その14 あの頃のアニメ(1)
本題に入る前に前回の補足を。有文社の『日本アニメーション映画史』の記述によりますと、民話社のアニメ通信教育は講習費7000円、期間は4ヶ月だったそうです。終了後にホーム・スタッフとして採用される場合もあったそうですが、実際に採用されたのは東京近郊の100人前後だった、とあります。費用からして、私の場合、お年玉の貯金を当てたのではないかと思われますが、意外なところでアニメの歴史と関わっていたことに我ながら驚きます。
さて、本題に戻りましょう。私が高校時代を過ごしていた1960年代の終わりから1970年代の初めにかけて、アニメは少しずつ変化の時を迎えていました。呼び名こそまだ「テレビまんが」のままでしたが、「まんが」という、どこかのどかな感じを受ける呼称の枠に収まらない作品が出始めていました。
それらの動きの背景には、印刷文化の中での、まんがよりも激しい表現と内容を持つ劇画の台頭が大きな影響を与えたことが上げられるでしょう。また社会的には、ベトナム戦争(1965年〜)の泥沼化と、それに関連しての学生運動の激化と反戦フォークの波、ザ・ビートルズの来日(1966年)を頂点とするグループサウンズ(GS)の流行、といった既成文化に対するカウンターカルチャーとしての若者文化の発生と隆盛、さらには、1970年の大阪万博を象徴とする高度経済成長時代への突入と、その負の面としての公害問題の表面化、等があったと思われます。
足かけ3年の製作期間を経て1968年7月に公開された『ホルスの大冒険』が、様々な面において、劇画ブームの表現と思想の中心的人物だった白土三平さんの影響を強く受けていることもアニメの変化の表われの一つでしょう。木村圭一郎さんが作画監督を務めた『サイボーグ009』(1966年)、同『怪獣戦争』(1967年)の2作も劇画タッチの画面と、原作者、石森章太郎さんと演出の芹川有吾さんが共に持つ反戦思想が強く打ち出されています。
TVの方では、従来型のまんが的主人公に混じって、『ゲゲゲの鬼太郎[第1期]』『妖怪人間ベム』『バンパイヤ』『どろろ』等、人間社会からはみ出したアウトサイダーが主人公の作品が目につきます。大人のムードあふれる『佐武と市捕物控』もその立ち位置は似ています。これらも当時の世相を写すものと言えるでしょう。
しかし、TVアニメといえば何といっても1968年から放映を開始し、1971年10月まで続く長寿番組となった『巨人の星』が、この時期の代表格でしょう。
『巨人の星』はアニメ化以前、1966年からの『少年マガジン』連載開始と同時に人気が沸騰。我が家では当時小学生だった弟・富沢雅彦が「すごく面白いマンガがある」と友人から借りてきたのが切っかけで、『おそ松くん』以来我が家の定番だった『少年サンデー』から『マガジン』に購読を乗り換えるほど熱中したものです。弟といえば「すごく怖いマンガがある」からと、楳図かずおさんの『半魚人』の単行本を借りてきたりと、我が家への文化の輸入者的役割を果たしていたのでした。
この頃は『マガジン』自体が昇り調子で、連載陣の多彩な充実ぶりはもちろん、横尾忠則さんによるサイケデリックな表紙や、大伴昌司さんの手になる数々の意欲的な特集記事等々で目の離せない存在になっていたのです。大学生の間で「右手(めて)に(朝日)ジャーナル、左手(ゆんで)に(少年)マガジン」と言われていたのもこの頃のことです。
この1968年3月からの『巨人の星』が巻き起こしたスポーツ根性路線、いわゆるスポ根ものは、アニメでは1969年10月からの『タイガーマスク』、12月からの『アタックNo.1』、1970年4月からの『赤き血のイレブン』『あしたのジョー』、同年10月からの『キックの鬼』、実写では1969年6月からの『柔道一直線』、同年10月からの『サインはV』等々で一世を風靡します。
努力と根性で勝利を目指して邁進するスポ根ものは、当時の高度経済成長社会の反映のようでもあるのですが、作中で描かれる人間としての苦悩や生き様はまた、当時の社会の一面を映すものでもあったでしょう。『あしたのジョー』の主人公、矢吹丈とライバル力石徹の孤高に燃え尽きる生き方、所属集団を捨てて己の信じる道を行く『タイガーマスク』らもまた、前述のアウトサイダーの一員と言えるでしょうから。
編中で太平洋戦争を描いた『巨人の星』、公害や差別などの問題を提起した『タイガーマスク』など、社会派的な反骨精神を持ったエピソードが多く描かれたのもまた時代を反映するものでしょう。
個々の作品についてはまた項を改めて論じたいと思いますが、同じTV番組ということで言えば、スポ根ブームに先立つ1966年の「ウルトラQ」「ウルトラマン」、1967年の「ウルトラセブン」等が巻き起こした怪獣ブームがありました。それらが、正統派の怪獣特撮の魅力をブラウン管にもたらしたのはもちろん、その一方で、「マグマ大使」(1966年)や後発の「スペクトルマン」(1971年)等も含め、気鋭の脚本家や映像作家たちが怪獣に仮託して差別や公害等の社会問題を描いた問題作を連発しました。1968年の「怪奇大作戦」ではついに怪獣抜きで人の心の暗部を暴くドラマが展開されるに至っています。これらのシリーズの中には諸事情により現在では公に見ることすらできない作品も少なくありません。
これらのアニメや特撮作品を見て育った世代には充分に、重厚な人間ドラマや社会告発を受け止める下地ができていたのです。当時はまだ総体的なTV番組の本数が多くはなかったので、いわゆるTVドラマやクイズやバラエティも一緒に楽しみながら、その中で殊にアニメや特撮を志向する世代が着実に形成されていきました。この底流が後に『宇宙戦艦ヤマト』を先頭とするアニメブームの中で一気に芽吹くことになるのです。
その15へ続く
(07.08.17)