その42 労働争議の中で
東映動画では創立初期から労働者側と管理者側との労働争議が絶えませんでしたが、私が個人的に動画を習いに通わせてもらっていた1972年に入って、闘争は激化の様相を呈してきました。
映画界全体の観客動員が落ち込み、1971年11月には邦画大手のひとつ、大映が倒産する等の深刻な映画不況を背景に、親会社東映傘下の中でも利益率の少ない動画部門を縮小削減したいという会社側の意向が、東映動画を創設した大川博社長の死去(1971年8月)以降、はっきりと表面化してきたのでした。ノルマの強制、残業の増加と労働条件は厳しさを増していました。
私が東映動画に通わせてもらっていたのはちょうどそんな時期で、スタジオ内部も荒廃していた印象があります。
どこもガランとしていて、何のための部屋だったのか、2階の、暗幕で仕切られた大きな無人の部屋の、暗幕と窓との間の薄暗い通路の隅に、『わんぱく王子の大蛇退治』のオロチの巨大な頭部と『ホルスの大冒険』のこれまた巨大な岩男モーグのクレイモデルが埃にまみれて転がっていました。この通路は何度も通りましたが、このふたつの像は誰に顧みられることもなく、いかにも邪魔物扱いされているふうに思えました。
元々クレイモデルは長編および一部のTV作品の制作の際に作画の参考用に作られたというのが公式見解ですが、実際には使用されることはほとんどなく、それを参考に作画している様子が宣材として使われていたようです。中には制作が終わる頃に作られた物もあると聞きます。このクレイモデルに限らず、当時、アニメーションの制作に関わる設定表や原動画、セル、イメージボードや背景画等々あらゆる資料類に価値は見出されておらず、制作終了後は一部の宣材用資料を除いてそのほとんどは廃棄物扱いされていたのでした。
このオロチたちはどうなるのだろう。このまま埃まみれで転がっているのなら、いっそのことこっそり持って帰ろうかしらと思いましたが、紙袋に入らないほど大きく重そうなので実行はしませんでした。
やがて7月。登石新社長は、従来、年2本制作だった長編(しかもB作のみ)を年1本に、年3本制作だったTV作品を2本に縮小する方針を打ち出し、さらに社員を約半数に削減すべく大量の希望退職者の募集を開始しました。当然、労組は激しく反発し、両者の間で団体交渉が繰り返されることとなりました。東映動画生え抜きの1人、奥山玲子さんが労組の先頭に立って舌鋒鋭く会社側を糾弾する勇姿の目撃談がアニ同の例会で報告されたりもしました。当然ながら私も動画を習いに通うなどという状況ではなくなりました。
そして8月3日。「従業員は出社に及ばず」の通告が会社側からなされ、ロックアウトが始まりました。この頃制作中だった『デビルマン』等は全て下請けに回され、社内作業は停止しました。この緊急事態に社員は東映動画労組、契約社員は動画スタジオ労組として団結し、生活のためにアニメとは関係ないアルバイトをしながら、カレンダー等を独自に制作販売して資金とし闘争を続けたのです。争議の経過は東映動画の社員でありアニ同会長でもあった相磯さんによってアニ同の例会で伝えられ、またその自筆で会報等にも記録されています。元来労組の流れを汲むアニ同でもカレンダーの販売等、できる限りの援助をしたものです。
ロックアウトは5ヶ月近く後の12月下旬まで続き、その間に100名余りが退社の止むなきに至ったそうです。争議は鎮まりましたが、スタジオの半分を東映本社に開け渡すこととなり、2日間に渡り配置換えの大移動が行われ、それに伴って不要となった動画机や社内に残っていた大量の資料類も廃棄処分となり、窓越しに中庭に投げ捨てられ、その山は2階に届くほどだったと聞きます。この時、アニ同では並木さん、北島さんらが動画机を1台5000円で払い下げてもらうと同時に、散乱する貴重な資料の保護に努めたのでした。彼らがリヤカーで運んできた長編用動画机を私も1台譲り受け、今も家に置いてあります。その机には往年の森永ミルクココアの『狼少年ケン』のシールが貼られ、名札代わりなのか平仮名で「まつ」と書かれた小さな紙片が貼られています。見る人が見れば誰の物だったか判別がつくのではないでしょうか。
この労働争議については森やすじさんが自著『アニメーターの自伝 もぐらの歌』(徳間書店アニメージュ文庫)で、特有の柔らかな文体の中にも痛烈な描写をされていますが、一方『日本のアニメ全史』(山口康男著、テン・ブックス刊)の中では経営リスクの軽減として肯定的な書き方がされています。立場が違えばずいぶんと見方も違うものです。
2007年春、時は流れすっかり改装されてギャラリーに生まれ変わったかつてのスタジオの一部でクレイモデルの展示が開催されました。私も機会を得てギャラリーを訪れましたが、ガラスケースに収められて整然と並ぶクレイモデルの数々や、壁面に飾られた今も鮮やかさを失わない背景画の数々はさすがに見応えのあるものでした。
クレイモデルの中には経年による自然劣化だけではない傷みの見られる物もあり、かつての混乱の日々を偲ばせもしましたが、それらの像の中にあのオロチの頭部はありませんでした。失われてしまったのか、あるいは……。どんな形にせよ、どこかで保護されていてほしいと心から願わずにはいられません。
その43へ続く
(08.10.31)