アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その43 初めてのオープロダクション

 東映動画の労働争議のあおりを受けて動画の練習どころではなくなってしまった私に、アニ同の先輩、田代さんは別の作画プロダクションを紹介してくれました。1972年の夏のことです。
 そこは荻窪にあるオープロダクションで、私は何も考えずただ素直にその勧めに従ったのでした。田代さんがどんな風に話を通してくれたのか、最初は連れて行ってもらったのか、なぜかそこのところは覚えていません。荻窪駅から天沼の住宅街にあるオープロダクションまでの道はかなり入り組んでいますし、マンション1階の奥まったところに玄関があり、取り立てて表札も出ていませんので、初めてだと分からないのではないかと思うのですが。
 相手をしてくれたのは腕利きのアニメーター、才田俊次さんでした。おそらく最初に社長の村田耕一さんにご挨拶をし、「才田君に教えてもらおう」ということになったのではなかったかと思います。才田俊次というお名前を聞いてすぐに『タイガーマスク』で小松原一男さんと一緒に原画を描いていた方だと頭に浮かびました。
 今でこそアニメを専門に教える学校が全国各地にできていますが当時はそうした物はなく、アニメーター志望の人は美大やデザイン学校等に入学するくらいしか選択肢がなかった頃です。実際のアニメーターとして必要な技術はアニメ会社に入って現場の作業の中で覚えていくのが一番の早道な、つまり習うより慣れろの時代でした。
 私は高校の選択授業で美術を専攻しただけで、オープロにおじゃました当時は普通の女子大の国文科の学生でしたから、随分と変わり種に見えたことと思います。元々アニメーター志望というわけでもなく、田代さんの「動画は面白いからやってみない?」という言葉に素直に従って来たまでで、それも大学の長い夏休みの間だけという軽い気持ちでした。
 そんな私をオープロの人たちは温かく迎えてくれました。私はといえば化粧気もない童顔で体も小さく、当時はミニスカートの全盛時代でしたから、どこから見てもほんの子供にしか見えなかったことでしょう。本当に感謝の二文字しかありませんが、今にして思えば、この懐の広さこそがオープロのオープロたる所以だったと言えるでしょう。

 プロの現場では仕事の妨げにしかならなかったでしょうに、才田さんはとても親切に教えてくれました。教材等は当然ありませんから、その時々の仕事の中からやさしいカットを選んで渡してくれました。
 当時のオープロは東映動画と東京ムービー系の下請け作画プロとして、TV作品の1本丸々か半パートかの原動画を請け負っていました。その時、渡してもらったのは東京ムービー制作、フジテレビ系で放送中の『赤胴鈴之助』でした。作画監修は楠部大吉郎さん、作画監修補は小田部羊一さん、オープロでの作画監督は村田耕一さんで、才田さんは原画でした。渡されたカットは止めや口パク、上半身のアップにほんの少し動きのあるもの等でした。口パクのカットは動画を描くだけでなく、タイムシートに書かれたセリフを見て、閉じ口、開き口、中間の口のどれがそのセリフ一音ずつにふさわしいかを考えてタイムシートに自分で番号を書き込んでいきます。
 『赤胴』は原作マンガの雰囲気を生かすような比較的丸っこい柔らかいタッチのキャラクター設計でしたから、動画も結構描きやすかったような気がします。ちょうど鈴之助が真空斬りの修行のために山にこもり、猟師の老人と行動を共にするあたりの話で、私はその猟師の動画をいくつかやらせてもらっています。猟師の老人は毛皮を羽織っていて、それを動画に描き写す時に均一の線でなく、鉛筆をサッサッと動かして柔らかい毛皮の質感や毛並を表現すること等を教わりました。動画は、渡された原画を持ち帰って家で描き、でき上がるとまた持って行って才田さんにチェックしてもらいます。手直しすべき箇所があれば、空いている動画机をお借りしてその場で直しました。
 『赤胴』の動画がなかった時、小松原さんがオープロの東映動画班で作画監督をやっておられた『デビルマン』の動画を才田さんを通して渡してもらったことがありました。第13話「誇り高きマーメイム」の巻でデビルマンが巨大な貝柱をチョップする手のアップのカットです。これは難しかったです。劇画調の荒いタッチの絵と、画面一杯にしなる貝柱の動き。動画の線は原画の勢いを殺さぬように描くのに苦心し、貝柱の動きには才田さんが全部ラフで下描きを入れてくれて、何とか動画を仕上げました。
 当時は1本の作画に3週間ほどもスケジュールが取れていたでしょうか。動画を仕上げてしばらく経ったある夜、自室のTVで『赤胴』を見ていると私が動画を描いた場面が映りました。自分の絵がTVに映る! 動く! その時の感動といったら! もうTVの前で「わーっ」と叫んで飛び跳ねてしまいました。この瞬間、観るだけでないアニメーションの魔力に取り憑かれてしまった私でした。1枚100いくらかの計算で描いた分だけのお金も戴き、これが私のアニメーター(と言うにはおこがましいですが)としての最初のお給料になりました。

 『赤胴』はオープロ担当回への愛着はもちろん、Aプロ時代の宮崎駿さんが自在に腕を振るった青銅鬼の回をはじめとする数本が今見ても楽しく、『デビルマン』は永井豪さんのマンガとは全く違うTV独自の展開ながら評価も人気も今なお高い作品です。この2本にほんのわずかでも関われたことは私にとって絶対に消えない大きな喜びです。

その44へ続く

(08.11.14)