アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その44 トップクラフト作品上映会

 1972年8月29日、アニ同はトップクラフトの全面協力を得て同社が手掛けた合作アニメの上映会を開催しています。場所は高円寺会館、上映作品は『海底2万哩(20000 LEAGUES UNDER THE SEA)』(1972年、40分)と『キッド・パワー(Kid Power)』(1972年、2本30分)に、少年時代のマイケル・ジャクソンがいたファミリー・グループを題材にした『ジャクソン・ファイブ(JACKSON 5)』(1972年、50分)の3本です。
 トップクラフトは、かつて東映動画でアメリカとのTV用合作アニメ『キングコング』や『1/007親指トム』の制作担当だった原徹さんが1972年に設立した会社で、東映動画での経験を生かした日米合作を目的としています。『キングコング』等は日本でも放送されて、その主題歌と共に人気となったものです。
 合作といっても実際は作画等の技術力を提供するだけの下請けという場合も多いのですが、トップクラフトが目指したのは本来の意味の合同制作で、アメリカ側の企画による発注を受けて日本で制作するスタイルでした。トップクラフトには演出、作画、仕上げ、撮影の設備と人材があり、自分たちの作品として主体的に取り組んでいましたが、力を入れて作った作品もアメリカのTV放送用が主ですから、完成して納入してしまえば日本では見られることもなかったのです。
 トップクラフトは現在のアニメ史の中では宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』(1984年)の制作拠点として機能して後、1985年のスタジオジブリ設立の母体となった会社という風に解釈されることが多いように思いますが、1972年の設立以来の10年間に劇場用作品2本を含む10数本の合作作品をコンスタントに作り続けているのです。

 さて、アニ同ではこの上映に合わせてキャラクター表や制作陣の生の声を載せたB4サイズ12ページの上映目録『海底2万哩』特集号を作っています。印刷部数も少なく、30数年を経た今となっては人の目に触れることもほとんどないと思われますので、この機会に当時の貴重な声を少し拾ってみようと思います。発行日は上映会当日の1972年8月29日、編集は湯川高光さん、協力に鈴木周三さんと、トップクラフトの原徹さんの名があります。
 内容は『海底2万哩』と『キッド・パワー』のキャラクターラインナップと絵コンテの一部分、それに制作者の声として蕪木登喜司さんの「海底2万哩演出について」、白梅進さんの「海底2万哩不満記」、原徹さんの「海底2万哩について」と「キッド・パワーのみどころ」、窪詔之さんの「海底製作を振り返って」(原文のまま。以下同)。原さんをはじめトップクラフトの錚々たる看板スタッフ総出の内容で、現在でもこれだけのものはなかなかできないのではないでしょうか。これもアニ同が単なる同好会でなく業界人の集まりでもあったからこそかと思います。
 絵コンテは、ブラウン管でしょうか、角の丸い四角い枠内に絵が描かれ英語のセリフが添えられ、日本のものとは違って左から右へと読む形で1枚に上下2段に並んでいます。絵はいわゆるアメコミ調のシャープでリアルな、広角がかったタッチです。トップクラフトのアニメーターは窪さん、白梅さんをはじめ東映動画で劇画調の作品に参加していた方々が多く、画力には定評がありますので、実際の画面はもちろんコンテの絵だけでも大変迫力を感じます。
 ただ、合作はアメリカ側でサウンド・トラックを先行して録音し、それに合わせて日本側で作画するというプレスコ方式を採るため、そのあたりで苦労があったようで、掲載されているスタッフの声からもそれはうかがえます。
 演出チーフの蕪木さんは題材に意気込みつつも実際に届いたサウンドに「ガックリ来た。間がない、セリフセリフの連続で音楽の盛り上がりも何もあったもんじゃない」「恐いのは、スケジュールとスタッフの連携不足。残念無念……」。作画監督の白梅さんは「最も痛切な不満は、時間の不足ということであった。多くの制約にかこまれてその中で一体何が出来るか、という事すらも考えられぬほど、時間が足らなかったのである」。原さんは「東は東、西は西でなく、創造の壁がやぶられ、別の新しい創造の世界が、つくられる一つのフセキとなる作品であると思う。アニメーションとしてのこの作品を、もっとふくらましたシーンがサウンドと脚本に制約されたウラミはあるが、色々な意味で新しい経験であった」としています。作画監督&キャラクター設計の窪詔之さんの文章は400字詰め原稿用紙1枚半に肉筆で書かれたものをそのままコピーして収録する形になっていて「多難を極めた製作」と振り返りつつ、「金銭的、時間的には言語に絶する制約を受け、満足出来る上りではなかったが、……我々がスペシャリストとしての位置を確実なものにするための一つの試練であると解釈し、今后とも変わらず、一層の改善、向上を図るべく、邁進したいものである」と決意を述べています。

 海外との合作アニメの制作については、大塚康生さんが東京ムービー新社の長編『LITTLE NEMO』(1989年公開)の紆余曲折について記した「リトル・ニモの野望」(徳間書店)が知られていると思いますが、その遥か以前に上記のような先人たちの苦心と挑戦があったことを知るのは歴史的にも意義のあることではないかと思います。合作アニメは動画ばかりでなく人形アニメもありますが、それについてはまた改めてとしましょう。

その45へ続く

(08.11.28)