アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その72 手書きの『1/24』

 情報紙『FILM1/18』からアニドウの正機関誌である『FILM1/24』に出世(?)しても私のスタンスは同じで、相変わらず楽しいこと、面白いことを目指して編集を進めていました。
 版下に使ったのは綴りになった方眼紙です。方眼紙のブルーの枡目は印刷に出ないからです。当時はブルーの罫線の引いてある用紙で手軽に手に入るものはこれしかなかったのです。
 手書き時代の『1/24』は紙を重ねてふたつ折りにしただけの簡単な作りでしたが、それでもページ仕立ての冊子になると印刷の関係で表1と表4、表2と表3という具合にページ割りの構成が必要になってきます。そこで今までの『1/18』のように横長の用紙1枚に頭から書いていくのではなく、大体のページ割りを決めてからB5の方眼紙(原寸大)に各ページごとに記事を書いて仕上げ、対応するページをつなぎ合わせて版下を作りました。ガリ版時代だったらこれは無理で、簡易オフセット印刷が割合安い値段で頼めるようになり、印刷屋さんもアマチュア相手に商売の門戸を開いてくれるようになったおかげで、ちょっと高級な印刷が可能になったのでした。
 とはいえ、方眼紙は原稿用紙のように行間が空いていないので、例えばひと回り小さな文字で5枡に6文字を入れ、枡目の下の方に文字を寄せて書くようにすれば仕上がりの行間が空いて見栄えもよくなるのですが、頭で分かっていてもなかなかそうはいかず、つい枡目に合わせて1文字ずつ書き入れてしまうので、今見てもどうも格好がよくありません。
 印刷も変わりましたが、コピー機も昔の湿式青焼きコピーから、普通紙を使うコピー機に進化して、しかも割合手頃な値段で使えるようになったので、キャラ表や本の写真をコピーして切り貼りして使うこともできるようになりました。
 『1/18』の頃は印刷はガリ版の名手である東映動画勤務の相磯元会長や、印刷会社関連の会員のお世話になることが多かったのですが、『1/24』の印刷には中野ブロードウェイの中にある印刷屋さんを利用することが多かったです。今ではすっかりオタクの聖地と化した中野ブロードウェイですが、その頃はまだ単にごちゃごちゃとした雑居ビルでした。中野を使ったのは、アニドウでは当時、高円寺会館を上映会場に使うことが多かったので、印刷上がりをそのまま持っていって配るのに便利だったという理由も大きいです。この頃のアニドウでは、上映会のプログラムは杉本さんのフィルムコレクションを中心に、杉本さん、並木さん、私(富沢)の3人でほとんど決めていましたが、当日のパンフレットは大体私が手書きで作っていました。
 印刷には当然お金がかかります。アニドウにも会計係はありますが、毎月の上映会の予約金と会場費に大部分を使ってしまうので、余裕のある時は印刷費はアニドウの会計から出してもらうけれど、ほとんどの場合は私個人が自腹で支払っていました。だから毎号そう多くの部数は刷っていないのです。
 印刷といえば、かつてのオープロのあった天沼から近い荻窪駅前に小さな書店があり、並木さんと2人して日夜通っていたものですが、ここは店の脇に小さな簡易印刷コーナーを開いていて、通ううちに自然と店長と親しくなり、印刷もここに頼むことが多くなりました。ここだと印刷上がりをそのままオープロに運び込んで、深夜、誰もいなくなった社内の机を使って印刷物を折り畳んだり、発送用の封筒に入れたりという作業に便利だったのです。一度中野の印刷屋さんで作業ミスがあり、パンフが上映会の開映時間に間に合わなくなりかけたことも影響しています。ところがこの荻窪の店長さんは実は印刷が好きな人だったらしく、表紙用に1枚だけカラーの紙を使うように頼んだりするうち、次第に印刷にのめり込むようになり、書店よりも印刷所の方にいることが増えてきて、そのうち印刷の方が商売の主体になってしまいました。元々の資質が触発されて目覚めてしまったのでしょうが、あれからどうなったのだろう、人生を誤らせてしまったのではないだろうかと、今も荻窪の駅を通ると思い出されます。

 前置きがすっかり長くなってしまいましたが、『FILM1/24』復刊第1号は1975年10月1日発行。巻頭が9月の静岡での全国総会のレポート。この総会は、昼の上映会場前の古書店で東映長編『わんぱく王子の大蛇退治』『シンドバッドの冒険』の絵本が発掘された(なんと各50円!)ことでも記憶されます。他に秋の新番組特集等で全12ページ。『1/18』から継続の「ムッシュゥヤカンのふらんす日記」はいよいよアヌシーフェスが開始されたところです。
 第2号(11月1日発行)は全16ページで、巻頭が4ページにまたがる「あんばらや」の大特集。それに9月末からイタリア文化会館で日替わり上映された、ブルーノ・ボゼットやジュリオ・ジャニーニ&エマヌエル・ルッツァーティら巨匠の貴重な作品多数のイタリア・アニメーション短編映画上映会の小松沢甫さんによる詳細なレポート。
 さらに、自主制作の傍ら当時オープロで動画マンとして働いていた相原信洋さんの新作『ストーンNo.1』『No.2』の自筆カットつき自作解説。『ストーン』はスウェ−デンの大自然の中で、大きな石に動画用紙を貼り変えてコマ撮りしたり、実際の建物にチョークで色を塗ってアニメートしたりの雄大な作品で、相原さんの代表作のひとつです。相原さんはTVアニメ等の商業アニメで収入を得つつ自己の作品を作り続けた特異な作家で、1970年代のヒッピースタイルを維持しつつ今も昔も独自の姿勢を貫いています。顔を会わすたびに「洋子ちゃん、元気?」と気さくに声をかけてくれる相原さんについてはまた後に触れることもあるでしょう。
 このように、ページ数が増え、冊子仕立てになることで、それまでの情報中心だった『1/18』から次第に内容も充実していく新生『1/24』なのでした。

その73へ続く

(09.12.25)