その62 一番好きなのは第2話
第1話の社内試写で驚かされた『ハイジ』でしたが、本当の驚きは放送開始後にありました。
TVで見た第2話「おじいさんの山小屋」が、第1話をさらに上回る素晴らしい出来だったのです。
おじいさんと2人きりでアルムの山小屋に残されたハイジ。幼いハイジは、おじいさんの鋭い瞳にも臆することなく、山小屋の中を探検して回ります。高畑さんの演出はゆっくりとしたペースで視聴者の心をハイジに沿わせ、ハイジと共にその場に立ち会わせるかのように場面が展開して行きます。折々にハイジの利発さや闊達さ、天真爛漫な発想の自由さを感じさせながら。
おじいさんと2人、屋根裏部屋で干し草のベッドを作る場面の素敵なこと。巧みな作画と演出(見せ方)によって、干し草という日常では馴染みのないものの手触りや、その香りまでも感じられるようです。2人で大きなシーツの両端を持って干し草の山にかければ、ふわりと空気をはらんでハイジの小さな体が宙に浮いてしまう。現実にはあり得ないけれど、もしかしたら本当にそうなるのではないかと思わせるほど、とても自然で、幸福感で心が一杯になる素敵な描写。それは、第1話の町からアルムの山中までの道中で、私たちが現実に暮らす、空気や重力のある世界のものの理をしっかりと描いているからこそ、いざ、という時の飛躍がありありと、しかも喜びをもって受け入れられるのです。日常的な観察に基づく、屋根裏部屋へのハシゴ段を使っての昇り降りも、ハイジの小さな子供らしい動作がよく表われていて秀逸です。
その後の食事のシーン。もうこれは『ハイジ』に限らず、アニメの歴史の中での名場面といっていいでしょう。串に刺したチーズの塊を直火で炙って、とろりととろけたチーズを黒パンに乗せて食べる。炙られたチーズがとろけて次第にまろやかな形になり、表面に浮き出た照りがすーっと伸びてぷるんとちぎれる。ああ、なんとも美味しそう。チーズはこの当時まだ日本では一般的でなかった食べ物で、まして直火で炙って食べるなど、夢のようなことでした。チーズが日本に定着したのは『ハイジ』のおかげといっても過言ではありません。
そしてこのチーズの描き方がまた何ともいえずいいのです。タイミングといいフォルムといいチーズとハイライトの色遣いといい、単純なセルの塗り分けでここまでできるのだという見本のようです。
おじいさんがハイジのためにしてくれる椅子作りの描写とハイジの喜び。アニメで木工をする過程を細かく、しかも楽しさをもって描いたのは、これが初めてではないでしょうか。飼い犬というより同居人といった風情のヨーゼフの不思議な存在感。モミの木の下のベンチで食べる質素な夕餉。夜にふかふかの干し草のベッドで眠るハイジの安らかな寝顔。
なんでもない日常の中に潜んでいる魅力をくっきりと取り出して描くということが『ハイジ』におけるメインスタッフの狙いでした。日常茶飯事という言葉があるように、食事や家事、睡眠といったごく当たり前の人間の営みが第2話ではしっかりと、しかも肯定的に描かれています。それによってごく当たり前の日常生活が喜びと驚きに満ちたドラマになり得るのです。それがTVアニメとしての『ハイジ』がなし得た最大の功績と言えるでしょう。
干し草のベッドで眠るハイジが見る夢。それはそれまで暮らした狭い町の部屋から光あふれるアルムの山へ向かう夢。町の小部屋は歪んだ画面と彩りのない部屋というシュールな表現がなされ、ドアを開けると光と緑あふれるアルムの山が目に飛び込んできます。本当に人間らしい生活とは何か。後の、アルムの自然の中でクララの足が治るエピソードを待たずとも、ここですでにそのテーマは提示されているのです。
第2話では、アルムの山小屋とその周辺だけに舞台は限られていますが、それだけでも、多層的な斜面を生かした魅力的なレイアウトや、目に染みるように鮮やかで、緑ひとつとっても色とりどりに描かれた美しい背景から、アルムの清涼な空気までも伝わってくるような気がします。『ハイジ』全話を通した中で私はこの第2話が一番好きです。粗筋にしたら「ごはんを食べて寝ました」という、ただそれだけのことなのに、豊かさにあふれているのですから。
ただこの当時、事件らしい事件も起こらない中で登場人物の仕草や心の動きを丁寧に追うという作り方はまだ一種の冒険だったので、ことに年少の視聴者を意識して、ゆったりとした語り口の女性ナレーションで人物の気持ちを表現している部分が『ハイジ』には多々あります。パイオニア故の試行錯誤の一環で、それは今見ると少し残念な気もする部分です。しかしまた、『ハイジ』全話から同じメインスタッフによる次作『母をたずねて三千里』へと続く中で、やがて技法が研ぎ澄まされ、演出として確立していく過程がアニメ史的な見どころとも言えるのです。
続く第3話ではハイジはペーターと共にアルムの牧場へ登り、ハイジの世界は次第に広がって行きます。
今回、この項を書くために久々にDVDを見直してみましたが、とても35年も前の作品とは思えない瑞々しさをたたえていることに改めて驚いたものです。
次回は制作現場の思い出等に話を移したいと思います。
その63へ続く
(09.08.07)