その119 四国高松へ
ところがその黄金期の最中に私は激しく体調を崩してしまいました。きっかけは1995年春の四国高松への転勤でした。広島はとてもいいところでしたが、数年経てば東京へ戻れると思い込んでいた私には再度の西日本転勤はかなりのショック、しかも転居先は旧弊な差別意識が根強く残る土地で、学校や周辺環境との軋轢も強く、それまでのストレスが一気に噴き出すかたちで、ある朝、激しい目まいとともに起き上がることもできなくなってしまったのです。新聞も雑誌もTVも何も目にすることができず、一日中小舟に揺られているような症状と不安感に苦しみました。幸いよい先生に巡り合いカウンセリングと投薬を受け、数ヶ月かけて次第に日常生活を送れるようになりましたが、後遺症で今も服薬が欠かせません。当時は神経が脆弱になっていて、布団の中から眺めていた某番組で病気がちな女の子が死にかけるエピソードは正視できませんでした。表現の必然性は優先されるべきですし過剰な規制は問題ですが、TVアニメという誰もが手軽に、ことに子供が見ることが多い番組は様々な立場の視聴者がいることを念頭に細心の注意が望ましいことを身をもって知りました。
通院を続け日常生活に復帰してしばらく経った頃『新世紀エヴァンゲリオン』の衝撃が訪れました。実は『エヴァ』については前回書いた広島の中央書店で何の時だったか宣伝用のビデオを事前に見せてもらっていました。OPが丸々入ったそのビデオからだけでも先鋭的なビジュアルと歌曲の奇跡的なシンクロニシティが生むアニメ的快感、見る者を挑発するように散りばめられたいくつもの謎に強く惹きつけられたものです。ところがその広島では『エヴァ』はリアルタイムでは放映されず、私が視聴できたのは高松転勤のおかげなのです。本当に人生は塞翁が馬だと思います。転勤と言えばもうひとつ、広島でのめり込んで見ていた『機動武闘伝Gガンダム』は高松では放映期間が違っており、「あの」最終回を見るためにはしばしの時を要さねばならず、その間のもどかしかったことと言ったらありませんでした。
『エヴァ』については今さら私が書くこともないほど語り尽くされていますし、映画化、再映画化もされ、現在も進行中の作品です。ただひとつだけ言うなら、最初のTV版の、あの物議を醸した最終回は、私にとってはとても素直に受け容れられるものでした。あの終わり方は決して逃げでも放棄でもなく、クリエイターとしての庵野さんのあの時点での精一杯の誠実な形と受け止めています。
現在では信じられないでしょうが、『エヴァ』は最初の放映地域が限られていました。我が家にもいわゆる『エヴァ』難民から救援要請があり、各地に録画ビデオを貸し出したものです。ビデオは貸出先でダビングされ、さらに孫ダビされて全国へ散って行きました。ネットのない時代、『エヴァ』の狂騒の影にはこうした草の根的な活動があったのです。
高松で私が暮らしていた地域は子供が遊べるような公園も学校の校庭開放もなく、休日といえば図書館かレンタルビデオ店に行くくらいしか娯楽がありませんでした。この頃ビデオ機をVHSに乗り換えたのも、レンタルビデオを見るためです。当時、ベータはすでに壊滅状態でしたから。
レンタルでは様々なものを見ました。見逃していた作品もずいぶん補完しましたし、その頃盛んになっていたアダルトアニメも。18禁でもアニメはアダルトコーナーではなく一般作品と一緒の、子供の手の届かない棚の上段に並べてあったので、レンタルしやすかったのです。もちろん視聴は子供のいない時間にですが。中には有名アニメーターが参加している作品もあり『PoP CHASER』等は作画クオリティの高さで有名でした。エロティックと言えば菊地秀行さん原作の『妖獣都市』は、監督・キャラクターデザイン・作画監督を川尻善昭さんが手がけた傑作で、底光りするようなクールさに痺れました。エロティックでありバイオレンスでありながら、目を背けたくなるような描写ではなく格調と品格があり、その川尻さんの資質は姉妹編『魔界都市新宿』を経て2001年の劇場大作『Vampire Hunter D』に結実しています。
高松で一番よく見たのは今川泰宏さんの『ミスター味っ子』でした。全99話もある『味っ子』は、ビデオの1巻ごとに映画等のタイトルをパロった副題がつけられていて、それを眺めているだけでも楽しいものですが、本編の方もとてつもなく熱く濃く、ずっと見ていると熱が出る(実体験です)ほどのものでした。
