その67 私の「1/18」
1974年秋、並木さんから引継いで私はアニドウの機関紙兼情報紙「FILM1/18」の編集を始めました。
印刷技術も段々と進歩してきて、この頃からガリ版に変わって一般にも簡易印刷が普及してきたことや、私も所属していた手塚ファンクラブの会員でアニドウにも何かと顔を出していた江口氏が印刷関係で協力してくれたことも幸いしました。
編集、と大袈裟な言い方をするほどでもない紙面はワラ半紙1枚の両面刷り。内容はアニドウの上映会のお知らせやアフターレポートを中心に、この頃から増えてきた自主上映会や業界のニュース等を、手書きのごく砕けた感じで載せました。引継ぎ当初こそ戸惑ったものの、やり始めてみると自分の性に合っていたのか、これがとても楽しいのです。小学生の頃に自分の手で家庭新聞を作るのがTVを通してブームになったことがありましたが、その延長のような感覚でした。
若さゆえに失礼な書き方をしてしまった部分も多々ありますが、今読み返してみても、当時の活発だったアニドウの活動や、大勢の会員たちと外部から協力してくれた方々との和気あいあいとした雰囲気が紙面から伝わってきて、思わず頬が緩んでしまいます。
並木さんが4代目会長に就任したアニドウの活動は、対外的にもますます広がっていき、多くの人がアニドウの上映会や集会等々に参加するようになりました。「1/18」の紙面には、今ではどこにどうしているかも分からない人たちやアニドウを離れた人たちの名前も随所に見受けられ、一種のタイムマシンのように過ぎ去った輝かしい日々を思い起こさせます。「1/18」はそうした過去の記録にもなっているのです。
が、そうしたノスタルジックな感慨ばかりでなく、自分で言うのも何ですが、紙面を眺めていて純粋に面白いのです。役目としてでなく自ら楽しんで作っているからでしょう、丸っこい文字も文章も、にこにこと笑っている感じがします。アニドウに関することばかりか業界のニュース等に今だからこその発見があったりもします。私は性格的に自分の書いたものは文でも絵でも、商業誌同人誌を問わず一度発表してしまうと読み返すのが面映くて、ゲラチェックや資料として必要な時以外はほとんど読むこともないのですが、「1/18」や「1/24」には格別の愛着があるからでしょう、何かの際に手にするとつい読みふけってしまいます。「1/18」のカットは自分で描いたり、会員の誰彼が提供してくれたりしましたが、そのタッチの違いも今となっては楽しめます。
実際に「1/18」を見たことのある方は少ないでしょうから、どんな記事があったか少し拾ってみましょう。
私が最初に手がけた第4号(1974年9月発行)では「自主作品はカレーな味!! 恐怖のドキュメント」と題してA面一杯に、その月に開催予定の全国総会へ持ち込むべく、あんばらやを舞台に昼夜を分かたず2本のアニドウ自主作品『つる姫じゃー』と『駆宙大王子 予告編』の完成に向けて会員有志が一丸となって奮闘した日々の面白可笑しい記録が綴られ、限界まで頑張ったにも関わらず現像所が連休のために結局『駆宙大王子』の方は総会に間に合わなかったというオチまでついています(当時は面白可笑しいどころの話ではありませんでしたが)。タイトルの「カレー」は華麗と、あんばらや生活ですっかり料理の腕を上げた並木さんが徹夜する皆にふるまってくれた手作りカレーをかけてあります。この自主制作の熱気がやがて自主作品の全国縦断上映会PAF(パフ)へと繋がっていくわけで、感慨深いものがあります。
第5号(10月7日)では日曜夜7時半のTV激戦区に新たに『ディズニーワールド』でのアニメ放映が始まって、あんばらやでは『ハイジ』『ヤマト』に加え、またも3台のTVが同時活躍する様を、第6号(10月21日)では森やすじさんの腸閉塞による入院を伝えています。またこの号では『タイガーマスク』で知られる天才アニメーター村田四郎さんが現在ドイツで活躍中とのニュースもあり、ドイツではアニメーターの地位は日本とは比較にならないほど高く収入もよいとのこと。第11号(1975年1月20日)では『天才バカボン』『ギャートルズ』のOPでの芝山努さんの素晴らしい作画の視聴を勧めるミニニュースと、アヌシーアニメーションフェスティバル開催に関するニュース。
第12号(2月3日)ではノーマン・マクラレンの制作風景を収めたイギリスBBCTV制作の長編「目で聞き耳で見る」原語版の翻訳騒動について。これら上映会にまつわるエピソードはのちほど、折々に紹介していこうと思います。記事は上映会関連やニュースばかりではなく、旧「1/24」からの続きで古参会員、藤田登さんによる「アニメーション憶え書き」も番外編と称して何回か「1/18」紙上に寄稿され、アニドウの機関紙としての面目を保ってくれています。
第14号(3月3日)ではNHK撮影部で『みんなのうた』等を手がけながら撮影の職分のみに留まらず制作全般に関わり、アニメーション制作技術の革新に力を注いだ田中邦彦さんの35歳での急逝を悼む「映画テレビ技術」誌1975年2月号の記事のコピーをそのまま転載。印刷技術の進歩はガリ版時代には不可能だった、コピーをそのまま紙面に反映させることも可能にしていたのです。またこの号では、経費削減のため、この春の新番組から東映動画のTVアニメの撮影が従来の35ミリから16ミリに変更されたことも伝えています。
簡単な紹介のつもりが長くなってしまいました。15号以降については次回としましょう。
その68へ続く
(09.10.16)