は虫プロの『アンデルセン物語』の持つ北欧的なムードが好きでした。ある時、番組の感想と一緒に「エンディングのバックが白っぽいのに、その上に白い文字でスタッフのお名前が載ると読み取りにくいのです。折角努力して作品を作って下さっている方々のお名前なので何とかならないでしょうか」という主旨の文章を書き添えた手紙を虫プロに宛てて出しました。すると少しして、作品の絵ハガキが届いて、そこに「エンディングは今度変更されます」という意味の返事が書かれていました。女性の書かれた文字のように見えるそのハガキを私はとても嬉しく読みました。現場のスタッフの方と意志の疎通ができたこと、日々の仕事でご多忙であろうにも関わらず地方の一高校生の意見を読み捨てにせず、きちんと相手をして下さったこと、それが嬉しかったのです。後年、自分がアニドウの中心人物の一人としていた頃、毎日、全国から届けられるハガキや封書類の全てに目を通し、本業の動画の仕事とアニドウの活動の合間を縫って、自分の時間は削っても必要なものには全て返事を出し、あるいはこちらから手紙を書きして、読者の意見をできる限り『1/24』の誌面に反映させようとした原点、そしてその原動力は、正にこの1枚の絵ハガキにあったのです。この方がどなたかは知る由もありません。しかし、私自身と、ひいては当時のアニドウの会員や定期購読者の多くにとっての、見えない恩人というべき存在なのです。

 もうひとつ。ファンレターとは違いますが、絵やマンガの好きな人の多くは何らかの投稿の経験があるのではないかと思います。私の場合は、当時の少女小説誌「小説ジュニア」や「女学生の友」の読者欄にイラストの投稿をしたりしていました。コママンガは小学生の頃、当時流行のマンガやアニメの表紙のついた自由帳を使って鉛筆で描いたりしていましたが、長続きはしませんでした。私が愛読していた当時の少女雑誌の投稿欄は抒情的な少女イラストが主流でした。一度も誌上に載ったことはありませんでしたが読者欄を眺めているだけで楽しく、また巻頭付録についている美しいカラーイラストや、自分で切り抜いて糊で貼って使う式のシールも大きな喜びでした。中にとても上品で愛らしい画があり、大ファンでした。そこにはこうサインがありました。「森康ニ」と。森さんは優れたアニメーターであると共に優れたイラストレーターでもいらっしゃいます。何冊もの絵本もお描きになっていらっしゃるので、幼時にそれと意識せずに親しんでいた可能性は大なのですが、イラストレーターとしての森康ニさんのお仕事との、はっきりとそのお名前を意識しての出会いは、私の場合、この少女雑誌だったのです。

その11へ続く

(07.06.22)