『味っ子』と言えば、一番有名なのは第1話の光るカツ丼でしょう。料理界に君臨する味皇様に、ミスター味っ子こと下町の少年料理人・味吉陽一が供したカツ丼。丼の蓋を取ると中からパーッと光が射し、一口食めばあふれ出す肉汁。そして味皇様の見せるオーバーリアクション。我が家では今も「2度揚げじゃー!」「食べてみてよ!」のセリフは日常生活の定番になっているほどです。これを手始めにカレー、スパゲティ、ラーメンと、題材になるのは身近な、しかし完成するのは調理法も見た目もインパクト大な料理の数々(一番ショッキングなのは、リアルに描かれた金魚を模した冷やし中華)。それもただの料理ではなく味勝負で、その演出はハッタリとケレンの利いたバトルアニメのそれ。そして食べた側のオーバーな上にもオーバーなリアクション。中でも味皇様は強烈で、口から光を吐く、巨大化して大阪城を破壊、フンドシ一丁で海面を疾走とエスカレート。この海面疾走シーンはかの金田伊功さんが作画した名/迷シーンとしても有名ですが、『味っ子』にはアニメーターを惹きつける強い魅力があったのです。料理人も食材へのあふれる愛を語るミスター鍋っ子、公家言葉で宙を舞う浪速のどんぶり兄弟、陽一とともに全裸で因果地平の彼方(?)を飛ぶ香港少年料理人と、危ない人と紙一重なキャラが続出。さらには料理も食材もSDキャラになって踊り出したりプロレスを始めたりのやりたい放題。かといってハチャメチャなギャグアニメでは決してなく、これすなわち関西人・今川監督の大サービス精神発動の賜物。皆が熱く明るく元気一杯。なかんずく気持ちいいのは、強敵として登場した相手が味勝負を通して次々と陽一のよき友、よき仲間となっていく性善説的な展開。それは味皇料理会最大の敵として登場した味将軍が、シリーズ終盤、味皇様の実の弟であることが判明、さらに袂を分かつ原因となった亡き長兄・源一郎の遺徳が2人の仲を結び、また記憶喪失に陥った味皇様を陽一の料理に籠めた愛情が救うという、それまでとは趣きを異にするなりゆきを経ての大団円に結びつきます。私は決してあきらめたり挫けたりせずに前へ進む人物が、物語が好きです。自分自身もそうありたいと常々思っています。『味っ子』はそんな私にとって単に面白いだけでなく、思い出すだけでも元気になれる大切な作品です。元気になり過ぎて発熱してしまうのが玉に瑕ですが。また当時新人声優だった高山みなみさんが初々しく主役を務め、制作のサンライズゆかりのベテラン声優さんたちに囲まれて成長していく様は、味勝負の幾多の出会いを通して育まれるミスター味っ子・味吉陽一の成長にそのまま重なり、聴きどころもまた大なのです。
初監督作には持てるすべてが表れると言われるとおり、この熱さ、濃厚さ、そして血の因果は、今川監督の後々の作品に受け継がれて行くことになります。1992年から足かけ6年の歳月を要した『ジャイアント ロボ THE ANIMATION 地球が静止する日』然り、1994年の『機動武闘伝Gガンダム』然り、初の劇場作品となった2007年の『鉄人28号 白昼の残月』然り。大の横山光輝ファンを自認する今川監督が横山キャラを縦横に配した『ジャイアント ロボ』はストーリーに目を瞑れば、その華麗極まる作画と破天荒な必殺技の応酬で十二分に楽しませてくれますし、『Gガン』に至ってはもう私にとって好きを通り越しています。家に1/60ゴッドガンダムがあると言えば分かっていただけるでしょうか。戦争の中で心ならずもガンダムに搭乗し運命に翻弄される若者というガンダム世界の基本は押さえつつも、主人公ドモンと、素手でモビルスーツを撃破せしめる師匠マスターアジア東方不敗を最筆頭に彼を巡る熱く濃い人間模様と、風車からセーラー服まで想像力の限界に挑戦するような各国の奇天烈ガンダム群。シャイニングからゴッドへの主役機交代の高揚感、熱涙ほとばしるマスターアジアの最期、カタルシス極まる見事な大団円を見せる最終回。これぞパワフルでダイナミックでロマンティシズムあふれる今川演出の真骨頂。当初の批判を力業で捻じ伏せ熱狂に変えてしまった豪腕ぶり。「勝利者達の挽歌」をはじめとする田中公平さんの燃える音楽。キャラデザインの逢坂浩司さんとメカニックディレクターの佐野浩敏さんが共同で作画監督をされ、あまつさえ動画までも担当された最終回作画の感動的な美麗さ。『Gガン』は袋小路に陥っていたガンダム世界に風穴をぶち抜き、後の繁栄へと続く道を開きました。私は本作で熱血の主人公ドモン・カッシュを演じた関智一さんの大ファンになり、モデラーでもある関さんがディーラー参加したワンダーフェスティバルで聴いた生「ゴッドォフィンガァァァーー!」の雄叫びと流派東方不敗の名乗りは今も熱く胸に刻まれています。今川さんがシリーズ構成・脚本を担当した1996年の『ハーメルンのバイオリン弾き』では動かすことだけがアニメの道ではないことを痛感し目からウロコが落ちました。高松での日々は実は今川アニメとの蜜月の時だったのです。
その120へつづく
(11.11.04)